第83話 ※カラオケボックスは魔境です。

 ローラースケート場での一幕からしばらく。



 ──視線が痛い……。



 女性陣二人から刺すように睨まれたトオルは、カラオケ代を奢ることで許しを得ようとしたものの、未だ効果は芳しくなかった。


 別にトオル自身が悪いことをしたわけではないのだが、役得だったのも事実。


 ここは大人しく、彼女たちの怒りを享受するしかないだろう。



「と、とりあえず座ろうか」

「……ん」

「……そうだね」



 というわけで、マウンドセブン内にあるカラオケへとやって来たのだが、



 ──あ、そういう感じなのね……。



 二人はそれぞれ、対面になる形で離れた位置に座ってしまう。


 もちろん、座る位置は自由なのだが、二人の近くに座るのが躊躇われる状況のトオルにとっては、選択肢を失ったと言ってもいい。



 ──まあ、ここでいいか。



 仕方なく、友戯が座るL字ソファーのもう一辺の側へと腰掛けることにし、



「じゃあ、歌おうか!」



 さっそく、曲を入れることで無理矢理にでも盛り上げていこうとする。


 正直、カラオケに来たこともほぼ無いのだが、今の二人に盛り上げ役を頼むよりは現実的だろう。


 そう考えたトオルは、意を決してマイクを握るのだった。







 そして、一曲目を歌い終えた頃。



「──ふぅ……」

「へぇ、日並くんってこういう曲も知ってるんだね」

「……確かに意外かも」



 意外にも、すぐに場の雰囲気は改善されてきていた。



「ゲームとかアニメの曲歌うと思ってたし」

「うん、絶対そうだと思ってた」



 これも、ネットの海を泳いでいたおかげというべきか。


 最近話題の曲程度であればしっかりと押さえていたのだ。



「じゃあ次、歌ってもいい?」

「ん、いいよ」



 何だかんだと彼女たちも女子高生。


 キャッチーな曲を歌えば釣られて歌いたくなるだろうとは思ったが、そこまで悪い考えでは無かったようである。



「〜〜♪」



 そこからは、石徹白さんに始まりいわゆる普通のカラオケの光景が続いていき、



「──あ、ごめん、ちょっとトイレ」



 やがて、友戯が離席したことで一旦の小休止となる。



「う〜〜んっ……結構歌ったね?」

「うん、ちょっと喉痛いかも」

「あはは、日並くん慣れてなさそうだもんね」



 背を伸ばしながら言う石徹白さんに同意をすると、可愛らしい笑い声が返ってきた。


 こう見るとやはりただの天使なのだが、ここ最近の記憶を思い返すと全く油断できる気はしない。



「……そうだ」



 実際、そんな警戒は正しかったようで、ふと誰にでもなくぼそりと呟いた彼女は、



「え、な、なに?」



 トオルの隣へとやって来てもう一本のマイクを手渡してくると、



「一緒に歌お?」



 上目遣いであざとくお願いをしてきた。



「いや、え、そういうのはちょっと……」



 当然トオルは困惑するも、何か企んでいるのは明白。


 何か仕掛けられる前に断ろうとしたのだが、



「……さっき私のお尻見て興奮してたの、言いふらしちゃおっかなー」

「っ!!」



 それが気に食わなかったのか、急に裏のモードに切り替えてくる。



「いやいやっ、興奮なんて……!」

「……してくれなかったの?」

「…………まあ、しなかったとは言い切れない、けども」



 一応否定しておこうとしたトオルだったが、それはそれで怒られそうな気配を醸し出してくるので、すぐに敗北を認めた。



「じゃあ、分かるよね?」

「はい……」



 こうなっては仕方がない。


 何が目的なのかは分からないが、付き合ってあげることにしよう。



 ──まあ、やましいことをするわけでもないしな。



 むしろ、美少女とハモれるという最高の体験を味わえると思えば良いことしかないだろう。



「ん、よろしい♪」



 そうして、トオルにマウントを取れたことで上機嫌になった石徹白さんは、機械を使って次の曲を入力し、



 ──うわ、めっちゃラブなソングのやつじゃん……。



 その曲名を見たトオルは、やはりからかわれていることを確信した。


 理由は不明だが、今までの傾向からして恋愛的な方面でイジることに楽しみを覚えたのかもしれない。


 やられる側からすれば堪ったものではないが、女の子には優しくしろと育てられてきたのだ。


 これも将来のための練習だと思って、恭しく従うのが利口という結論にトオルは至った。



「〜〜♪」

「っ〜〜♪」



 そんなこんなで、肩をぴったりとくっつけてきながら歌う石徹白さんにドギマギしつつ、



 ──うっ、可愛い……。



 ふと横を見れば、ずっとこちらを見つめていたのか、相変わらずの美少女顔と目が合ってしまう。


 長いまつ毛に蒼の瞳、丸くて柔らかそうなほっぺたに、艶のある小さな唇。


 そのどれもが神に選ばれたかのように可憐で、そんな彼女に見られているということが気恥ずかしくなったトオルは反射的に顔を背けていた。



 ──よく考えたら、俺に損は無くないか?



