第80話 ※ただし、本当の気持ちは分かりません。

 どれだけの間、気を失っていたのだろうか。



「あ、起きた?」



 意識が覚醒すると同時に目を開くと、こちらを見下ろす親友の顔が映った。



 ──あれ、どこだろうここ……?



 日並がいることから、真っ先に彼の部屋だろうかと思うも、周囲の風景はまるで違う。


 ではいったい、この場所はどこだというのか。



 ──確か、レンたちと一緒に日並を追って……。



 直前の記憶が思い出せなかった遊愛は、朝起きた時のことから記憶を辿っていき、



「あっ」



 やがて、気絶した原因を思い出した遊愛は、再び顔に熱が集まってくるのを感じた。



「友戯、大丈夫か?」

「う、うん……大丈夫……」



 視界がぐらぐらと揺れるも、また失神するわけにもいかない。


 ひとまず身体を起こし、日並の視線から逃れることにした。



「ごめん……」

「ああいや、気持ちは分かるよ、うん」



 勘違いしていたことと、看病してもらっていたこと、その両方に対する謝罪に日並は申し訳無さそうに言葉を返してくる。



「俺も多分、友戯に隠し事されてるなって思ったら同じ感じになるだろうし……」

「そっ、か……」



 随分と恥をかいてしまったが、彼がそう言うのであれば少し安心である。



「でも、ははっ……」

「っ!」



 が、直後に笑い声をこぼしてしまっていたせいで台無しだった。



「笑わないでよっ……」

「ご、ごめん、そういう意味じゃなくてっ」



 つい不機嫌になった遊愛に、しかしそうじゃないと日並は手を振り、



「友戯には悪いけど、なんか嬉しくってさ」



 頭をかきながら、柔和に微笑んだ。



「っ……」



 その、少し照れくさそうな笑顔に、不意にドキリとさせられ、遊愛は顔を逸らしてしまう。



「と、友戯?」



 訝しんだ日並に声をかけられるも、胸の鼓動を押さえるのに精一杯で、振り向くことができない。



 ──どうして。



 彼の顔を見た瞬間、不可思議な感情が湧いてきてどうしようもなくなり、



「その、やっぱまずかったか?」

「っ……!!」



 死角から不安そうに声をかけられれば、無意識に口もとが緩んでしまう。



 ──何で、こんなに。



 思えば、彼の意識が自分に向いたのは、久しぶりのような気がする。



 ──嬉しいの……?



 だからなのだろうか。


 近くにいるだけで、こんなにも安心してしまっている。



 ──日並の手……。



 ふと、俯いた視線の先に、見慣れているはずの男の子の手が映った。


 自分のものよりも大きく、頼りがいのあるそれに、自然と指先が伸びていって、



「え、ええっとっ……そうだ!」

「っ!?」



 突如、ぼうっとしていた意識を覚ますように、日並が声を上げる。



 ──今、何しようとしてっ……。



 ハッとなった遊愛は、自身がしでかそうとしていた行動にいっそう顔が熱くなった。



 ──だって別に、日並はそういうのじゃ……。



 そんなわけがないと否定しようにも、中途半端に止まった指が確たる証拠として残ってしまっている。



「その、友戯」



 そして、日並の真剣な声に顔を上げてみれば、



「こんな言葉だけで信じてもらえるかは分からないけど」



 吸い寄せられるように目が離せなくなり、



「俺にとって友戯が一番の親友だってこと、忘れないようにするよ」



 最後にそんな言葉が囁かれた時には、



 ──あっ。



 もう、思考も感情も、制御できないほどに滅茶苦茶になっていた。



「っ……」

「あれっ……!?」



 今、自分がどんな顔をしているのかは分からない。


 分からないが、とうてい日並に見せられるものではないと、両手で覆ってしまう程度にはまずい自覚があった。



 ──分かんないっ……。



 生まれてこの方、本気で恋心を抱いたことなどないのだ。


 それがどんなものなのか、知る由もない。



 ──でも。



 現状、確かに思うこともあった。



「……それって、ルナとか景井くんよりも大事ってこと?」

「え? まあ、そうだけど……?」



 例えばそれは、他の人より自分を優先してほしいだとか、



「毎日、日並と遊びたいって言っても引いたりしない?」

「はは、それは今さらじゃないか?」



 できることなら、いつも近くに居たいだとかであり、



 ──もっと、仲良くなりたい。



 そして何より、今のままではきっと満足できないということであった。



「じゃあ──」



 故に、一歩踏み出してみたいと思ってしまうのも必然であり、



「え」



 先ほどは叶わなかった、純粋な想いが形となって彼の手に触れてしまうのも、



「──こういうことしても、だめ……じゃない……?」



 そんなわがままを許して欲しいと思ってしまうのも、また仕方のないことのはずなのだった。








 人気ひとけの無い一角にある、休憩所。


 どこかから聞こえてくる楽しげな声が、とても遠くに感じられる。



 ──ん? どゆこと?



