第103話 ※とにもかくにも水着回が始まります。
紆余曲折あったあのショッピングセンターでの日から数日後。
あれよあれよという間に、とうとう約束の日はやってきていた。
──な、なんかドキドキしてきたな……。
いつもより早起きをしたトオルはとっくに支度を終えており、今は何をするでもなくそわそわと自室の中を歩き回っている。
もちろん、今日これから起こるプールでのイベントに深い意味などはないのだが、
──でも、水着姿の友戯と何時間もいるんだろ……それも、二人きりで……。
シチュエーションを考えると、どうしても意識せざるを得なかった。
水着を買った日にすでに色々と満喫してしまったような気もするが、あれは刹那的な驚きはあっても水着の本質ではない。
本日はあの姿で水に浸かり、近い距離ではしゃぐことになるのだ。
白い肌の上を滴る水滴や、濡れて艶めく黒髪に目を奪われることは想像に難くないだろう。
──てか、何をやればいいんだ……!?
そして、そもそもの話として二人でやれることがどれだけあるのかという不安もあった。
去年、家族周りで海へ行ったことはあったが、その時は親戚の子どもの相手をしたり、隙を見ては
同い年の女子と二人きりで遊ぶに際して、役に立ちそうな経験など何一つ無かった。
「…………はっ!?」
と、一人で頭を悩ませていると、不意に背後から気配を感じ、
「あら、分かりやすくそわそわしちゃって」
「う、うるさいな。女子とプール行ったことなんて無いんだから仕方ないでしょっ」
振り向いてみれば予想通り、ニヤニヤと笑う母の姿が映る。
「まあそうね〜……あ、でもその気は無いんじゃなかったっけ?」
「それとこれとは別なんだよ!」
なんの捻りもなくイジってくる彼女だが、そういう問題でないことくらい分かるだろう。
当たり前のことだが、恋心と下心はイコールではないのだ。
例えその気が無くとも、肌色を視界に入れるだけで反応してしまうのが男の
「まあトオルも男の子だもんね、仕方ない仕方ない!
」
「あ〜もう! めんどくさいから行くわっ!!」
が、残念なことにデリカシーの欠如が著しいらしく、まるで話にならない。
「あ、ちょっとっ──」
トオルはこれ以上の相手をするだけ無駄であることを悟ると、止める声も聞かずに足早に玄関を出ていった。
──うん、夏って感じだ。
すると、ブワッとした熱気が身体を包み込み、日差しの眩しさに目を細めさせられる。
バックにはセミの鳴き声が流れており、正しく今の季節を証明してくれるような風情であった。
──まあ、ちょっと早いけどエントランスならそこまで暑くないだろ。
若干、冷房の効いた部屋への戻りたさはあったが、あの人に遭遇してしまうことを天秤にかけた結果、外で待つことに決める。
まだお昼には遠い時間帯であるので、直射日光さえ浴びなければそこまででも無いだろうとエレベーターを待ち、
「あ──」
扉が開いた瞬間、黒髪の少女と目が合い、一瞬時が止まった。
「お、おはよ」
「おう、おはよう……は、早かったな?」
「えっと……最悪、日並の家で涼めば良いかなって」
とはいえ、その程度でドキドキしていては心臓が持たないだろう。
トオルは平静なフリをしつつ尋ね、それに対し、友戯もなんてことないように返してくる。
「じ、じゃあこのまま行くか」
「う、うん……どうぞ……」
しかし、いざエレベーターに乗ってみると、互いの挙動がぎこちなくなり、
「……その、楽しみだな?」
「ん、そだね……」
まるで中身のない会話しか生まれない。
そして、
「あっ」
「あのさっ」
極めつけには話しかけるタイミングが完全に被り、
「っ……さ、先にどぞ……」
「と、友戯こそっ……」
どうしようもないくらい気まずい雰囲気が漂い始める。
何か話そうとしていたはずが、なぜか二人して黙りこくることになったトオルは、
──いやっ、付き合いたてのカップルかっ……!!