 今さらながら、こんな可愛い女の子とお近づきになれているという事実がどれほど幸せなことなのかを思い出させられる。



 ──よし、ここは素直に楽しんでおこう。



 少なくとも、ここで恥ずかしがるほど彼女の思う壺であることは間違いない。


 ならば、むしろ利用して楽しい時間にする方がよほど建設的だろう。


 そう考え方を更新したおかげか、トオルは段々と気分が乗っていき、



「っ!?」



 無意識のうち、歌詞に感情移入したことで石徹白さんの手を握ると、



「あ、っ……ひ、日並くんっ……」



 横で何かを言っている彼女の方を、満面の笑みを浮かべながら振り向く。


 すると、



「っ〜〜!?」



 何故か、瞬間沸騰したかのようにその顔が赤面してしまった。


 まずいことでもしただろうかとは思うも、せっかく乗っている気分を台無しにしたくもない。



「──いやぁ、こうやって歌うの始めてだったけど、思ったより楽しか……石徹白さん?」



 結局、歌い終えるまで意識を集中していたトオルは、そこでようやく石徹白さんの様子がおかしいことに気がつく。



「ぁ、ぅ……」



 俯いた彼女は口もとからよく分からない呻き声をこぼしており、くっついた肩と手からは歌う前よりも熱い体温が伝わってきていたのだ。


 そういえばと、途中から石徹白さんの声が聞こえてこなかったような気がしてきたトオルは、心配になって声をかけようとするも、



「と、トイレッ……!」



 バッと立ち上がった彼女は、呼び止める間もなく部屋を出ていってしまう。



 ──もしかして、我慢してたのかな?



 だとしたら納得が行くと同時、悪いことをしたかもしれないという気持ちも湧いてくる。



「あ、お帰り」

「ん……ルナ、何かあったの?」



 と、丁度すれ違いになる形で友戯が帰ってきた。



「たぶん、トイレ我慢してたっぽい?」

「ふーん?」



 確信までは持てていない答えに、友戯も曖昧な相づちで返してくる。



「…………」

「友戯?」



 すると直後、もう一度ドアを開いて外を確認した友戯は、



「あっ」



 ほんのり顔を赤くしながら、先ほど石徹白さんが座っていた所に座ってきた。


 おそらく、また手を繋ぎたくなったのだろうと予想を立てたトオルは妙に照れくさくなるが、



「あれ」



 腰を下ろした友戯はぼそっと声を漏らすと、



「……日並」

「え、何……?」



 急に眉間にシワを寄せてこちらを睨んできた。


 何事かと思うも、



「ここ、ルナ座ってたでしょ……?」

「え」



 すぐにその原因が判明する。



 ──体温か……!!



 どうやら、石徹白さんの熱がソファーに残っていたようである。



「なにしてたの?」

「いや、一緒に歌っただけだぞっ」



 ずいっと顔を寄せてくる友戯にトオルは怯むも、やましいことは無いので素直に答えるが、



「ふーん……」



 流石は友戯の嫉妬深さというべきか。


 景井の時と同じように、納得がいっていない様子だった。



 ──あ、この流れは。



 ここに来て、何となく次の展開を予想するも、



「あの、友戯?」



 友戯はマイクを握ることなく立ち上がり、トオルの前に移動したかと思えば、



「ぶっ」



 いきなり、パーカーをたくし上げてくるという、とんでもない行動に出てきた。



 ──そこは、『私も一緒に歌う』とかじゃないのかよぉッ!?



