第88話 ※話を聞いてください。
周囲を見渡せば、そこは見慣れた自分のフィールド。
しかし、今この時においては、全くもって落ち着くことのできない修羅場と化していた。
「あ、その、えとっ……」
それもそのはず、目の前には動揺を隠しきれていない、可憐な美少女と、
「もうトオル〜こんな可愛い子と付き合ってるなら紹介してよ〜」
盛大に勘違いをしている、厄介な母親が立ち塞がっていたのだから。
──いや、なんでよッ!?
今までの努力は何だったのかと、そう思わずにはいられないほどに理不尽な展開。
トオルが心の中で慟哭するのは、もはや必然と言えた。
「あ、の……つ、つきぁ……て、とかじゃ……」
しかも、この状況を一番打開しやすいであろう人物──石徹白さんは、動揺からか目を泳がせながらぼそぼそと喋るばかり。
これでは、余計に疑われてしまうのも当然というもので、
「こらトオルっ、女の子に恥をかかせないのっ!」
まるで秘密の関係を隠そうとしてるとでも思ったのか、母さんは妙にニヤつきながらこちらを叱ってきた。
「いや、本当にそういう関係じゃないからっ」
このままだとろくなことにならなさそうだったので、トオル自ら否定してみるが、
「ふ〜ん? ま、そういうお年頃よね!」
ろくに聞いていないのか、全くもって話にならない。
「て、てか母さん用事あったんじゃないの?」
とりあえず、この場に友戯が合流するのはさらに最悪なので、さっさと退場して貰おうとするも、
「ええ〜いいじゃな〜い、少しくらい話聴かせてくれたって〜」
「良くないからっ!」
「ねぇ、その髪綺麗ね? ご両親は外国の方なの?」
「あ、いえっ、日本人です……これは生まれつきのもので……」
「聞いてないっ……!」
トオルの発言はガン無視で石徹白さんに話しかけ始めてしまう。
友戯の家からここまでは十分弱かかるかどうかの短い距離。
こんなお節介おばさんの長話に付き合っていたらすぐにでも到着してしまうことだろう。
「へぇ〜!? それってあれ!? なんかほら、真っ白な狐とか蛇みたいのと同じやつってこと!?」
「ええっと……そういう感じの、です」
「わぁ凄いっ! テレビとかでしか見たことなかったけど、ほんとトオルには勿体ないくらい綺麗ねぇ……」
「あ、ありがとうございますっ……」
しかし、そんな事情を知らない二人は勝手に盛り上がっていて、元凶の方はまだしも、褒められた石徹白さんまで満更でもなさそうに気分がノってしまっていそうだった。
「日並く──トオルくんのお母さんもその、お若くて綺麗だと思いますっ」
「あらまあ良い子! ますますトオルと付き合ってくれてるのが不思議〜」
段々と慣れてきた様子の石徹白さんに対し、トオルの気持ちはどんどんと焦っていく。
「い、いえっ……トオルくんはとても優しいですし、いざという時には頼りになる、立派な男の子ですからっ……!」
「まぁ……ふふっ、良かったじゃないトオルっ!」
そんな心持ちの中、二人の会話を聞かされ続けたトオルは気恥ずかしくなりつつも、
──いやっ、付き合ってるの部分は否定してくれよッ……!?
未だ前提がおかしいことにツッコミを入れたくて仕方が無かった。
だが、そうしてどうでもいいことに気を取られていた時、
「あら、誰かしら?」
とうとうその時はやってきてしまう。
部屋の外から聞こえてきた玄関チャイムの音と同時、トオルの心臓も高く鳴ったのは気のせいではないだろう。
「俺が出るよッ」
こうなったらもう先手を打つしかない。
二人の会話を邪魔したくないという体で玄関まで駆けて行ったトオルは勢いよく扉を開き、
「あ、ひな──んむっ!?」
予想通りそこにいた友戯の、開きかけた口を塞いだ。
もちろん手のひらで、である。
「しー……悪い、母さんまだいるんだっ」
「んっ……」
続けて、人差し指を立てて静かにするよう伝えると、友戯がこくりと頷きを返してきたので、
「おお、景井かっ」
中の二人に聞こえるよう、堂々と嘘をついてから外に出て玄関の扉を閉めた。
「な、何があったのっ……?」
もう大丈夫だろうと手を離すと、当然のごとく友戯が質問をしてくる。
その顔が少し赤かったため、強く押さえつけ過ぎただろうかと心配になるが、そこまで苦しそうにも見えなかったので今は置いておくことにした。
「その、母さんが家出てすぐ友達とばったり出くわしたみたいで、そのまま盛り上がっちゃった的な……」
一瞬、石徹白さんの件を話すか迷ったが、何となく余計にこんがらがりそうであったため、とりあえずはぐらかすことに決める。
「そうなんだ……で、どうするの?」
