第106話 ※偶然はそう重なりません。

 程よくお腹を満たして向かった、ウォータースライダーの列。


 疲労感は残っているものの、これならそこまで運動しないだろうと安心しながら順番を待っていたのだが、



「それでは、後ろの方は前の方の横に足を入れていただいて──」



 いざ、次は自分たちという所まで来た途端、その認識が甘かったことを教えられる。



 ──これ、二人用のやつだ!



 友戯の後ろを深く考えずについていったが、どうやら上手く誘導されていたらしい。



 ──まあでも、これくらいなら今さらか。



 ただ、二人乗りとはいっても間隔がそれなりに空いており、精々脇の下に通した脚が触れ合ってしまいそうなくらいのものであった。


 今まで散々スキンシップを測ってきたトオルからすればその程度、どうということはない。



「次の方どうぞ〜」



 特に緊張することもなく案内に従ってスムーズに準備を整えると、



「うわ、ヤバそう……」



 水が勢いよく流れる前方を見ながら呟く友戯の声が聞こえてきた。



「あれ、意外と苦手だったり?」

「別にそういうわけじゃないけど……あまりやったことないから……」



 もしかしてと思い聞いて見るも、どちらかといえば未知への不安に近い様子だった。



「だから、その……もうちょっとちゃんと締めてもらってもいい……?」



 それが素なのか演技なのかは分からなかったが、とりあえずそう言われれば従わざるを得ない。


 トオルはすぐに足を閉じ、ピトッとくっつくほどに友戯の腰を挟んであげた。



「んっ……!」



 それがくすぐったかったのか、少し艶っぽい声を上げる友戯。



「準備は良いですか?」

「あ、はい、お願いします」



 ちょうどよく案内の女性が声をかけてきたところで、トオルが了承の返事をすると、ようやく二人を乗せた浮き輪が動き出す。



 ──く、来るぞっ……。



 下から見た時よりも遥かに厳しく感じる傾斜。


 それを前に、友戯の心情を少し理解したトオルは、ゴクリとつばを飲み込み、



「っ……ぉぉおおっ……!?」



 直後、勢いよく管の中へと身体が吸い込まれていく。


 そのスピード感たるや、もはや落下しているのではないかというほどのもの。


 自然、自身の甘さを呪ったトオルは身体を強張らせ、



「うわっ、やばっ──」



 思わず、情けない声を出しそうになった次の瞬間、



「──ん?」



 足先に何か柔らかい感触が伝わってきて、僅かに疑問を覚える。



「ひ、ひなっ──」



 前で友戯が何か言っているが、水しぶきの音や風を切る音でいまいち聞き取りづらく、



 ──あれ?



 そうこうしているうちに、今度は足の指に何かを引っかけたような感覚が走った。


 一体どうなっているのかと思うも、冷静に考えるだけの余裕はなく、結局ゴールまで流されるハメとなったのだが、



「ははっ、中々スリルあったな友戯──っ!?」



 無事に着水してすぐ、トオルは固まった。



「日並……わざと触った……?」



 何せ、振り返った友戯が顔を赤くしながら眉をひそめていたから、



 ──っ、なんでめくれっ……!?



 ではなく、彼女の着るビキニの片側が、上方向に捲くれあがりそうになっていたからである。


 その時、先ほどの感触はこれだったのかとか、密着しすぎたのが仇になったのかとか、色々な思考が頭をぎるも、



「と、友戯っ!」

「っ、えっ……!?」



 まずは何より、隠してあげなくてはと友戯の身体を引き寄せ、覆いかぶさった。



「日並っ、何してっ……!?」

「お、落ち着けっ……大変なことになってるから!」



 突発的な行動に、まだ気づいていないのであろう友戯は顔を真っ赤にしながら反抗してくるが、こればかりは仕方がない。



「え……あっ!?」



 やがて、自分でも違和感に気がついたのか、トオルが視線を逸らしている横で水着を直し始めてくれたようだったが、



「…………」

「…………」



 もちろん、そのまま元の空気に戻るわけもなく、プールサイドへと上がった二人の間には気まずい時間が流れる。



「……やっぱり、そういうことしたいの?」

「い、いやっ、さっきのはあくまで事故というかっ!」

「ふーん、そういうテイってこと……」

「いや、だからですねっ……」



 そして、ジトっと見つめられながら詰問され続けた結果、



「まあ、日並も男の子だもんね……」

「え、あっ──」



 あんなマンガみたいなハプニングを事故とは認められなかったらしい。


 最終的に、そう結論づけた友戯が去っていったことで無念にも閉幕となってしまった。



 ──最近、こんなんばっかだな……。



 残された敗北者のトオルは、トボトボとアテもなくさまよい、



「ね、お願い! ほんの少しでいいから!」

「えっと……」



 どこかから聞こえてきた会話に無意識に引き寄せられつつ、



 ──あれは……。



 やがて、視界の中に既視感のある女性を捉える。


 黒のショートヘアーに、小柄な身体に釣り合わない大きなサングラスをかけた彼女は、間違いなく最初に衝突事故を起こした人物で、



 ──ナンパ、か……?



