第78話 ※次から次へと問題が発生します。

 ローラースケート場の上で、時が止まったかのように固まる二人。



 ──い、色々まずいっ……!



 その内の一人であるトオルは、腕の中で縮こまる少女から伝わってくる体温と、その柔らかな感触のせいで頭がおかしくなりそうだった。


 以前にも、流れで身体に触れること自体はあったが、ここまでしっかりと密着したことはない。


 華奢な方に細い腰、そして、至近距離にまで迫った長いまつげと小さな唇は、どれもが彼女が女の子であることを示しており、否が応でもトオルの身体に緊張を走らせる。



 ─くっ、どうしたんだ石徹白さんっ……!?



 さらに、当の石徹白さんの様子がおかしいせいで状況はよりまずくなっていた。


 いつもの彼女であれば、怒りながら容易く振り払うなり、逆にこの状況を利用して乙女ぶったりしそうなものなのだが、



「ぁ、とっ…………」



 目の前で泳ぐ青灰色の瞳を見れば、とてもそんな余裕があるようには見えなかった。


 しかも、赤くなった頬はまるでトオルと同じように意識しているように見え、余計にその顔から目が離せなくなってしまう始末。



「い、石徹白さん?」

「はひっ……!?」



 実際、試しに名前を呼んでみれば、彼女は大げさなほどに肩を跳ねさせる。



 ──いや、演技だよねっ……!?



 先ほどの流れからして、これも作戦のうちなのだと信じたいが、何故かそうではなさそうな気配が漂ってくる。


 もちろん、石徹白さんレベルの女子が自分に好意を寄せているとまでは自惚れていないが、多少なりとも意識しているのではと、そんな勘違いをしてしまう程度にはそうとしか見えなかった。


 もしこれが全て演技だとするなら、石徹白さんは相当な悪女になれるに違いない。



「おい、大丈夫か!?」

「っ、ああ、大丈夫だよっ」



 と、そんな風に思考がパンクしそうになっていた時、割り込んできた鬼島の声を聞いたトオルは、慌てておかしな疑念を振り払った。



 ──落ち着けっ、何を考えてるんだ俺はっ……。



 状況からして、石徹白さんのこれが演技でなく何だというのか。


 ここで変な勘違いをするのは、彼女の本気に水を差すようなものだろう。



「ごめん石徹白さん、俺のせいで」

「あ、ううんっ」



 ひとまず立ち上がったトオルは謝罪しつつ、彼女を起こそうと手を伸ばす。


 当然、今度は油断しないようしっかりバランスを保った状態で、である。



「…………」



 しかし何故か、当の石徹白さんは尻もちをついたまま、トオルの手をジッと見つめるばかりで、中々手を取ってくれない。



「えっと……?」

「あ、その、大丈夫っ! 柵近いし、一人で立てるから!」



 どうしたのかと訝しむトオルに、ハッとした様子で柵に手をつく石徹白さん。



 ──あれ、作戦はどうなったの?



 これに、トオルは違和感を覚える。


 本来の目的を達成するならば、ここは手を取ってお互いにドギマギするフリをした方が良さそうだったからだ。


 まさか、あの石徹白さんが気づいていないということもないはずなので、別の理由があると考えるのが妥当だろう。



「石徹白さん、もしかして怪我とか──」



 そこで浮かんできたのは、トオルに気を遣っているのではないかという説。


 もしそうなら放っておくわけにもいかず、トオルは彼女の側に寄って尋ねようとするが、



「っ、し、してな──わ、あっ!?」



 石徹白さんは慌てて距離を取ろうとして、再び転びそうになる。


 トオルは素早く手を伸ばしその手を掴むと、今度はしっかりその華奢な身体を支えたのだが、



「ひ、日並くんっ……待って、落ち着いてっ……」

「え、それは石徹白さんの方」

「そうかもだけどっ、い、一旦離してっ……」



 彼女はよほど足もとが落ち着かないのか、半ばパニック状態で支離滅裂なことを言うばかり。



「石徹白さんっ」

「ぴっ!?」



 仕方がないので、少し大きめの声で彼女の注意を引き、



「大丈夫、今度はちゃんと守るから」



 信じてもらえるよう、真剣な眼差しを向ける。



「え、ぅ……」



 これで石徹白さんも落ち着いてくれるだろうと、そう予想したトオルだったが、



「うぅっ……!!」

「え!?」



 やはり乙女心とは難しいものらしい。


 石徹白さんは何故かトオルをひと睨みすると、掴んでいた腕を突っぱねて、一人でスケート場の端へと柵伝いに逃げていってしまった。



 ──えぇ……?



