2.

 どことも知れぬ山道に一人取り残された彼女――

 暗澹とした森の中、月明かりが頼りなく彼女の頭上を照らす。

「どうしよう……、どうしよう……」

 ただ全てを黒く染めあげる深い闇が、圧倒的な孤独が、彼女の心を喰らっていた。

 遠くからカラスかフクロウの類の声が聞こえるたび、彼女は恐れ戦いた。

 小学生の女の子が歩いて移動できる距離などたかが知れている。

 それでも、彼女はその細い山道をたった一人で進んでいった。


 歩き始めて数十分経った頃――

 視界の端に見えた僅かな灯りを目指して前進していくと、蝿の群がる電灯の下にポツン、と佇む人影があった。

 子供なのかあまり背は高くなく、逆光のせいで表情が見えない。しかしその人影は、少女の方をじっと見つめているようだった。

 そしてソレは、次第にそろり、そろり、とこちらへ向かって歩いてきた。

 彼女の心臓が一気に早鐘を打った。

 怖い。

 まるで金縛りにでも遭ったかのように、彼女の体は自由に身動きする能力を失った。足の震えが止まらず、それでもソレから目が離せない。

 もうだめだ。

 彼女がそう覚悟を決めた時――

「――やい(おい)」

 少年の声、だった。彼は優しく微笑みかけると、彼女に近寄ってきた。

「……」

 彼女は警戒したまま言葉を発することができない。しかし、近づいてみたら何のことはない、彼は彼女と同い年ぐらいの男の子だった。

「きっちゃん、『』ちゅうんけ?(君、『スズキハル』って言うのか?)」

 探りを入れるように、彼はそう声を掛けた。

 しかし――

「……そう、ですが」

 、鈴木ハルは震える声で答えた。

 すると、その紺色の着物を着た男の子はほっとしたように話し出した。

「やいやい、うったまげっけ。まっさっけ服着ちゅるし、幽霊けうむうてい(あーぁ、びっくりした。真っ赤な服着てるし、幽霊かと思ったよ)」

 ハハ、と歯を見せて笑う彼――言葉に独特の訛りがあるせいでハルには少し聞き取りづらいものの、少なくとも悪意は感じられない。

「……ユウレイ?」

 ハルは自分の方が幽霊だと思われていたことに驚いた。

「さーざ。『っけ服ん』、やめっつ出るが。知らんけ?(そうだ、『赤い服の子』、山に行くと出るやつ。知らない?)」

 彼は怪談話でもするようにおどろおどろしい声を出した。

 しかしハルは、先ほどから気になっていた質問をした。

「なんで……、アタシの名前知ってるの?」

 すると彼はきょとんとした顔で、ハルの持っていた水着入れを指さした。

「すりゃ、に書いてあるげぇ(そりゃ、あそこに書いてあるから)」

 そういえばそうだった。

 ハルはひとまず胸をなでおろした。気が抜けたせいか、彼女はその場にへたり込んでしまった。

大事でーじけ?(大丈夫か?)」

 その男の子は心配そうに彼女の顔を覗き込んだ。

「あの……、名前は?」

 今までの緊張がとけてきて、ハルはその男の子に尋ねた。

「『冬明ふゆあけ』ざ(冬明ふゆあけだ)」

「ふゆ……あき……?」 

「フユアざい。うれが『冬』で、きっちゃんが『春』。偶然ざな!(『フユアケ』だよ。俺が『冬』で、君が『春』。偶然だな)」

 冬明はそう言って、もう一度にっこり笑って手を差し伸べた。ハルはその手をしっかりと握りしめて、再び立ち上がった。

「ざぜん、くったん山んなけぇ、なんてざ?(だけど、こんな山ん中へ、何しに来たんだ?)」

 冬明は不思議そうに首を傾げた。

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