第92話 ※モヤモヤとソワソワが入り混じります。
一方その頃。
トイレを言い訳に一息をついていたエルナは、先ほどまでの展開を思い出していた。
──まさか、日並くんにしてやられるなんてっ……。
まず思ったのは、やはりあの少年に屈辱を味わわされたことである。
遊愛ちゃんから弱点を教えてもらっていたらしい彼が、生意気にも怖がらせようとしていたことを考えると、どうしても怒りが沸々と湧いてきてしまう。
──おかげで、あ、あんなことさせられたしっ……。
しかも、無意識のうちに全力で抱きついてしまったがため、罰を与えられなかったどころかご褒美を与える結果になる始末。
今もまだその時の感触が残っており、彼の身体から伝わってきた温もりや男の子特有の身体の硬さのようなものが、自身の肌を自然と火照らせ……
──って、違う違うっ……!!
すぐに首を振って余計な思考を振り払った。
彼が勝手に興奮するのは仕方のないことだが、その逆は全くもってありえない。
──それより日並くんのお母さん、絶対勘違いしたままだよね……。
なので、これ以上変な考えが浮かばないよう、無理やり他のことに思考を切り替えていく。
──あれ、だとしたら遊愛ちゃんのことはどう思ってるんだろ?
すると、ふと気になることが出てきた。
最初は自分と日並くんのことを恋人同士だと思っていたように見えたが、そこにもう一人加わった後のことが妙に思えたのだ。
──こんなチケット渡してくるくらいだし、もう誤解は解けてたり?
実際、目の前には彼女からのプレゼントであるプールのチケットがあり、もし勘違いしたままなのであれば三人全員に配るというのは些か不自然であろう。
ではなぜ、そうしたのかという点に目を向ければ、
──ま、まさかっ……。
エルナは一つの答えを導き出すことに成功してしまう。
──遊愛ちゃんと私で日並くんを取り合ってると思ってる……ってこと!?
それは、気づいてしまえばそうとしか思えず、さりとて屈辱的な思い違いでもあった。
──お、おかしいでしょっ……あんな陰キャ少年でしかない日並くんを遊愛ちゃんと私みたいな美少女がってっ……!
息子に対する贔屓目があるのかもしれないが、それにしたって夢を見過ぎである。
遊愛ちゃんはあくまで友達としてしか見てないだろうし、エルナとて生意気な友達くらいにしか思っていいないのだ。
故に、そう思われていると思うと、見くびられているようで心が落ち着かないではないか。
──よし、今度会った時はちゃんと説明しよう。
日並くんの反応が面白かったのでつい流れに身を任せてしまったが、こうなっては仕方がない。
夢を壊すようで申し訳ないが、息子さんが友達より上の関係になることはありませんと伝えねばなるまい。
そう考えをまとめたエルナは手に握っていたチケットを一瞥した後、ため息をつきながらポケットにしまい、手を洗ってから部屋に戻ろうとする。
──ちょっと待たせ過ぎちゃったかな?
思考が煩雑になったせいで時間がかかってしまったが、あの二人のことだ。
ちゃんと謝れば許してくれるだろうし、例えエルナがいなくとも勝手に盛り上がっているだろうと、たかをくくり、
──あれ。
ドアノブに手をかけようとしたその直前、扉の奥から不思議な気配を感じで動きを止める。
──なんか、静かなような。
あの二人にしては珍しいと思うと同時、何かそれ以外の違和感があるようにも思え、
「──ふ、二人で?」
「うん、だめ……?」
こっそりとドアに耳を立ててみれば、妙に距離感のある会話が聴こえてきた。
「そ、そんなことはっ……」
日並くんの声は焦ったように上擦っていて、
「じゃあ、いこっ……」
遊愛ちゃんの声は聞いたことがないほどに甘く、熱がこもっている。
どう考えても普通ではない二人の様子に、エルナの頭には疑問符が浮かび、
──え。
直後にはもう、穏やかな心地ではいられなくなった。
──そんな、はずは……。
先ほど否定したばかりのある可能性が、あり得るかもしれない。
そんな疑念が湧いた途端、痛いほどに心臓が跳ね始めたのだ。
──だって、前に聴いた時は違うって……。
今思い出してみても、あの時の言葉が嘘だったとは思えない。
しかし、かと言ってあれから全く気持ちが変わらないとも言い切れない。
──だ、だったらなにっ、私には全然関係な……。
もやもやとした気持ちが充満し始める胸の内を半ば反射的に否定しようとするも、
──…………。
言葉は最後まで続かない。
もし、彼女が日並くんのことを好きになっていて、それで二人でプールにお出かけして、そのまま良い雰囲気になろうとも、自分は赤の他人でしか無いはずなのに。
──プールのチケット……。
無意識に触れたのは、ポケットの中にあるもう一枚のチケット。
それを使えば、こんな気持ちは容易く吹き飛ばせる……
「バカバカしいっ……」
そんな邪な考えを抱いた自分に嫌悪感を覚えたエルナは、自らを戒めるよう、ボソリと吐き捨てるのだった。
友戯と気まずくなってからはや数分。
「二人ともお待たせ!」
早く戻ってきてくれと願っていた救世主がようやく帰還召された。
「ううん、大丈夫。プールの話してたとこだから」
「そっか、なら良かった〜」
友戯は瞬時にいつもの雰囲気に戻っていたが、トオルまでそうは行かない。
──いやいやっ、何だったのさっきのっ!?
しれっと流されているが、あんなのはどう考えてもデートのお誘いにしか見えなかった。
もちろん、蓋を開けてみればそんなことはありませんでしたな展開なのだろうが、それでも期待してしまうのが思春期というもの。
──しかも、さり気なく水着買いに行くことは隠してるしっ……。
加えて言えば、石徹白さんへの対応もはぐらかしているように見え、より一層そうなのではと思う気持ちが強くなってしまう。
──お、落ち着け……だとして何か問題があるか……?
かと言っていつまでも動揺しているわけにもいかない。
仮に友戯の気持ちが変わっていたとして、男ならむしろ喜ぶべきことのはず。
そう考えたトオルは意識を現実に戻そうとし、
──ん? 待てよ……そういえば石徹白さんの件も片付いてないような……はっ!?
しかし、数時間前に考えていたことと内容が被っていたせいで困惑は収まらなかった。
──ははっ、まさか……いやでも、もしそうだったら俺はどうすればっ……。
片や風の噂、片や主観的な感想──どちらも確信を抱けるほどではないが、一方で期待を捨てきれないほどの疑惑でもある。
それが二つあることで春が訪れる可能性はより高まったが、両方だった場合のリスクも発生する。
まあつまるところ、トオルのキャパシティはとっくにオーバーしているということだ。
──よし、考えるのはやめよう。
結果、いつも通り激流に身を任せ同化することにしたトオルは、今度こそ現実へと戻ることができた。
「じゃあ、石徹白さんも戻ってきたことだし、何かやろう──」
そして、流れのままに意識を二人へと向けた時、
──ん?
ふと、その光景に違和感を覚える。
先ほどのことが気になる友戯──ではなく、戻ってきたばかりの石徹白さんの方である。
「? どうかしたの日並くん?」
ニコニコと笑顔を浮かべる彼女の表情は、一見して通常運転のようにも見えるが、
──なんか、ニコニコしすぎじゃない……?
微妙に、作ったものであるような不自然さがそこにはあった。
──やっぱ、さっきのことを根に持ってっ……!?
その原因にあたりをつけたトオルは、笑顔の奥に潜んでいるであろう怒気を想像し、背筋を凍らされるのだった。
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