 いったい何がいけなかったというのか。


 まさかこれも作戦の内なのだろうかと一人固まっていると、



「……鬼島?」



 ふと、近くまで来ていた鬼島のリアクションが無いことに気がつく。



「ああ、いや……それより、本当に大丈夫か?」



 珍しくぼうっとしていた彼は、しかし何かを誤魔化すように改めて確認してきた。



「うん、背中とかも腫れてる感じとかはしないよ」

「そうか、ならいいんだけどよ……」



 すかさずそれに答えるも、鬼島はまた物思いに耽っているような様子を見せ、



 ──作戦がバレたとかじゃないよな……!?



 そこからとある可能性に至ったトオルは、今後に起きるかもしれない恐ろしい展開を想像し、身体を震わせるのだった。









 そんなローラースケート場でのゴタゴタが災いしてか、そこからの雰囲気は何とも気まずいものになってしまっていた。


 例えば移動中、わざと石徹白さんの近くを歩こうとすれば、



「あ、石徹白さ」

「っ……!」



 ぴゅーっという擬音が付きそうなほど素早く距離を取られたり、



「組み合わせはどうしようか?」



 トオルでもできる卓球をやろうという話になり、ダブルスを組む流れになった時は、



「……えっと、石徹白さんは」

「なに、日並くん!? 私と組みたいの!?」



 めちゃくちゃ不自然な対応をされたりと、作戦の話はどこへ行ったのかとばかりの杜撰な演技が繰り広げられたのだ。


 しかも、問題はそれだけではない。



「だ、大丈夫か鬼島?」

「おう……」



 ターゲットである鬼島もまた、何かに気を取られているかのように注意力が散漫としていたからである。



「あ、外れた……」



 そのため、彼の良いところを見せようという目的で寄ったストラックアウトではまさかの大暴投を披露し、



「み、見逃し三振……」



 同じ理由でやって来たバッティングセンターでは、もはや打つ気力すら残っていないようだった。



「…………」



 その結果、せっかく楽しいはずの時間が静寂に包まれることとなってしまっている。



 ──いや、どういう状況!?



 しかし、どうにかしようにもトオルは未だ現状を把握できていなかった。


 挙動不審の石徹白さんに、茫然自失の鬼島、そして、こんな状況下にも関わらず何のフォローも入れない池林。


 どれ一つとして原因も意図も読めないのだから、トオルがただ困惑しかできないのも当然といえただろう。



「ち、ちょっと飲み物買ってくる!」



 そんなお通夜のごとき雰囲気に、トオルが選択したのは現場からの逃走だった。



「俺も行く」



 が、ここに来て急に鬼島が意思を見せてくる。


 まさか、とうとうお怒りの時間が来るのかと戦々恐々するが、断るわけにもいかない。



「……おい、日並」

「は、はい……」



 そのまま、自販機へと二人で向かう途中に声をかけられたトオルは覚悟を決め、



「足、怪我してんだろ」



 しかし、その声は予想外に優しかった。



「え、ああ、確かにさっきから少し痛むかも?」

「ったく、仕方ねえ。今日はここまでにしとくか」



 実は、少し前から足に違和感があったのだが、どうやら表に出てしまっていたようである。



 ──鬼島……。



 おそらく今日という日を楽しみにしていただろうに。


 元凶の一人である自分へ向けられた優しさにトオルは罪悪感を覚え、



「……その、ごめん鬼島」



 ここに来てとうとう、白状することを決めた。



「気にすんなよ、こっちが無理頼んでんだ」

「えっと、怪我のこともあるけど、実は隠してたことがあって──」



 トオルは石徹白さんとのやり取りや経緯を正直に説明し、



「演技だった……ってことか?」

「うん、まあ、ほとんど上手く行ってなかったけど……」

「……そうか」



 それに、鬼島は何かを納得するように頷くと、



「お前は、そう思ってるんだな」



 何故か唐突に、意味深げな言葉を告げてきた。



「え?」

「いや、なんでもねえ……それより、早く戻ろうぜ」



 トオルはその意味が理解できずに聴き返そうとするも、鬼島はすでに背を向けていた。


 このまま固まっているわけにもいかない。


 そう考えたトオルは仕方なくその後を追おうとし、



「あっ……!」

「あ、すみませっ──」



 駆け足だったせいか、角を曲がるところで何者かと衝突してしまう。


 そして、反射的に謝罪の言葉が出た、その直後。



「──は?」



 またもや訪れた異常事態に、今日何度目かも分からない硬直を起こした。


 だが、それも仕方のないことだろう。



「何やってんだ、友戯……」



 何せ、ぶつかってサングラスを落とした眼の前の少女は、本来この場にいないはずである親友──つまるところ、紛れもなく友戯遊愛その人であったのだから。

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