第73話 ※地獄の始まりです。

 時は少し遡って、石徹白さんからお許しを得たすぐ後のこと。



「す、すまん遅れた!」



 ファミレスの外で待機していたトオルは、汗だくになりながら駆けてくる鬼島の姿を視界に捉える。



「いや、大丈夫だよ。石徹白さんもそんな気にしてなさそうだし」

「そ、そうかっ……」



 息を切らす鬼島を落ち着かせるためにそう伝えると、



「悪い、待たせたな」



 後から自転車に乗った池林が続いてきた。


 が、ふとその光景に違和感を覚える。



「あれ、一緒に来るんじゃ?」



 ほぼ同じタイミングとはいえ、バラバラにたどり着いたのが気になったのだ。



「ああ、たけるのやつ、止めるのも聞かずに勝手に突っ走っちまったのさ」



 そして、どうやら出発のタイミングは同じであったことを池林から確認すると、



 ──自転車より早く走ってきたのか……。



 鬼島の執念の凄まじさを理解し困惑させられてしまう。



「ま、まあそれより早く行こっか!」



 トオルは動揺しつつも、しかし石徹白さんを待たせるわけにはいかないと店内へ誘導することにし、



「……あっ」

「っ!!」



 そして、ついにその時はやってきた。



「鬼島くんだっけ? よろしくね!」

「どぅ、どぅもす……」



 鬼島にとって、待ちに待った大チャンス。


 だが、こちらに手を振る石徹白さんと目が合った鬼島は、見たことが無いほどにカチコチになり、声量もトオル以下になってしまっていた。



 ──いやうん、分かるよ。



 それを見たトオルは、初めて石徹白さんと出会った日を思い出し共感する。


 特別な感情が無かった自分でさえあれだったのだ。


 鬼島からすれば、今この瞬間はとてつもなく緊張する場であるに違いないだろう。



「で、池林くん……だよね!」

「ああ、よろしく頼むよ」



 一方、流石は池林というべきか。


 石徹白さんほどの美少女を前にしてもまるで平静を崩さず、相も変わらぬイケボで応えていた。



「わ、カッコいい声!」

「はは、よく言われるよ」

「あ、やっぱりそうなんだ?」

「まあでも、こういうのは何回言われても嬉しいもんさ」

「そっか、それなら良かった♪」



 そんな二人のかけ合いは流れるようにスラスラとしていて、ガチガチの鬼島は愚か、トオルでさえ割り込みにくいほどであった。



「あ、ほら、みんな席に座ろ?」



 これがコミュ力かとトオルが戦々恐々させられていると、石徹白さんがいち早く着席を促してくれる。



 ──いかんいかん、一応ホストはこの俺なんだから。



 石徹白の気遣いに感謝しつつ、トオルは内心で自分の役割を思い出して気持ちを切り替えた。



「とりあえず注文しよっか」



 すぐさまメニュー表を掴み取り、三人に向けて提案すると、



「じゃあ私これで!」

「俺はこれにしようかな」

「お、お、おではこでで……」



 ある程度決めていたのか、三者三様に料理を選んでいった。


 トオルも自身の分を決めて呼び鈴を押すと、やって来た店員さんにそれをそのまま伝える。



「──それで猛が姉貴さんにお使い頼まれてさ。すぐやればいいのにゴネたせいで喧嘩になって……」

「おいバカッ……」

「へえ、鬼島くんお姉さんいるんだ?」



 そうして料理を待っている間も、石徹白さんと池林両名のおかげもあって意外と会話は進んでいた。



「あ、ああ……その、い、石徹白さんとは真逆で、全然優しくない人だけど……」

「あはは、そんなこと言ったらお姉さんがかわいそうだよ?」

「えっ、いやそのっ……!」



 やはり鬼島は緊張していたままだったが、



「まあでも、私もお兄ちゃんいるから少し分かるなー、そういうの」

「え?」

「優しいのは優しいんだけど、過保護っていうか……」



 石徹白さんが上手くカバーしてくれているので、会話はちゃんと成立していた。



「そ、そうなん……だよ! いつまでも子供扱いしてきてさっ……」

「うんうん、分かる! もう高校生なのにね?」



 結果、意外と二人だけでも盛り上がっており、見た感じトオルが自分の必要性を疑い始めるレベルにまでは達しているだろう。



 ──これなら、困ってるときに少し手助けするくらいで良さそうだな。



 実際のところ、石徹白さんがどう思っているのかまでは分からないが、第一印象としてはそこまで悪くなさそうである。



