7.(終)
真夜中、しいんと静まり返った部屋の中。
神経が高ぶって、ハルは中々寝つけなかった。
ぼーん、ぼーん、と時計が鳴る音が響く。
一時間経っても、二時間経っても、彼女はそのままぼんやり天井の木目をぼんやりと見つめ続けた。
時刻は夜中の三時になろうとしていた。
ガタ、という物音に何かの気配を感じて、ハルは浅い眠りから目を醒ました。
何だろう。
彼女がそう思って布団から半身を起こし、何気なく部屋の中を見回した時――
奥の間の襖の前に、何かいる。
ハルは見てしまった――冬明に入るなと念を押されていたあの開かずの間から、まさに誰かが出てくる瞬間を。
彼の忠告を思い出して、彼女の体中からどっと冷や汗が吹きだした。
「どう、した、の……?」
彼女は恐怖を感じつつも、そう尋ねざるを得ない。
そこに座っていたのが、冬明だったからだった。
彼はなぜか、お爺さんが先ほどの儀式で使っていた木彫りの仮面をかぶっていた。
月明りが老爺の笑った面を照らし出し、凹凸が作り出す影が豊かな表情を作り出す。だが彼がその面の下で本当はどんな表情なのかは分からない。
「なぜ禁忌破ってざ、
喉を無理やり締め付けたような、ひどく気味の悪い声だった。
彼は言い終わると同時にゲホ、と咳き込んだ。
「……やめてよ、ふざけてるの?」
はじめハルは苦笑いして、とりなそうとした。
しかし――
「禁忌破る
彼は仮面の下でカカ、と不気味に嗤う。
「キンキ……?」
ハルは彼が何の話をしているのか、全く見当がつかなかった。
「くったんいっぜぇ
いかにも何かに憑りつかれたような、年に似つかぬ喋り方――
どうしちゃったんだろう。
まるで人が変わってしまったような冬明にハルは動揺した。
「……アナタは、一体誰なの?」
この問に、彼は歌うように節をつけて答えた。
「
そのダレカは「
「ムエンキ……?」
ハルが聞き返すと、彼はキキ、と笑った。
「知らんけ?
ハルは血の気の引いたような真っ青な顔をした。
「……アナタは、フユアケくんに憑りついてるユーレイなの?」
すると彼は宥めるようにこう言った。
「
彼はすくっ、と立ち上がるとハルの方へと歩いてきた。
「他人に気ぃ使う
意味深長な言葉だった。
不吉な予感がして、ハルは言葉を発することができない。
「まだ分からんけ?
怯えるハルの顔を覗き込んで、彼は大きくため息をついた。
「
彼はさも面白そうに、クク、とハルを嘲笑った。
「死んだ……? アタシが?」
この時点で、ハルには全く自覚がなかった。
だが――
「さーざ。
思い当たる節があって、ハルはハッとした表情になった。
彼は彼女が言い返せずにいるのを見てほくそ笑んだ。
「
「……スイキ?」
「川ん霊ざ。
(川の霊だ。七月に川辺で遊ぶ子供を捕まえるのが水鬼だ。水鬼に捕まった子供は自分も水鬼になるんだよ)」
ハルは愕然とした。
「……でも、アタシはまだ生きてるわ」
ハルは必死に強がったが、彼はまたあのおどろおどろしい声で語り出した。
「
ええ
ざぜん、
(七月は鬼月だから、この一月はどんな霊でも人間の姿でいられる。
いい人、悪い人、トンボ。悪鬼、タブノキ、溺れ死んだ者。みんな同じだ。
だが、一ヶ月で『身代わり』が見つからなければ、お前は本当に死んで、地獄に行くんだ)」
流れるようによどみなく、歌い上げるような独特の節回しで話す彼。
まるで雲をつかむような話だったが、彼の鬼気迫る口調には有無を言わせぬ真実味があった。
「……アタシは、地獄に落ちるの?」
ハルは震える唇で聞くと、彼はケケ、と笑い声を漏らした。
「さーざ。血ぃ抜き、舌抜き、釘打ち……。
この時、ハルは仮面の奥に潜む彼の瞳を見た。こちらを見据えるその双眸は暗く、ハルはそれを見ているだけで戦慄した。
「なんでアタシが……? アタシが、そんなに悪い子だから……?」
これを聞いて、彼は苦笑した。
「
彼はハルのワンピースを指さして、得意げに先ほどの村人の口真似をしてみせた。
そんなの、メチャクチャだ。
ハルは思わずこう言った。
「……それだけ? そんなことで? そんなの、知らない――」
「知らんぜぁすまんざ(知らないでは済まないんだ)」
彼は憤るハルの言葉を遮った。
「なんで?」
ハルは最大の疑問をぶつけた。すると彼は、これまた最も簡潔に答えた。
「すれが
「メイ?」
「命運ったざ。全ては
それは、あまりにも理不尽だった。
「たんま、
絶望するハルに、彼は冷たく言い放った。
「『身代わり』って何? さっきから何言ってるのか、全然分からないよ」
ハルは訳が分からないというふうに喚いた。しかし、ハルの気持ちなどおかまいなしだった。
「
彼は来るべき最悪の未来について告げると、身体をブルッ、と大きく震わせてその場に崩れ落ちた。
ハルはとっさに彼の体を受け止めた。
「大丈夫?」
ハルはそう呼びかけて彼の体を揺すった。仮面を外して顔を見てみてもみたが、息はしているようだった。
気を失っているだけかな。
ハルの心配をよそに、冬明は結局朝になるまでそのまま目を醒まさなかった。
一度にたくさんのことを言われて、ハルは頭の中がぐちゃぐちゃだった。
アタシが幽霊で、一ヶ月以内に誰かに憑りつかないと地獄に落ちる?
そんなのバカげてる。
ハルは自分にそう言い聞かせた。だがそう思う一方で、冬明には明らかに何かがとりついているようにも見える。
自分はどうすればいいのか――この日からずっと、ハルはこの答えの出ない問いを抱え続けることとなった。
(第一部 鬼月禁忌・終)
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