第135話 ※仕方がないので待ちましょう。

 季節は秋。


 時折、心地の良い涼しい風が吹く中、自宅のベランダで少女と二人きりになったトオルは、緊張しつつもどこか妙な安心感に包まれていた。


 決して綺麗でもなければ、ロマンチックでもないこの場所だが、彼女がそこにいるだけで不思議と特別に感じられる。



 ──石徹白さんとこんなことをしているなんて、今でも信じられないな。



 そんな状況を改めて俯瞰的に考えれば、なんともおかしなことになったものだと気づかされることだろう。


 そもそも、彼女は高嶺の花として君臨する存在であり、自分のような存在がこうして並べること自体が奇妙な話だったからだ。



 ──でも、これは夢じゃない。



 だが、彼女は現にそこにいて、顔を赤くしながらこちらの出方を窺っている。


 今さら彼女の想いを疑う余地はなく、鈍感なフリをしてはぐらかすことは誰も得をしない。



「石徹白さんってさ、ほんと友戯のこと好きだよね」



 故に、正しい答えを導き出すために、彼女のことを知る必要がある。


 そう考え、さっそく一つ目の話題を振ることにした。



「え、うん。それはそうだよ」



 すると、彼女は何を躊躇うことなくこくりと頷きを返してくる。



「遊愛ちゃんは初めてできた友達だもん。それに、あの気兼ねの無いところとか、普段はクールだけど凄く優しいところとか、好きにならない方がおかしくない?」



 友戯のことを話す石徹白さんはとても楽しそうで、内容も充分に同意できるものだった。



「はは、確かにそうだね。実は結構抜けてるとことかも俺は良いと思うけど」

「あ、分かる! 指摘すると拗ねるのも可愛いんだよね〜」



 トオルが乗っかってあげると、彼女もくすりと笑いながら首肯してくれる。



「それにしても、あの無防備さはちょっと心配になるけどね……」

「あははっ、大丈夫だよ。それは日並くんが相手だからってだけだから」



 そうして、友戯のことを話し合っているうち、



「……ねえ、日並くん」

「ん?」



 石徹白さんは急に声のトーンを下げると、



「やっぱり、さ。遊愛ちゃんのこと選んだ方がいいよ」



 少し寂しげな顔をしながら、そう提案してきた。



「ほら、私は遊愛ちゃんのことが好きで、日並くんもそうなんだし。遊愛ちゃんが喜んでくれたら私も嬉しいし、それなら誰も傷つかないでしょ?」



 友戯のことを慮っての言葉なのだろう。


 裏取引とも言えるようなその発言に、トオルはチクリと心を痛めるも、



「そんな悲しそうな顔しながら言われてもなぁ……」

「っ、そ、そんな顔してないよっ……!」



 あえて、おどけるようにそう教えてみせれば、彼女は自身の顔をむにむにと触って誤魔化そうとしてきた。


 その健気さはやはり友戯と比べても遜色がなく、お互い似た者同士なんだなと、心が温かくなってくる。



「してるって」

「してないっ」


「してたよ──」

「してないってば──」



 二人の優しい想いに多少の余裕を抱いたトオルは、しばらく不毛な言い合いを続け、



「──もうっ……だったらなんなの! 私のこと選んでくれるの!?」



 やがて、からかわれていることに気がついた石徹白さんは、いきなり核心を突いてきた。


 彼女からしたら、必死に隠そうとしているものを弄られているようなものだ。


 こうして不満が吐き出されるのも当然のことだろう。



「……それは、学園祭が終わるまでにハッキリさせるよ」



 とはいえ、未だ自身の答えが正解か見い出せていないトオルには応えることができず、



「ずるいよ、それ……」



 石徹白さんは泣きそうな顔で俯いてしまった。



「そんな、思わせぶりな態度されたらさ」



 そして、震える声でぼそりと呟き始めると、



「期待、しちゃうよ……」



 堪えきれないように、本心を語ってくれた。



 ──うん、言う通りだ。



 もちろん、トオルとてそのことに気がつかぬほど、人の心が無いわけではない。


 期待した分だけ、裏切られた時の傷も深くなる。


 それは当然のことで、今の自分の行いがそれを助長していることは言うまでもないだろう。



「そう、だよね……」



 トオルは迷った。