「お待たせしました──」



 これはもしかして本当にワンチャンあるのではと、他人ながら勝手に興奮していた時、丁度料理が運ばれてきた。


 会話は一旦終わり、それぞれ自分のものを受け取っていき、



「いただきます」



 全員分が行き届いたところで、誰からともなく食前の挨拶が告げられる。



 ──よし、後は上手い具合に次の機会へと繋げれば完璧だ。



 勝利を確信したトオルは、頼んだグラタンの匂いに感嘆としながらスプーンに手を伸ばし、



「わぁ、日並くんのも美味しそう〜」



 横から石徹白さんの羨ましそうな声を聞く。



「あ、でしょ? ここ来たらだいたい頼んでるんだよねこれ」



 トオルはそれに深い意味があるとも思わず、思ったことをそのまま答えたのだが、



「それじゃあさっそく、いただきま──へ?」



 すぐに、自身の浅はかさを呪うこととなった。



 ──あれ、俺のグラタンは……?



 何せ、スプーンですくったはずのクリーミーなそれが、突如目の前から消え去ったのだから。


 目の前で起きた現象を理解できず、完全にフリーズしたトオルだったが、



「あむっ……ん〜、おいひい〜♡」



 横で美味しそうにあざとい声を上げる石徹白さんを見れば、原因はすぐに判明してしまう。



 ──え、何してるの?



 しかも、一瞬飛んでいた記憶を思い返せば、確かにトオルのスプーンに食らいつく石徹白さんの横顔があったため、勘違いということもありえない。



「あ、私だけ食べるのはズルいよね」



 そして、そんな彼女の奇行はそこで終わらなかった。



「ほら、日並くん♪」



 混乱するトオルを置いて、自身のスパゲティをフォークで巻き取った石徹白さんは、



「はい、あ~んっ」



 あろうことか、トオルに対して突き出してきたのだ。


 可愛い女の子から繰り出されたそれは、思春期男子の憧れそのものであったが、残念ながら素直に喜ぶことなどできようはずもない。



「…………」

「…………」



 前を見れば、ポカンとした様子でこちらを見る二人の男子がいるのだから、それもそのはずだろう。



 ──いや、君は何してるのッ……!!??



 先ほどまでの気遣いはどこへやら。


 鬼島の思いを何となく理解してるはずの彼女が取るとは思えない鬼畜の所業に、トオルの脳内司令部はパニックに陥った。



「もうっ、食べないの?」

「あ、いやっ、そういうのはちょっと恥ずかしいかなって!」



 しかし、ぷくっと頬をふくらませる石徹白さんを待たせるわけにもいかず、適当な理由で乗り切ろうとするも、



「えー? 前はオッケーだったのに……」

「え……!?」



 いかにも初めてではないかのような雰囲気を醸し出されてしまう。


 当たり前だが、石徹白さんにあーんをされた経験などあるはずもない。


 いったいどういうつもりなのかと睨んで見れば、



「…………♪」



 見事、意味深な笑顔で返されてしまった。



 ──あ、ああ……怒っていらっしゃるっ……!!



 そこでようやく、彼女の怒りが鎮火していなかったことを察したトオルは、ガタガタと震え始める。



「あ、ごめんね? やっぱ友達同士で変かな?」

「え、あ、そんなことはないっ……すよっ……!」



 さらに、どうやらすぐにトドメを刺す気はないようで、あくまでもそういう関係ではないことを鬼島に説明し始める始末。



 ──ま、まずい、このままだとっ……。



 この後の展開を想像したトオルは戦慄した。


 何せ、相手はあの鬼島である。



『おいてめえッ! 話が違うじゃねえかよッ!!』



 おそらくこんな感じで激昂したあと、死なない程度にボコってくるに違いなかった。



「あ、ごめん、ちょっと席外すね?」



 そして、トオルの心でも読んだのか、石徹白さんは狙ったかのように席を立ち、



「んしょっ!」

「っ……!」



 ついでに、トオルの上をわざとらしく擦っていくように通っていったせいで、男子二人はさらに困惑させられている様子。



 ──ひ、ひえぇ……。



 当然、残されたのは三人だけの気まずい状況。


 静寂の中、二人の視線を一身に受けることになったトオルは、まるで生きた心地がしないのだった。

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