第123話 ※一度溢れれば止まりません。

 想定通りに進むはずだった作戦は、ほとんど友戯が原因となっておかしな方向へと流れそうになっていた。



 ──もうめちゃくちゃだ……。



 無断で参加者を増やすわ、計画を曲げて石徹白さんを巻き込むわで、何もかも破壊し尽くされてしまっている。


 もちろん、こっちは手伝ってもらっている側なので文句を言える立場でも無いが、



 ──そこまでして俺を避けたいのか……?



 その理由のことを思うと、悶々とした感情が生まれてきてしまうのも仕方がないだろう。


 いくらこっちから歩み寄ろうとも、これではどうしようも無いではないかと、友戯への不満が少しずつ溜まってくる。



「え、私……?」



 トオルが嫌な気持ちになっている間、石徹白さんも戸惑った様子を見せていたが、それも当然だろう。


 わざわざ友戯と役割を入れ替える理屈は思い当たらず、フリとはいえよりによって気まずい関係のトオルと組み合わせようと言うのだ。


 友戯からしたら知らないこととはいえ、石徹白さんからすれば迷惑なことこのうえないはずである。



「うん、私だとほら、恋愛相談する必要あるのかーとか、思われるかもだし……」



 対し、友戯がどんな理論を持ってくるのかと思えば、なんとも微妙なところを突いてくるものだった。


 確かに、大好さんの視点から見れば、わざわざ人を集めて作戦を立てるほどのことなのかと疑問に思われる可能性も無くはない。


 ただ、特段違和感がある話というほどでもなく、石徹白さんを引き合いに出す必要があるとも思えなかった。



「あー、まあ、そういう可能性も……?」



 景井は立場上、否定するのが難しく、



「ええっと……」



 石徹白さんは承諾するにも拒否するにも悩ましい立場のため、困ったように目を泳がすばかり。


 おかげで、部屋の中にはなんとも気まずい空気が立ち込め、



「っ、あ、だ、ダメだった……?」



 流石に言い出した本人も気がついたのか、おずおずと尋ねてくるが、



 ──はは……そんなこと言われたら、みんなダメって言いにくいだろ……。



 トオルは内心でズルいものだと思ってしまう。


 すっかり見慣れた可愛らしいその顔も、今だけはどこか憎らしげに映ってしまっていた。



 ──いや、そうじゃないよな。



 だが、どんどんと沈んでいく気分に、無意識に戻ってきた理性が警鐘を鳴らす。


 そのままいこうものなら、ろくなことにならないぞ、と。



 ──落ち着け、俺。



 故に、自身の心に直接、語りかけるように宥めようと試みる。


 きっと疲れているだけなのだと、ささくれだった感情に蓋をしようとし、



 ──ああ、でも……。



 にも関わらず、考えれば考えるほどに胸の内はザワついてくるばかりで、



 ──友戯からしたら、もう……。



 ここ最近、蓄積され続けていた鬱屈とした気持ちもあったのだろう。


 限界を迎えた感情の波は、理性という名の堤防を易々と超え、



「──嫌なら、そう言えば良いんじゃないか」



 気がつけば、オブラートにも何も包まれていない、棘のある声を吐き出してしまっていた。


 瞬間、元より緊張の走っていた空間は、完全に凍りつき、誰一人として動かなくなる。



 ──言ってしまった。



 後悔をしたかしていないかで言えば完全に前者のトオルではあったが、だからといって引っ込める気もさらさら無かった。



「別に、フリをするだけだろ。それも嫌なら、我慢してまで付き合う必要なんか無い」



 一度決壊した心は、止めどなく溢れ出し、



「悪いな、こんなのに付き合わせて。元々、俺と景井で始めた話だ、後は二人で何とかするよ」



 誰かを傷つける言葉となって、周囲に撒き散らされる。



「それじゃあ、今日はこれで解散ってことで」



 こんなこと、意味が無いと分かっていても、まるで制御は利かない。


 精々、汚い言葉や罵声が出ないようにするくらいが関の山だった。



「ああ、勝手に帰ってていいぞ。俺はちょっと、飲み物とか、片付けてくるから」



 わけも分からず避けられていること。


 親友のはずの自分に、大事な何かを隠していること。


 そんな、くだらないことで怒っている自分が恥ずかしくて、みんなの顔が見れない。



 ──最低だ。



 だから、後はもう、逃げるように部屋の外へ出て行くことしかできない。


 この期に及んで、彼らに嫌われてしまったかもしれないことが辛いと、自業自得なことに心を痛めながら。








 部屋の主が一人、有無を言わさぬ雰囲気でこの場を去ったその後。


 残された者たちの間には寒々しい空気が流れていた。



 ──え、えぇ……!? 何が起きてるの〜!?



