閑話

第53話 ※とても友達とは思えません。

 とある道場に隣接する、瓦屋根の一軒家。


 窓の外からは、むさ苦しい男たちのかけ声がくぐもった形で微かに聞こえてきている。


 普段であれば、やかましいと心の中で一言二言文句を言っているところだが、



 ぽすっ。



 特に何を言うでもなく、無気力にベッドへと倒れ込んでいた。



 ──あぁ……良かった……。



 だが、それもそのはず、枕に顔をうずめるその少女──石徹白エルナにとっては、それだけ今日という一日が濃密で幸せなものだったのだ。



「むふっ……!」



 大好きな親友である、あの遊愛ちゃんと仲直りができた。


 その事実だけで顔がニヤけ、自然と足がぱたぱたと動いてしまう程度には嬉しくて堪らない。



 ──どうしよっかな〜!!



 明日からは昔と同じように接することができる。


 遊びに誘ったり、学校で一緒に昼食をとったり、当たり前のようなことが、当たり前にできるのだ。


 これで喜ばずして、いつ喜べというのか。



 ──それもこれも日並くんのおかげ、かな?



 思えば、日並くんには感謝しなければなるまい。


 もしも彼が優しい人物で無かったのなら、今こうして歓喜に浸ることもできなかったので、当然のことだろう。



 ──そう、日並くんの……あっ。



 が、彼の存在を思い出したところで、不意に顔が熱くなる。



 ──は、恥ずかしっ……。



 今さらながら、日並くんの前で醜態を晒しすぎたことに気がついたのだ。


 遊愛ちゃん相手ならまだしも、会って間もない男の子の前で子どもみたいに泣きじゃくったのは、よく考えなくとも情け無さすぎた。



 ──しかも、変な色仕掛けみたいなのもしちゃったしっ……!



 加えて、彼に勝ち誇られるのが悔しかったとはいえ、慣れないことまでしてしまっている。


 前半はまだ視線を引き付ける目的程度だったのでギリギリ許せる範囲だが、流石に脚の上に座るのはやりすぎた自覚があった。


 あんなのはもう、恋人でも無い相手に尻を触らせたようなものなのだから当たり前である。


 

 ──でも、なんか……。



 が、一方で、あの時の感覚を思い出すと、どこか落ち着くような気分にもなる。


 日並くんの腕に包まれた時の優しい体温と、そこから来る安心感といえば、それはもう……



 ──って、違う違うっ……!!


 

 そんな風にぼうっとなりかけたところで、慌てて意識を呼び起こした。



 ──日並くんは友達の友達! それ以上はありえない!!



 優しい人ではあるが、所詮その程度。


 特段好きになるようなスペックでもなく、うっかり恋に落ちたなどということは断じてない。



 ──残念だけど、日並くんはもう用済みだよっ……。



 だが、念には念を入れた方がいいだろう。


 少なくとも、接近さえしなければ確率は0%なのだから、近づかないに越したことはないはずだ。



 ──よし。



 そう考えたエルナは、さっそく親友へとメッセージを送る。


 内容はもちろん、明日一緒に遊ぼうというものである。



『ん、いーよ』



 すると、ちょうどスマホをいじっていたのか、すぐに返信が返ってきた。



 ──ふふっ……今までありがとう日並くん。キミのことは忘れないよ。



 もはや彼に合わずとも目的は達成できるのだ。


 そのことが証明されたと言わんばかりにニヤリと笑うと、エルナはそのままマインでのやり取りに没頭するのだった。










 そして翌日の日曜日。



「おはよ、ルナ」

「…………」



 予定通り、ショッピングセンターへとやって来たエルナは、そこに待っていた人物を見て固まっていた。



「おはよう石徹白さん」



 まるで、そこにいるのが当たり前かのような平然とした態度に、思わずクラリときてしまう。



 ──なんでここに日並くんがっ……。



 説明を求めんと、遊愛ちゃんに視線をやれば、



「ああ、日並もいた方が楽しいかなって」



 悪びれもなくそう答えてくる。



 ──そりゃ、遊愛ちゃんにとってはそうかもしれないけどっ!!



 あいにく、こちらからするとまだ数回しか会っていない、いわばそこら辺の男子でしかないのである。


 そうでなくとも、久しぶりのお誘いなのだから二人で遊ぼうという気遣いは無かったのだろうか。



 ──いやうん、無いんだろうね。



 が、ここでツッコミを入れるわけにもいかず、一人で自己完結するに留めるしかない。



「そ、そうだねー」



 とりあえず適当に返事をしつつ、まずは昼食をとるためにフードコートへと向かう。



 ──ま、まあ? 遊愛ちゃんとショッピングを楽しむ目的が達成できればいいし?



 ただ、想定外ではあったものの、彼の存在はおまけみたいなのものだと思えば大きな支障があるわけでもない。



「二人は何食べたい?」



 気を取り直して自然に言葉をかけると、



「うーん、どうしよ?」

「色々とあって悩むよなこういう時」



 二人とも特に考えてなかったのか、キョロキョロと辺りを見回し始める。


 

 ──まあ、私も決めてなかったけど。



 とはいえ、こうして何を食べるかで悩むのも醍醐味の一つだろう。


 三人で固まりながら歩きつつ、各々の食べたいものを捜索していき、



「あっ、これにしようかな俺」



 最初に声を上げたのは日並くんだった。


 視線の先を辿ってみれば、



「クレープ?」



 甘そうな匂いが漂ってくる、クレープ屋があることに気がつく。


 一瞬、昼食だというのにいきなりデザートかと思ったエルナだが、



「ハムとチーズのやつ美味いんだよね。前に食ったのめっちゃ昔だけど」



 どうやら彼の狙いは惣菜系のものらしい。


 まあそれもそうかと遅れて理解したエルナは、すぐに興味を失い自身の分を探しに戻った。



「あ、いいね。私もそれにしよ」

「っ!?」



 が、次の瞬間、再び振り向かされることになる。



 ──ぐぬぬっ……!