思わず、現状の不可解さにツッコミを入れてしまうのだった。
そんなこんなで、妙な空気のまま友戯と歩いたトオルは、途中で電車を乗り継ぎつつ、ようやく目的地へとたどり着くことができていた。
──すでに疲れてるんだが……?
こうなったのも、友戯まで変に緊張していたせいではあったが、こればかりは致し方ないことだろう。
──そりゃ、友戯だって多少は意識するよな……。
いくらトオルのことを友達としか思っていないとはいえ、場所が場所である。
試着室での一件でもそうだったが、友戯にだって恥じらいというものは明確に存在するのだ。
つまり、今日という日を素直に楽しめるかどうかは、トオルの理性にかかっていると言っても過言ではない。
「にしても人凄いな……」
「うん、今日暑いからかもね……」
とりあえず、人の流れに乗りつつ前へと進み受付を済ませると、着替えのために一旦別れることとなる。
──うっ……さらに緊張してきた……。
一年ぶりの海パン姿に着替え、ロッカーに荷物を預けたトオルは、早々に待つ時間が苦痛に思えてきた。
女子の方が着替えに時間がかかるのはまあ良いとして、待たされる側となった心情としては正直に言ってもどかしくて堪らなかったが、
「お、お待たせ」
「っ!」
しかし、そんな時間も気がつけば過ぎているものらしい。
不意に聞こえてきた友戯の声に、期待を込めて振り向くと、
──あぁ、小学校の頃に友戯と知り合えて良かった……。
改めて、彼女の水着姿を正面から堂々と眺められる自身の幸運に、感謝を捧げていた。
もちろん、水着姿自体はすでに何度か見てしまっているが、だからといってそれで目が肥えるほど自惚れてはいない。
加えて、周りの視線を気にしているのか、肌を隠すように羽織った上着の裾を握る仕草が、なんともいじらしかった。
「い、行こ……っか……」
「あ、おうっ……!」
そうしてジッと見つめていたせいか、友戯は恥ずかしそうに視線を逸らすと耐えかねたように先を歩いていってしまう。
──はは……なんか、逆に落ち着いてきたな……。
想像以上に女の子している友戯に、トオルの心は自分がリードしなければという方向へと切り替わっていき、
「おい、転ぶなよ!」
ほんの少し童心に帰りながら、からかうようにその背を追うのだった。
一方その頃。
二人が共に行くその後ろに、小さな影が追っていた。
──や、やっぱり仲良いなぁ……。
仲睦まじい彼らの背を羨ましげに眺める彼女──石徹白エルナは、大きめの上着とサングラスに加え、今回は黒のウィッグを身につけて完璧な変装を遂げていた。
これならば、二人にはもちろん周りの人間に注目されることも無いだろうと、僅かに心の余裕ができていたが、
『彼のこと、落とせたらいいねー?』
そんな油断を許さないとばかりに、忌々しい言葉が蘇ってくる。
──違う違うっ……今回の目的は遊愛ちゃんの気持ちを確認することでしょっ……!
誰にでもなく首を振るエルナだったが、上着の下に隠されているとっておきの水着を思うと、
──日並くんはどう思うのかな……?
ついつい、
せっかくチケットを貰ったうえ、高い水着まで買ってやって来たのだから、少しくらい楽しむ機会があっても良いのではと考えてしまうも、
──だめっ……もしここに来てることがバレたらっ……。
その可能性は絶対にありえないことに気がつく。
何せ、そもそもエルナの方から断ったのだ。
だというのに、いきなり彼らの前に現れようものなら、『あ、本当は来たかったんだ石徹白さん……』的な哀れみの目を向けられることは間違いない。
──上等ッ……!!
こうなったらもう仕方がない。
全ての心を押し殺し、目的を成し遂げるための冷徹マシーンになろうではないか。
そんな決意に燃えるエルナは、強く一歩を踏み出そうとし、
「……あれ?」
今さらになって気がつく。
いったい、自分はどれほどの時間を考えこんでいたのだろうかということに。
まあ、つまるところ、
──い、いない〜っ……!?
とっくのとうに、標的は移動してしまっていたということである。
初っ端からの不穏なやらかしに嫌な汗をかかされたエルナは、慌ててプールサイドを駆け出すのだった。
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