 それは、単純に距離の問題もあるだろうが、一番の原因は他の音がうるさかったからに他ならない。



 ──俺の手が触りたかったの? なんで?



 何せ、隣に座っていた友戯が急にその細い手を重ねてきたのだ。


 うるさいほどに鼓動が速くなるのも、当然というものだろう。



『──こういうことしても、だめ……じゃない……?』



 つい数秒前の光景が、頭の中に反響する。


 甘えるような声色に、自信無さげな上目遣い。


 そんなものを向けられてだめと言える男が、いったいどこに居ようというのか。



 ──いや、待て待て待てっ!? おかしいぞっ!?



 しかし、世の中には流れというものがある。


 もしこれが恋人同士、もしくはその一歩手前というのであれば納得も行くのだが、あいにくトオルと友戯は親友同士であった。


 実際、今さっきその宣言をしたばかりで、何がどうなれば手を触りたいになるのだろうか。



「…………」



 とはいえ、不安そうな目でジッと見つめられれば、答えないわけにもいくまい。



「い、いいけど、なんで?」



 結果、気遣いも何も無い、直球すぎる言葉が口をついて出てしまった。



 ──いや、流石にこれはまずいかっ……!?



 もしこれで『好きだから』とでも言われた場合、デリカシーが無いにもほどがあるだろう。


 まさかそんなことがとは思いつつも、そうだった時のことを恐れたトオルはどうにか撤回できないものかと悩むが、



「……ほ、ほら、すごく仲の良い女の子同士って、手繋いでたりとかするでしょ?」



 幸いなことに、返ってきた答えは予想から外れたものだった。



「だからその、それくらいの友達になりたいなって……」

「な、なんだそういうことかっ、ははっ……」



 若干、その場で考えた感のある様子だったが、例えそうだとしても掘り下げる勇気はない。



 ──まあ、だとしてだけどね!?



 それに、とりあえず関係が急変するような危機は免れたものの、手を繋ぐという行為自体は相当にハードルが高いままである。


 今はまだ二人きりだからいいが、これを他の人の前でもとなったら流石に厳しいと言わざるを得ない。



「じ、じゃあ、試しに繋いでみるか?」

「え、あっ──」



 ただ、友戯とてこれを言うのには勇気が必要だったはず。


 そんな彼女に恥をかかせるくらいならと、トオルはその手を握り返し、



「──っ……」

「…………」



 直後、真っ赤に染まった困り顔を見て、当然のごとく閉口してしまう。



 ──本当に友達としてだよなっ……!?



 どう見ても、意識して恥ずかしがっているようにしか見えないが、恋愛経験の少ないトオルには正誤が判断できない。



「…………」

「…………」



 そしてそのまま、どちらとも行動を起こすことはなく、二人は膠着状態に陥り、



「あ、わ、私っ、そろそろ戻らないとだからっ」



 最終的に、言い出しっぺの友戯が逃げ出したことにより、ひとまずの終着と相成った。



「…………ふぅぅぅぅっ……!」



 緊張から開放されたトオルは、長い息を吐く。



 ──友戯の手、柔らかかったな……。



 ついでに自身の手を見つめ、先ほどまでそこにあった感触を思い出した。


 すると、親友であるはずの彼女もまた、やはり女の子なのだと再認識させられ、



 ──いかんいかん、邪な考えがっ……。



 すぐに首を振って否定する。


 友戯とはあくまでも友達、そのことを忘れて下心に走ろうものなら、せっかくの関係が壊れかねない。



 ──とりあえず、友戯との仲が進展した……それでいいだろ。



 結局そう結論づけたトオルは、自分も元いた場所に戻ろうとし、



「い、いた、日並くんっ」



 しかし、すぐにそうする必要が無くなったことを、知ることになった。



 ──あれ?



 それもそのはず、メンバーの一人である石徹白さん自ら出向いてきたうえ、



「あの、ねっ……他の二人、用事があるから先に帰るみたいで……」



 何故か、頬を赤らめながら予想外の事実を告げてきたかと思えば、



「だから、えと……よ、良かったら、残りの時間、二人で遊んだり、とか……」



 彼女らしくもない、弱気な声でおずおずと提案してきたのだから。



「だ、だめ……かな……?」



 そんな、揺れる瞳で上目遣いをしてくる光景に、ほんの数分ぶりの既視感を覚えたトオルは、眉間を指で摘みながら天を仰ぐのだった。

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