4.

 思えば、最初から冬明だけが頼りだった。

 

 山道をしばらく歩いて行くと、川に細い吊り橋がかかっていた。

 二人は老朽化して今にも落ちそうなその橋を渡って、反対側にあるという冬明の村を目指していた。

 とっぷりと日が暮れ、暗やみの中聞こえるのは川のせせらぎと虫の声のみ。

 時折吹く湿気を帯びた風が橋を揺らし、ハルは手すりの縄をつかんでしゃがみ込んだ。

「きゃぁっ!」

 すると先へ行っていた冬明が戻って来て、先ほどのようにまた彼女に手を差し伸べた。

「歩かぁる?(歩ける?)」

 冬明は微笑んだ。

「足気ぃつけな、ハルちゃん(足に気を付けてね、ハルちゃん)」

 ハルは冬明の助けを借りて、ゆっくりと立ち上がった。

「……うん」

 風が収まるのを待ちながら前方を見やると、遠くの山の中にぼうっ、と灯りが浮かび上がっているのが見えた。

 どうやら山間に小さな集落があるようだ。

「……あれが、フユアケくんの村?」

「うん、椨中たぶなか村ざ(うん、椨中たぶなか村だ)」

 二人が吊り橋を渡り切ろうという時、どこからかドン、ドン、というゆっくりした太鼓のリズムに合わせて何かの楽器の音が聞こえてきた。


 木々の間を潜り抜け、雑草だらけの道を進んでいくと森が開けた場所に出た。

 すると二人の目の前に、赤い柱に黄色い屋根瓦の乗った門が現れた。両脇には松明が置かれ、炎から火花がパチン、パチンと散っている。

「これって、お寺?」

 ハルがそのお城のような門を指さすと、冬明は答えた。

「うん、天宮てんぐうさんざ(うん、天宮さんだ)」

 冬明に導かれるまま、ハルが境内に足を踏み入れると――

 たくさんの見物人が、どこからかやって来る踊りの行列に声援を送っていた。

 彼らの視線の先には、黒い刺青をした上半身裸の男たちと、仮面を纏った一人の老人がいた。

 行列の入場とともに爆竹に火がつけられ、辺りに笛や太鼓の音が響く。男たちはそれに合わせて何かの歌を歌い始めた。

冥途めいつ五里霧中ぐりむちゅうぅ、

 御霊ぐりゅう後生ぐしゅう大事でーじぃ、

 くれが無せりゃ一大事いちでーじぃ……

(あの世は五里霧中、

 先祖の霊は後生大事、

 これがなければ一大事……)」

 揺れる炎に照らし出されて男たちの目は爛々と輝き、肌はてらてらと光沢を放っていた。やがて、彼らは先頭の仮面の老人に導かれ、お寺の本堂へと向かってゆっくりと歩いて行った。

 ハルは今まで見たことのないその異様な光景に目を見張った。

「今日は何のお祭りなの?」

 人混みの後ろで、ハルは隣にいた冬明に質問した。

「『御霊送ぐりゅううくり』ざ。毎年めーつし七月しちげつにやっちゅる(『御霊送ぐりゅううくり』だ。毎年七月にやってる)」

 冬明は大して面白くもない、というふうに返事をした。

 盆踊りなのかな。でも、まだ八月じゃない。

 ハルが不思議に思っていると、冬明が急にきょろきょろと周囲を見回し出した。そして彼はたっ、と駆け出すと、後ろを振り向いてハルの方に目配せした。

 ついて来い、ってことかな。

 ハルはとりあえず一旦お寺を離れ、冬明の行く方へと向かった。

 しばらく歩くと、ツタに覆われた一本の立派なタブノキがあった。この大きな木は村の中心にある霊木で、この日は根元に祭壇が設置され線香やお供え物が置いてあった。

 冬明はその中からラムネの瓶を二つほどくすねると、その場で飲み始めた。

「……いいの、そんなことして」

 ハルが咎めるも、冬明は特に悪びれる様子もない。

「ハルちゃんみや、うまさい(ハルちゃんも飲みな、おいしいよ)」

 冬明はハルにその黄色いガラス瓶を手渡した。

 なんだか悪い気がしたが、ハルはそれを受け取って口をつけた。

 だがそのラムネを少し口に含んだ時、あることに気づいた。

「このラムネ、レモンの味がする」

 ずっと歩き通しで疲れていたせいか、それはとても美味しく感じられた。

 しかし、ハルの言葉に冬明はなぜか少し吹きだして、

「何言うちゅんざ、『』なんてラムネざらんぱ?(何言ってんだ、『レモン味じゃないラムネ』なんてラムネじゃないだろ?)」

 と言いながらラムネをラッパ飲みした。これにはハルも当惑した。

 しかし勢いよく飲んだせいか咽てしまい、冬明は激しくゲホゲホ、と咳き込んだ。

「……大丈夫?」

支障ししゃーなせ、支障ししゃーなせ(大丈夫、大丈夫)」

 彼はそう強がったが、再び咳き込んだ。その様子を見てハルはクスッ、と笑った。

「ハルちゃん、やっつく笑ぁてな!(ハルちゃん、やっと笑ったな!)」

 彼女の笑顔を見て、冬明はとても嬉しそうだった。

 互いに笑い合う二人――しばしの平和なひと時だった。

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