 今、彼女に伝えるべきだろうかと。


 少なくとも、そうすれば彼女が無駄な悩みから解放されることは間違いない。


 しかし、一度口にしてしまえば引っ込めることは許されず、どうしても尻込みしてしまう。


 臆病な自分が嫌になるが、こればかりは全く経験の無いことなので、どうか許して欲しかった。



「っ……石徹白さんっ!」



 結果、逸る感情に背中を押されたトオルは、なんとか声を絞り出すと、



「な、なに、かな……?」



 彼女もまた、何かを察したのか、固い表情で尋ね返してくる。


 にわかに走った緊張に、トオルは唾を飲み下すと、



「これだけは、伝えておくよ」



 決して視線を逸らすことなくその瞳を見つめ続け、



「俺にとって、友戯も石徹白さんも、大切な人だ」



 乾いた声で、されど強い意志を込めた声で、語りかけていった。



「それはきっと、二人も同じ気持ちだと思う」



 視界がグラグラと揺れる中、それでもこのままにはしておけないと、言葉を紡いでいく。



「だから、俺も考えた。どっちを選べば、正解なのかって」



 正直な気持ちを吐き出しつつも、頭の中では言葉を選んでいき、



「……実はもう、ほとんど答えは決まってるんだ。でも、あと少しの勇気が足りなくて……だから、情けない話だけど、時間が欲しいんだ」



 今伝えられる部分までだけでもと、そう教えてあげた。


 もし、全てを伝えたとしたら、どんな反応をされるのか。


 石徹白さんにしても、友戯にしても、想像はつい嫌な方向へと傾いてしまう。


 トオル自身、男らしく無いことは自覚しているが、怖いものは怖いのだ。



「日並くん……」

「ごめん、石徹白さん。俺のせいで……」



 いっそのこと、これで嫌われてしまった方が楽かもしれないと、そう思うも、



「はぁ……それで、私たちにはモヤモヤしてろーってこと?」

「うっ……」



 ため息をつきながら、ジトッと睨んでくる彼女の声はどこか柔らかく、



「日並くんらしいね、そういう情けないところ」

「おっしゃる通りです……」

「くすっ……じゃあ仕方ない、私が手伝ってあげる」



 一方的に責めてくる様は不思議と楽しげだった。



「手伝うって」

「うん、どうせ日並くんのことだし、放っておいたら先延ばしにしてきそうでしょ?」

「そ、そんなことは……!」



 好機とばかりに詰め寄ってくる彼女に、トオルはたじたじになるしかなく、



「だから、そうだなー……」



 唇に指を当てながら考える、あざとい仕草に目を奪われているうち、



「そうだ、学園祭!」



 何やら良いことを思いついたのか、彼女は手鼓を打った。



「デートしようよ。私と遊愛ちゃん、それぞれ時間決めてさ」



 名案だとばかりに、そう告げてきた石徹白さんは、



「それで、日並くんのハートを射止めた方の勝ち! どんな結果になっても、お互い恨みなしって、ことで……」



 喋っている途中、段々と恥ずかしくなってきたのか、声がしりすぼみになっていく。


 一応、言いたいことを理解したトオルは、しかしどう応えたものかと悩み、



「……な、なに、文句あるの?」

「いえ、無いですっ」



 最終的に、顔を赤くしながら睨んできた石徹白さんに負け、承諾することとなっていた。


 正直、自分の都合で二人を争わせるのは申し訳なかったが、答えを判断するうえで役に立つこともあるかもしれない。



「そ、それじゃ、遊愛ちゃんには私から伝えておくから。今日はもう帰るね?」

「ああ、うん──」



 そう結論づけたトオルは、足早に逃げ去ろうとする彼女の背を追いかけた。


 この先、学園祭で待つ結果がどんなものになろうとも、必ず決着をつけてみせると、そう胸に刻みながら。










 その後しばらく、二人を遊びに誘って交流を深めつつ、学園祭の準備を進めたトオル。


 約束のこともあってぎこちなくはありつつも、少しずつ自身の答えに確信を抱くことができた日々は、あっという間に過ぎていった。


 やがて、三人がそれぞれの決意を固めたところで、泣いても笑っても最後になるであろう、決戦の日が迎えられるのだった。

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