AM 9:05 ~その頃の柚月~
中央の最前列、教卓真正面。教室の中で一番目立つその場所が、柚月の席だった。
美しく背筋を伸ばし、きりりと前を向いて。手際よく板書を移していく姿は、どこからどう見ても、完璧にいつも通り。百点満点の優等生っぷりである。
――が。見た目のパーフェクト具合とは正反対に、その頭の中は大嵐の世紀末。最早授業どころではないほど、荒れに荒れて混沌の様相を呈していた。
(こんなはずじゃこんなはずじゃこんなはずじゃこんなはずじゃううああー!!)
気を抜けばそこら辺を転げ回りそうになる体を、必死でイスに押さえつける。『ピク! ピクピク!』と、真顔を取り繕う表情筋が危険に痙攣する。
こんなはずではなかった。何もかもが予定と違う。
柚月の計画では、真っ赤になって慌てるのは恭二のほうだった。狼狽え、困り果てる彼を思う存分からかって、大人の余裕を見せ付けてやるはずだったのに。
(なのに!! なのにどうして!!)
そもそも、何故にあの男はろくに照れもしなかったのか。女子から『付き合ってもいい』なんて言われたら、多少は舞い上がるのが普通の未経験というものではないのか。
少なくとも、柚月だったら――。
『――俺と付き合ってください』
「あー!!」
「ど、どうした!? 白瀬!?」
ガターン! とイス蹴倒して立ち上がる柚月に、教室中が驚いて硬直。我に返って柚月も硬直。板書をしていた教師まで、愕然と振り返る。
「…………コホン。失礼しました。このところ、『起立発声法』という自学自習のテクニックを試しているもので、つい普段の癖が」
「お、おう。そうか……ち、ちなみに、その『起立なんとか』ってのは、どういう……?」
「はい。まず、定期的に立ち上がることで、滞りがちな脳への血流を促進。また、発声には酸素の供給を高める効果が期待できるとされています。意識して大きな声を出し、肺を動かすことが重要とか」
「へ、へぇ。そりゃなんか……すごいな」
『さすが白瀬だ』と、教師が感嘆の声を漏らす。クラスメイトの反応も似たようなもので、中には熱心にメモを取る生徒もいた。自分も試してみよう、ということだろう。
……一瞬罪悪感が脳裏を掠めたが、『全くのでたらめじゃないし……』と思い直す。血流も酸素も勉強においては重要だ。ちょっと方法は独特……というか奇抜かもしれないが、間違ったことは言っていない……いないよね?
もう一度、騒がせてしまったことを謝って、席に座り直す。何事もなく再開される授業。
(これで一応、私の優等生のイメージは守られたはず……!! さすが私!)
これもひとえに、柚月が今まで培ってきた人望の賜物だろう。柚月が多少おかしなことを言い出しても、やらかしても、『白瀬さんが言うならそれが正しいんだろう』と、大抵のことは信じてもらえる。
なのにどうして、恭二はそうではないのか。
完璧に取り繕ったはずの『オトナ』の仮面が、呆気なく崩れてしまうのは何故なのだろう。
一番、わけがわからないのは、
それが案外、嫌ではない、ということで。
『先輩、好きです』
『好き』
『先輩』
『超かわいい』
『結婚しよ』
『おもしれー女』
(待って待って待って!! そこまでは言われてない言われてなあーああーあー!)
最早板書などできる精神状態ではなく、柚月は真っ白なノートを前に彫像と化す。それでも外面だけはきっちり優等生。たとえどれだけ脳内が大変なことになっていようとも、動揺などおくびにも出さない。
(とにかく!! 全部全部全部、あいつのせいなんだから!!)
クラス中の誰一人あずかり知らぬところで、柚月はメラメラと、恭二への怒りを募らせるのであった――。
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