 その内の一人である少女──石徹白いとしろエルナもまた、そんな雰囲気に堪えられるわけもなく、困惑を表に出さないようにするので精一杯であった。


 何がいったいどうなったらこうなるのか。


 景井静雄かげいしずおの恋を応援するという話で呼ばれたかと思えば、全く関係ないところで諍いが生じたのだから、そう思わずにはいられない。



 ──日並くんが怒ってるとこ、初めて見た……。



 どんなに迷惑をかけても、常に優しい笑顔を向けてくれた彼が、これだけの人前で激情を隠せなかった。


 その事実に、自然と鼓動の音は激しくなり、彼の感情が伝わってきたかのように心苦しくなる。



 ──私に、じゃない。



 もちろん、その矛先が自分に向いていなかったことくらい、分かっている。


 それでも、これだけ心が痛むのだ。



 ──そうだ、遊愛ちゃんは……!



 おそらく、直接ぶつけられた当人はもっと傷ついているに違いないと、ようやく意識を掴み取ったエルナは親友である少女の方を振り向き、



「あ」



 その顔が悲しそうに歪んでいるのを見た時、かける言葉はまるで出てこなくなってしまった。


 俯き、何かを抑えるように歯を食いしばるその姿は見るに堪えず、釣られて自身の目もとまで湿り始める。



 ──遊愛ちゃん……。



 ここに来て、エルナは自分が何も知らなかったことに気がついた。


 プールでの一件以来、意図して彼から距離を取っていたが、まさか二人の仲がこれほどまでに拗れていたとは思いもしなかったのだ。



 ──最近、妙に優しいなとは思ったけど。



 記憶を思い返せば心当たりはあった。


 以前は自分から絡むことがほとんどだった彼女が、ある日を境に積極的に遊びに誘ってくれるようになったのだ。


 当時はシンプルに喜ぶだけだったが、時間が経つにつれ多少の疑念も抱くようになっていたはず。


 なぜ異変に気づけなかったのかと、己を叱咤したくなるエルナだったが、



「……私、帰るね」

「あっ、遊愛ちゃ──」



 学生鞄を背負った当人が早々に部屋を出ていってしまったことで、それどころでは無くなってしまう。



「あー……失敗したなー……」



 追いかけようか悩んでいるうち、背後から聞こえてきたカラカラに乾いた声に振り向くと、眉間を押さえて落ち込む男子の姿が映った。



「……何か知ってるの?」



 言葉が見つからないままに追いかけても無駄かもしれないと、ひとまず気になったことを彼に尋ねてみる。



「ああ──」



 すると、彼は惜しみなく知ってることを話してくれた。



「──両面作戦だったんだね……」

「うん、上手く焚きつけられたと思ったんだけどねー……はぁ……」



 そうして一部始終を理解したエルナは、やっとこの状況に納得を得る。



 ──まさか、そんなことになってたなんて。



 彼が言うにはこうだった。


 最近、日並くんと遊愛ちゃんの距離感がおかしいことに勘づいたため、自身の恋のついでにというていで上手いこと誘導したのだと。


 実際、二人が会う口実ができて、日並くんが積極的に動くようになったという点を鑑みれば、割と成功している部類だろう。



 ──でも、遊愛ちゃんがそれ以上に避けたがってたから……。



 一つ失念したことと言えば、彼女の方はそう簡単な内情に無かったことだった。


 しかし、こればかりは彼を責められるようなものでもない。


 そして、起きてしまったことを今から無かったことにするのもまた、不可能である。



 ──だったらっ……!



 そこまで考えを整理したところで、心も落ち着いてきたエルナはある決意を固めると、



「じゃあ、日並の方は俺がどうにかしとくから──」



 気を遣ってかけてくれたその声に、



「ううん、私に任せて」



 割り込むことも厭わず、そう告げた。



「え、でも……」

「大丈夫、自信あるから!」



 景井くんには怪訝な顔をされるが、ここで引く気は毛頭ない。


 もちろん、言葉ほどに自信があったわけでもなく、



 ──まだ、分からないことも多いけど。



 遊愛ちゃんが避けている理由も、日並くんがあそこまで激昂した理由も、何もかも分からないことだらけだったが、



 ──それでも。



 エルナには確かにあった。



 ──今度は私が、二人に恩返しする番だよねっ……!



 自分自身がそうしてあげたいという、強い動悸が。


 故に、迷うことなく部屋の扉を開けると、



 ──まずは、日並くんから!



 廊下を進んだ奥にいるであろう、少年のもとへと向かうのだった。

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