 本日二度目のホットパンツを目に焼き付けさせられたトオルは、目線はしっかりそこに向けながら咳き込んでしまう。



「げほっげほっ……! ともぎ、なにしてっ……!?」



 当然、トオルはその理由を尋ね、



「……こういうの好きかなって」

「いやっ……悪くはないけどもっ……!」



 しかし、返ってきた言葉は答えになっていなかった。



「そうじゃなくてっ、なんでいきなりっ……」



 しょうがないので補足してやれば、



「なんか、ルナに対抗するならこうしなきゃって思って……」



 ようやく、欲しかった答えを得ることができた。



 ──まあ確かに、間違ってはない気もする。



 少し前、石徹白さんに胸を押し付けられたことを思えば、あながち友戯の判断は間違っていない気もするが、



「いや、流石に友戯と石徹白さんだったら、友戯が圧倒的に親友だぞ?」



 よく考えなくとも、そこに関しては議論するまでも無かった。


 確かに石徹白さんは可愛いし、女性としての魅力はあるが、友戯の目的と噛み合う部分ではないはずだろう。



「そ、そうじゃなっ……いことも、無いんだけどっ……」



 が、友戯的には違うのか、むず痒そうな表情で否定してくる。



「えっと……?」

「っ、な、なんでも、ない……」



 トオルとしては気になるものの、残念ながら教えてくれる気はないようだった。



「はぁ……まあ、友戯がそれで納得がいくならいいよ」



 こういう時に追求しても無駄であることは知っているので、とりあえず眼福を味わわせてもらったことに感謝して流そうとするが、



「待って」



 肝心の友戯は納得のいっていない様子で、



「何か、無いの……?」

「へ?」



 少し言いにくそうに視線を逸らしながら、意図の掴めない質問を投げてくる。


 思わず間の抜けた声が出てしまうのも当然のことだったが、



「だからその、私にしてほしいこと、とか……」

「……はい?」



 続く言葉はさらに惑わされるような代物で、



「手、繋いでもらったから……お返しに、みたいな……」



 例え、そんな理由付けをされたとしても、



「な、何でもいい、よ……?」



 最後に潤んだ目でそんなことを言われた日には、



 ──え、何でも……??



 トオルの理性でも、下心を抑えきることは不可能に近かった。



 ──ってことは、触るのとかも……?



 自然と視線は友戯の太ももへ向かい、ごくりとつばを飲み込むが、



 ──お、落ち着けっ……限度はあるだろっ……!?



 しかし、直後に人としての善良性が蘇り、何とか棄却する。


 何でもという文言が付く際には、たいてい何でもではないことが殆どであると、数々のマンガやアニメで教わってきたではないか。


 ここで調子に乗るのは三流であると、トオルは心を落ち着かせながら立ち上がり、



「…………じ、じゃあハグ、とか……?」

「っ!」



 自信は全く無いながらも答えを導き出すことに成功した。


 『手を繋ぐ』に類するものは何かと考えた時、思い浮かんだのがこれしか無かったのだ。


 一応、これなら友達同士でも問題ないはず。


 もちろん、決して友戯の身体を抱きしめたいとか、そんな邪な思いは無い。



「ん、分かった……」



 そんなトオルの答えに、友戯も理解を示してくれたようである。


 すっと両手を差し出してきたので、



「ああ」



 トオルも同じく両手を前に出すと、ゆっくり距離を詰めていき、



 ──や、やるぞっ……!



 そして、その時はついに来る。



「っ……あっ……」



 トオルは両腕で友戯の背を抱き締め、友戯もこちらの背に手を回した。


 二人の距離はゼロになり、お互いの体温が直に伝わってくる。



 ──何というか……あったかひ……。



 初めての体験にトオルが抱いた感想は、思ったよりも綺麗なものだった。


 胸がぶつからない程度に隙間を空けていたこともあるが、何より友戯とこれだけ近くにいるという感覚が心に安心感をもたらしてくれているのである。



 ──まあ、これくらいか……?



 しかし、いつまでもこうしているわけにもいかない。



「あっ……」



 そろそろ頃合いかと、離れようとするトオルだったが、



「っ!」

「も、もうちょっと……だけ……」



 服をぎゅっと掴まれては、どうしようもない。



 ──いや、ハグってサッとやってサッと離れるんでないの!?



 ただ、想像していた気軽いそれとは違うのも事実ではあるので、やはりまずいのではという気持ちも湧いてくる。


 と、その次の瞬間、



「お、お待たせっ!」



 ガチャリという扉の音が、心臓を跳ねさせた。


 あわや、第三者に目撃されるという状況だったが、



「……あれ、どうしたの? 二人して手を広げてるけど……」



 慌てて身体を離したのが間に合ったらしく、辛うじてセーフだったようである。



「な、何でもないよルナ」

「うん、ちょっと、手の長さ比べててっ」

「へー?」



 若さゆえの反射神経に感謝しつつ、適当な理屈で言い繕うと、



「……あっ、それより、そろそろ時間みたいだよ?」



 丁度良いタイミングだったらしい。



「そ、そっか……じゃあ、帰る準備するよっ」

「ん、そうだねっ」



 石徹白さんに質問の猶予を与えないよう、そそくさと荷物の確認を行っていき、



 ──あ、焦った……。



 止まない鼓動の激しさに、トオルは苦慮させられるのだった。

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