 何やら、若い男性に声をかけられ、戸惑っている様子だった。


 こういう時、ラブコメの主人公なら間違いなく助けに行くのだろうが、現実には中々に難しいもの。


 男の方は普通にイケメンなうえ、口調に悪意も無ければ物腰も柔らかいため、普通に成功するという可能性もあり得たからだ。



 ──まあ、こんなところで問題は起きないだろ。



 というわけで、見なかったことにしてその場を立ち去ろうとしたのだが、



「あっ!」



 彼らに背を向けようとした直前、こちらに気がついた女性が好機とばかりに近寄ってくるのが見えてしまった。



 ──いや、なんで!?



 言うまでもなく、トオルと彼女の間には大した関係などない。


 少なくとも、この場で頼りにされるほどの存在では無いはずなのだが、実際にそうなっているとなれば、もうどうしようもないだろう。



「あの、この人と約束あるのでっ!」



 躊躇なく腕を引き寄せられたトオルには当然、演技をする準備などできていなかったが、



「……そっか、じゃあ仕方ないね」



 これが本物のナンパ師かとばかりに、青年は軽く手を振りながら爽やかに去ってくれた。


 揉め事にならなかったことに一安心しつつ、



「あの……」

「あ、すみませんっ、私ああいうの苦手でっ!」



 だが、問題もまだ終わってはいなかった。



 ──いや、咄嗟にこれができるならどうにでもなりそうな……。



 彼女は慌てたように弁解しているが、正直に言えば納得はできそうにない。


 どこか、仕掛けがあるかのような不可解さがあったからだ。



「……ところで、なんですけど」



 とはいえ、すぐに思い当たるということもなく、その間に彼女の方から話を振られてしまう。


 もじもじと照れくさそうにする彼女は、



「この水着、ど、どうですか、ね……?」



 何を思ったのか、急に感想を求めてくる。


 あまりに脈絡が無く違和感しかない行動に、しかし頼まれたら断れないトオルは改めてその姿を確認することにした。



 ──うむ、素晴らしい。



 フリルがあしらわれた暗い青色の水着は、ビキニタイプではありながらもほどよく露出を緩和させており、背の低い彼女の可愛らしさを存分に引き立てていた。


 しかし、色のおかげでクールさもあり、上手くバランスの取れた印象も与えてくる。


 また、大きな胸を目立たなくするためにレースを垂れかけるような工夫がある一方で、フリルの下から覗く下腹部には巧妙なチラリズムがあって、セクシーさも損なってはいない。



「ええっと、凄く良いと思いますよ」

「っ!」



 要するに、自分のような人間が評価するのもおこがましいレベルだったのだが、



「へ、へ〜……例えばどこらへんが、ですか?」



 彼女はその程度の感想では物足りなかったらしい。


 流石にそのままは教えられないと思うのと同時、そういえば友戯の時も同じことをしたなとデジャヴを覚える。



「色が落ち着いてて、フリルとかレースも可愛いところ、ですかね……?」

「だっ……ですよねっ!」



 前回の反省点を押さえつつ、いったい自分は何をさせられているのだろうかと、ぼうっと考え始めるトオル。



「私も同じようなこと思って、それで──」



 嬉しそうに顔を赤くしつつ話しかけてくる彼女に、自然と意識が吸い寄せられ、



 ──ん……?



 ふと、誰かに似ているような気がしてくる。


 天使のごとく可憐な声に、日本人離れした真っ白な肌。


 そして、小柄な体格と反比例するかのように豊かな胸部──それらを繋ぎ合わせていったトオルは、もう少しで正体を割り出せそうになり、



「……あの、サングラス取ってもらうことってできます?」

「えっ!?」



 参考になるはずだとお願いしてみたのだが、



「あ、す、すみません! それはちょっと、恥ずかしいのでっ!!」



 残念ながらあっさりと断られてしまった。



「それじゃっ、私はこれでっ──」



 何とももやもやした気分のまま、都合よく走り去っていく彼女の背を見送ろうとし、



「──ひゃっ!?」



 断ったバチでも当たったのか、彼女は足を滑らせてプールの中へと転落していった。


 嵐のように忙しない人だなと、しょうもない感想を抱きつつ、トオルも仕方なくその場を去ることにしたのだが、



「ぶっ……がぼっ……!?」



 目の前でバタバタと暴れる姿を見せられてはそうもいかない。



 ──おいおい、どこまで傍迷惑なっ……。



 衝突事故に始まり、ナンパに絡まれたり品評会を開かれたり、挙句の果てには浅いプールで溺れるとは。


 ここまで来ると、本当に運命の悪戯を考えてしまうが、今は愚痴を吐くより彼女を助けることが先決だろう。



「うっ、だずげっ……!」

「落ち着いてっ、足つきますからっ──」



 迷うことなくプールの中へと入っていったトオルは、彼女の身体を軽く抱き寄せると、未だ暴れようとするのを落ち着かせようとし、



「──え」



 そこで唐突に、パズルのピースがカチリとハマった。



「んぶはっ……あ、ありがとうございま──」



 その時にはもう、色々と考えていた複雑なことが全て吹き飛んでいたが、当然のことだろう。


 何せ、今プールの水面には黒い髪の毛とサングラスがプカプカと浮いていて、



「何やってるの、石徹白さん……?」

「──へ?」



 眼前にいる白髪の少女は、紛れもなく見知った人物だったのだから。

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