第74話 ※人生思い通りにはいかないものです。

 石徹白さんが席を外した後、トオルの周囲一帯には緊迫した雰囲気が流れていた。



 ──な、何とか弁解をせねば……。



 もちろん、これはトオル自身が招いた窮地ではあるのだが、かといってそのまま運命を受け入れることもできない。


 汗がだらだらと流れていく中、上手い言い訳が思いつかないものかと必死で頭を回し続け、



「おい、日並てめえ……」

「は、はいぃッ!?」



 しかし、そうしている間も時は止まってくれず、先に鬼島の低い声が制してきた。



「さっきのは何だ……?」

「ああいや、そのですねっ……!」



 当然のごとく放たれた質問だったが、今のトオルには答えが見つからない。


 流石に、濡れた石徹白さんの服を拭いて怒らせたなどと、率直に経緯を説明するわけにもいかなかったからだ。



「あんなのは……あんなのはもう……」

「っ──」



 結局、鬼島を納得させる言葉が思いつかなかったトオルは、俯きながら恐ろしい気を放つ彼に怯えることしかできなかったのだが、



「可愛すぎるじゃねえかッ……!!」

「──へ?」



 次の瞬間には、思わず呆けてしまうような解答が返ってきていた。



 ──え、どゆこと?



 確実に怒られると思っていたトオルが困惑するのは当たり前だろう。


 実際、テーブルの上で拳を握り締めているその姿は明らかにブチギレている時のそれだったがため、ますますよく分からなくなる。



「畜生ッ……スプーンにかぶりつくエルナちゃんも、ほっぺた膨らませて拗ねるエルナちゃんも可愛すぎて、何も言葉が出なかったッ……」



 が、本人自らお気持ちをぶちまけてくれたので、ようやく彼の捉え方が自分とズレていることに気づいた。



「まさか、エルナちゃんがあんな感じとはなぁ……」



 先ほどの光景を思い出しているのか、恍惚とした表情で虚空を見つめる鬼島に、トオルは運が良かったと一安心する。


 どうやら、彼にとってはトオルと石徹白さんの関係性よりも、好きな女の子の意外性に萌える感情の方が強かったようである。



「……でも、随分と仲がいいんだなお前」

「え」



 とはいえ、全く気にならなかったわけでもないのか、不意にそんなことを尋ねてくる。 


 これに、どう答えたものかと一瞬悩んだトオルだったが、



「ああ、うん。代わりに男としては全く意識されてないんだけどね」

「なるほど……そういう感じなのか……」



 ここぞとばかりに疑惑の芽を摘んでおくことにした。


 あくまでも友達としてのやり取りなのだということを理解して貰えれば、今後の石徹白さんの攻撃に焦る心配もなくなる。


 そう思っての発言は、見事に鬼島を納得させることに成功していたが、



「…………」



 ふと池林の方を見てみれば、何やら考え事をしているのか、未だにリアクションを見せていないことに気がついた。



 ──まさか、疑われてる……?



 勘の良さそうな彼のことだ。


 もしかすると、鬼島と違って疑念を抱いているという可能性も否定できない。



「あ、池林──」



 故に池林にもしっかり説明しようと試みるが、



「ごめん、お待たせっ」



 残念ながら、石徹白さんが戻ってきたことでそこまでは叶わなかった。



 ──まあ、池林ならだいたい察してくれそうだし、大丈夫か。



 仕方がないので、完全なる勘でしかないものの、そういうことにしておくのだった。








 席へと戻ってからしばらく。



 ──おかしい。



 エルナは予想と違う場の雰囲気に疑問を抱いていた。



「へぇ、鬼島もゲームとかやるんだ。何かそういうのやらないタイプだと思ってたよ」

「そうなのか? 男なら多少はやってるもんだろ」



 日並トオルの魂胆を滅茶苦茶にしてしまおうと、様々な手を使ったエルナだったが、何故か当の男子たちは和やかに時を過ごしていたのだ。


 本来あんなところを見せつければ、自分と彼の間にただならぬ関係があるのではと勘違いし、ギスギスするはずである。



「あっ、私も最近やってるよ?」



 では、いったい何があったというのか。


 試しに手を加えてみようと、丁度いい話題に乗っかっていき、



「あ、エル……石徹白さんも、やる、んすか」

「うん、日並くんの家でやらせてもらってるの♪」



 容赦なく爆弾発言を投下してみたのだが、



「ああ、友戯と一緒に時々来るんだよね。ほら、俺の家、結構ゲームとか充実してるから」

「ほーん、そりゃ楽しそうだな」



 日並くんは愚か、鬼島猛にも響いていない様子。


 理由は分からないが、どうやらエルナがいない間に上手く誤魔化したようである。



 ──ムカッ……!