「すまん……来てもらって悪いけど、一旦帰ってもらってもいいか?」
そして、万全を期するために、友戯には帰宅するようお願いをし、
「……ん、分かった」
僅かな間を開けてから、了承の意が返ってきた。
「本当にすまんっ」
「いいよ、気にしてないから」
改めて謝罪しつつ、去っていく友戯の背を見送ったトオルは、そこでようやく安堵の息をつく。
後は部屋に戻って誤解を解くことに集中するだけだ。
そう思って即座に帰還しようとしたトオルだったが、
「あら、もう終わったの?」
玄関扉を開けた瞬間に例のあの人と視線が合う。
手荷物を抱えていたので、おそらく予定の時間が近かったのだろう。
「うん、たまたま近く通ったから一応寄ってみたっぽい。母さんたち盛り上がってたから断っちゃったけど」
「そうなの? 別に良かったのに──あっ」
トオルはギリギリセーフであったことに若干焦りつつ、それらしいデタラメでこの場を凌ごうとするが、
「そうよねっ、せっかくの二人きりなんだものっ」
「だから違うってのッ!!」
石徹白さんは何をやっていたのか、結局、誤解はそのまま残ってしまっているようだった。
こうなってはもう、トオル一人の力でどうこうなるものではない。
「もうっ、ほんと照れ屋さんなんだから。それじゃ、お母さん行ってくるけど……まだえっちなこととかはしちゃダメよ?」
「いいから早く行けぃっ……!」
抵抗虚しくも、勘違いおばさんは下世話すぎる一言を残して去ってしまった。
──まったく、なんてやつだ……。
自分の母親ではあるのだが、デリカシーの無さは相変わらず酷いとしか言いようがない。
おかげさまで、石徹白さんと気まずい雰囲気になるのは確定的に明らかだった。
「あ……」
実際、自室のドアを押し開けば照れくさそうな表情の石徹白さんと目があってしまう。
「ご、ごめん石徹白さん」
「う、ううん……」
まずは謝っておこうと発したトオルの言葉に、石徹白さんは手を振って否定するも、
「…………」
「…………」
やはりというべきか、言葉は続かない。
「あ、でも、遠慮せず違うって言ってくれて良かったのにっ」
しかも、先に耐えられなくなったトオルは、つい批難とも取れるような発言までしてしまう。
──しまった。
これでは、迷惑をかけた側の人間が文句をつけているようなものである。
慌てたトオルはすぐに弁解しようとし、
「なんで、言わなかったんだと思う……?」
しかし、急に目を潤ませながら意味深に問いかけてきた石徹白さんによって、それも叶わなくなった。
「え、それって」
「っ……」
反射的に返した声に、石徹白さんは顔を赤く染めながら顔を背け、
──待ってくれっ、やっぱそういうことなのかっ……!?
それを見たトオルは昨日の話を思い出す。
──俺のことが好きだから……だから、あえて否定しなかったのかっ……!?
いつもなら思い過ごしだろうと軽く流していただろうが、よりによって昨日の今日である。
自然、その可能性への信頼はトオルの中で大きくなっていき、
「石徹白さ──」
緊張からつばを呑んだ、その直後、
「ぷっ、あははっ……!」
俯いた石徹白さんが堪えられないように吹き出し、笑い声をこぼし始めた。
「──へ?」
「もう、日並くん純粋すぎっ、冗談に決まってるでしょ?」
思わず間抜けな声が漏れるトオルに、石徹白さんは容赦なくクスクスと笑いながら、なんてことないようにそう言いのけてくる。
──な、なんだぁ……。
ようやく、からかわれていたのだということを理解したトオルは、ホッとした気持ちと少し残念な感情が入り混じると同時、
──いや、そう考えると納得いかないな……。
段々と、目の前で調子に乗る少女にムカッとしてきてしまう。
こちとら散々苦心させられたというのに、実は彼女も共犯だったというのだから当然だろう。
「あははっ……あ、あれ、日並くん……?」
思い立ったが吉日、スッと立ち上がったトオルは無言でカーテンを閉め切り、扉もしっかり閉めると、最後に照明を消して部屋を暗くする。
──石徹白さんが悪いんだぞ……。
反逆の意思を固めたトオルを止めることはもうできない。
「っ……あ、あのっ……えっとっ……!?」
今さらになって慌て出す石徹白さんだったが、とっくに手遅れである。
思春期男子の純心を弄んだ愚かな少女は、相応の報いを受けるのが自然の摂理。
そう考えたトオルは、この後に起こる楽しい出来事を夢想し、ニヤリと微笑むのだった。
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