第109話 ※おおよそ当たっています。
ハグ──それはつまり抱擁という意味であり、感動を分かち合う時や、国によっては挨拶としても扱われるコミュニケーションの一つである。
こと日本においては馴染みの薄い文化であり、男女のそれとなればさらに遠いものであるのだが、
──お、おぉっ……!?
しかし今、トオルはそんなご挨拶を一身に受け止めさせられていた。
ついでに言えば、恋人の関係ですらない美少女に、である。
しかも、その胸は豊満であるうえ、水着という極限に近い薄着でもあるため、彼女の柔い感触と体温が文字通り布一枚を挟んだだけの状態で伝わってくるというおまけ付き。
「い、石徹白さんっ……?」
突然の不意打ちに困惑するトオルは、震える声で背後にいるはずの少女に問いかけるも、まるで返事が帰ってこない。
──っ……どうしたんだ石徹白さんっ……。
それどころか、少しでも動こうとすると、胸に回された手にギュッと力が込められる始末。
これでは無理に振りほどくことも適わず、ただひたすらにドギマギさせられることしかできない。
──あっ……。
と、そうして二人してジッとしていると、ふと自分のものではない鼓動の音が聞こえてきていることに気がつく。
自身と同じく、バクバクと激しく鳴るそれに親近感を覚えると同時、彼女にとっても決して気軽なものではないことが分かり、余計に緊張が高まってきてしまう。
「あ」
そんな、どうしようもないほどに膠着した時間は、やはりこの事態を引き起こした彼女が身体を離したことで終わりを告げる。
「えっと、今のは──」
何とも奇妙な寂しさを感じつつ、流石に聴かないわけにはいかないだろうと背後を振り向き、
──耳、真っ赤だ。
その時にはもう、彼女もこちらに背を向けてしまっていた。
分かったのは、先ほどの推測が十中八九当たっているということと、
「……ハニートラップ」
「──はい?」
おかげで、直後の発言にまるで説得力あるが無かったこと。
「そういうこと、だからっ……!」
そして、逃げるようにパシャパシャと音を立てながら走り去る彼女は、結局練習の成果を生かすことは無かったということである。
残ったトオルは、視界から姿が消えるまで無意識に彼女の背を追い、
──そういうこと、なのかッ……!?
直前に聞いた捨て台詞を反芻していた。
もちろん、ハニートラップがどうのという話ではない。
──石徹白さんが、俺のことをっ……。
彼女が自身に向けている感情が、特別なものなのでは無いかという、期待も多分に含まれた確信である。
今までなら、確かにからかわれているだけの可能性も疑ったかもしれない。
ところが、今回ばかりはそう思える気が全くしなかった。
──だって、あれはもうっ……!
そこに、言葉があったわけでは無い。
ただ、確かにあの時、彼女から伝わってきのだ。
『離れたくない』
例えば、柔らかくも力強かったあの腕の感触だったり、
『ドキドキする』
例えば、甘くも苦しい心臓の拍動だったり、
『いつまでもこうしていたい』
例えば、永遠のような静寂から名残惜しそうに離れるまでの、短くも長い一時だったりがである。
──追いかけるべき、なのか……?
全て、想像の産物でしかない。
でも、もし本当にそうなら、今すぐにでもその背を見つけて、同じことをやり返してあげるのが正しいことなのではないだろうか。
少なくとも、ついそんなことを考えてしまうほどに、トオルの心は彼女へと惹きつけられていた。
──いや、俺が選べるような立場かっ……!
そして最終的に、彼女ほどの美少女の想いを吟味するほどの価値が自分にあるのかと、消極的な考えに突き動かされたトオルは、まだ近くにいるかもしれないと水をかき分けていくのだった。
一方その頃。
──はぁ……つい逃げちゃったけど、どうしよう……。
親友から向けられた男の子としての本能に臆してしまった少女──
──だって、あのままだと変な気分になりそうだったし……。
驚きはしたものの、決して怒っているということはなく、どちらかと言えば自分がおかしなことを言わないかの方が心配なくらいだった。
今まで、先を行く友人からその類の話を聞いた時はまるで理解できなかったが、今となっては骨身に染みるほどに分からされている。
──うぅ……日並……。
彼の顔を考えるだけで、自然と顔が熱くなってしまうのは、きっとこの格好のせいもあるだろう。
意識していれば、すぐに分かる。
日並の視線がどこに向かっているのか。
──私のこと、えっちな目で見てるっ……。
思い出すだけで、ゾクゾクッと妙な心地良さが走る。
彼が何をしたいのか、もしそれに応えたらどうなるのか、その先を想像すると堪らない気持ちになるのはもはや当然のことだった。
──もし、もしもこの後。
帰宅途中、そのまま彼の家に寄って、この格好で迫ったらどうなるだろうか。
──わざと、気づかないフリして。
照れる彼をからかい続けて、挑発するように面白がったら、
──そうしたらきっと、日並は我慢できないから。
誰もいない二人きりの部屋で、都合良いとばかりに押し倒されるに違いない。
後は、ちょっぴり形ばかりの抵抗をして、彼に身を任せるだけ。
──あぁ……だめ……。
彼の手が、自分を抱きしめてくれる。
彼の指が、肌の上を優しく撫でてくれる。
その光景を想像するだけで、いけない感情が沸々と芽生えてきてしまう。
──って、いい加減目を覚まさないとッ……!!
そうこう考えているうち、見覚えのない場所まで来てしまっていた遊愛は、慌てて寝ぼけた思考を振り払った。
これでは、日並よりも自分の方がそういうことを求めているみたいではないかと、プールに飛び込んで頭を冷やしながら自戒する。
──日並は友達……だけど……。
が、しかし、残念なことに煩悩は簡単に消えてくれるようなものではないらしい。
仲良くなりたいという純粋なはずの感情はとめどなく、超えては行けない一線を容易く跨がせようとしてくる。
──と、とりあえず、日並と合流しよう。
このままでは駄目だと、まずは行動を起こすことにした遊愛は、
「っ!?」
次の瞬間、偶然にもこちらへと向かってくる目標の人物を補足し、
──なんで隠れてるの……!?
思わず、水中に潜って隠れてしまっていた。
何やら、急いだ様子の彼は遊愛に気づくことなく横を通り抜けていき、やがてプールから陸へと上がっていったが、
──? どこ、行くんだろ。
その行動に、妙な違和感を覚える。
自分を探しているにしては、わざわざプールに入っていたことが不可解であったのだ。
──付けてみよ。
まさか、先ほど出会った謎の巨乳美女でも探しているのであろうかと、途端に刺々しい気持ちが湧いてきた遊愛はすぐにその後を追う。
──いたっ……!
しばらくして、一瞬見失った少年の背を視界に捉えた遊愛は、彼が立ち止まっていることに気がつくと、
──誰か、いる?
その奥に、何者かがいることを悟る。
やはりあの女性だろうかと、モヤモヤとした感情が強まった、その直後。
遊愛は想定外の衝撃に固まることとなった。
何せ、
「石徹白さんっ……!」
彼が口に出したのは、本来この場にいないはずの少女の名であり、
「さ、さっきの答え、いいかなっ──」
その真剣な雰囲気は、まるで今から告白するかのようにさえ思えたのだから。
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