 こちらの攻撃に対し、澄ました顔でスルーする日並くんに、こめかみがピクリと引きつる。


 言っておくが、エルナの身体はそこまで安くない。


 先ほどの慌てふためく姿だけで満足するなど、ありえないことだった。



 ──こうなったら、徹底的にやってあげる。



 そう決意したら後は行動を起こすだけだ。


 食事もあらかた終わったところでエルナは一つ息を吸い、ゆっくり吐き出すと、



「あ、そうだ日並くん!」



 ふと思い出したように日並くんへと声をかけた。



「え?」



 すると、予測通り彼が何だろうかといった様子で聴き返してくるので、



「こ、今度の日曜日、暇だったりする……かな……?」



 少し言いにくそうな感じで、休日の予定を聞いてみる。



「うーんと、特に予定はないかな?」

「っ! そ、そうなんだっ!」



 そして、彼の答えに嬉しそうに華やいで見せれば、恋する乙女のできあがりである。


 もちろんこれらは全て演技であり、思わせぶりな態度を披露することで焦らせるという作戦だったのだが、



「じゃあ──」



 最後の最後、極めつけにデートのお誘いをしようとした時、



「──ぁ、えと……」



 意図せずして固まってしまった。



 ──もし、オッケーだったら……?



 理由は明白で、ついその後のことを考えてしまったからだ。


 普通、やり返すための嘘なのだから、後でドタキャンなり何なりをすればいいのだが、



 ──そのまま行ったら、本当のデートに……。



 しかし、不意に湧いてきた別のルートが、思考のリソースを余計に割いてきてしまう。


 理性は決して彼に特別な想いが無いことを主張しているが、本能の片隅ではそれをアリだと考えてしまっている節があったのだ。



「石徹白さん?」

「っ!」



 そんな混乱が脳を駆け巡ったせいで、当の日並くんに訝しんだ目を向けられ、



 ──え、ええっとっ……!?



 逆に焦らされたエルナが危うく自滅しかけたその時、



「ふ、二人はどうかな!?」



 気がつけば、当初の予定にない発言をしてしまっていた。



「え?」

「ほ、ほら! せっかくこうして集まったんだし、このメンバーでどこか行くのも……みたいな?」



 結果、本来の目的とは真逆に、日並くんたちの手助けをしてしまうことに。



「も、もちろん行けるぜっ!?」



 鬼島猛は意気揚々と肯定し、



「へえ、面白そうだ、ぜひ行かせてもらおうかな」



 池林誠也もまた、迷うことなく了承してしまった。


 こうなったら、今さら無しにすることなどできようはずもない。



「そ、そっかっ、良かったぁ……た、楽しみだなぁ、あはは……」



 日並くんへの復讐も叶わず、かといって不可抗力デートに行けるわけでもないという考えうる限り最悪の展開に、もはや笑うしかなかった。



「石徹白さん……」



 そんなエルナを見て何を思ったのか、日並くんはぼそりと呟くと、



「ごめん、ありがとう」

「っ……」



 急に耳もとで感謝を囁いてくる。


 おそらく、自身の手助けをしてくれたとでも思ったのだろう。


 それが妙にくすぐったかったエルナは、顔に熱がこもるのを感じつつ、



「別にっ……ただ、まだやり返し足りないだけだからっ……」



 何とか誤魔化そうとしたせいで、安いツンデレキャラのようになってしまうのだった。










 そんな、にわかに賑やかになったファミレスの一角。


 しかし、この時彼らは知らなかった。



「…………」



 少し離れた席、サングラスをかけた怪しい三人組が、こっそりその動向を窺っていたことを……。

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