 どうやら、遊愛ちゃんは彼の選んだものに強く興味を惹かれたらしい。


 本来であればエルナ自身がやりたかったそれを、まさか乱入者によって横取りされるとは。


 これは警戒レベルを上げなくてはならなさそうである。



 ──ふ、ふんっ。そっちがその気なら、こっちにも考えがあるから!



 だが、ここでめげるほどエルナもやわではない。


 楽しそうに話す二人に後ろ髪を引かれながらも、いざ作戦行動を開始していく。



「二人ともお待たせっ──」



 数分後、エルナの手元にはお盆の上に載せた複数の品々が用意されていた。


 たこ焼き、ポテト、ナゲットというみんなでつまめる食品を適量。


 それから、おそらく二人が考えていないであろう水分補給のためのジュースを三つ買っていくという周到さ。


 さらには、遊愛ちゃんの好きなメロンソーダもちゃんと用意している隙の無い構え。


 ここまで準備すれば、



『わっ……いいねっ、流石はルナっ!』



 と、こんな感じで大喜びしてくれるに違いない。


 そして実際、



「おお……」

「わ、ありがと、ルナ」

「ふふんっ……」



 二人の反応は上々で、エルナも思わず笑みをこぼしてしまう。



「それじゃあ、いただきます」



 休日ということもあって混雑している中、何とか席も確保し、誰からともなく食事前の挨拶を交わした。



「あ、とりあえず好きなの選んでっ」



 順調な滑り出しに、エルナはさっそくジュースを選ばせることにする。



「ありがと、それじゃあ──」



 すると、遊愛ちゃんもそれに乗っかり、三つの容器をそれぞれ確認するが、



「そうだ、日並ってメロンソーダ好きだったよね?」

「え」



 あろうことか、目的のブツを横流ししようとしていた。



「ああ、うん。でもいいのか?」

「私は大丈夫。ルナは?」



 しかも、この状況では駄目と言えるわけもなく、



 ──う、うぐぐっ……。



 苦渋の決断を下すしかなかった。



「う、うん……もちろんだよっ」



 笑顔が引きつらないよう注意しつつ、



 ──はぁ……。



 心の中でため息をつきながら声を絞り出す。


 何てついていない日なのだと、テンションがだだ下がりしていく一方だったが、



「まじかっ、ありがとう石徹白さん!」

「っ!!」



 不意に嬉しそうな声が鼓膜を震わせてきた瞬間、曇りかかっていた心に温かな陽光が差し込む。


 それは、ほんの些細な喜びから生まれた、ありふれた笑顔でしかないはずなのに、不思議と視線が吸い寄せられて……



「ン゛ン゛ッ!!」

「石徹白さんっ!?」



 ギリギリのところで、何とか戻ってくることができた。


 顔を隠そうとした両手の勢いが強すぎて頬がヒリヒリするが、おかげで難を逃れたようである。



 ──気をしっかり保ってエルナッ……あれはただの凡人だよっ……!!



 現実をしっかり認識すればなんてことはない。


 相手は絶世の美男子でもなければ、命を救われたほどの恩があるわけでもないのだ。


 ただちょっと優しくされた程度の男に落ちるようなことがあればあまりにもダサすぎるので、急いで気を取り直す。



「あ、ああっ! 二人のクレープもおいしそうだね!」



 ひとまず、不審な挙動にツッコミを入れられる前に話題を変えることにし、



「うん、いい匂いだよね。てか友戯はそれで良かったの?」

「え、なんで?」



 見事、気を逸らすことに成功した。


 遊愛ちゃんの手を見てみれば、そこにはバナナとキャラメルソースがふんだんにあしらわれた代物が握りれており、確かに昼食にするにはやや甘すぎるように思える。



「だってほら、どっちも食べたいけど両方買ったら食べきれそうにないし、それなら一つずつ買って分け合った方がいいかなって」

「ほうほう」



 それは遊愛ちゃんも自覚していたのか、わざわざそうした理由を説明し、日並くんもそれに頷くのだが、



「というわけで、さっそく一口……あむっ」

「うわっ!?」

「ッ!?」



 ここに来て、彼女はいきなり暴走し始めた。



 ──な、何してるの遊愛ちゃんッ……!?



 そう思うのも当然だろう。


 何と、隣りに座っていた遊愛ちゃんは、あろうことか机の向こうへと身体を乗り出すと、日並くんのハムチーズクレープへと食らいついたのだ。


 恋人同士がするような大胆な行動にエルナの顔が熱くなるが、それは日並くんも同様らしい。



「なに、前にもやったでしょこれ」



 ──前にもやったの!?



「あ、ああ、それもそうか」



 ──納得しちゃうんだ!?



 が、何故か話は平然と終わりを告げ、



「じゃあ、……はい、代わりにこれ」



 今度は自分のクレープを差し出す遊愛ちゃん。



「ああ、んっ……うん、美味いっ!」



 日並くんも断ることなくそれを頬張り、なんの恥ずかしげもなく感想を言い始める。



 ──と、友達なんだよねッ……!?



 状況に追いつけないエルナは目をぐるぐると回し、ただただ彼らの奇行を見届けることしかできなかったが、



「あ、ごめんね……はい、ルナにも」



 何を思ったのか、遊愛ちゃんはそう言って食べかけのクレープをこちらに差し出してくる。



 ──いや、何が『はい』なのッ!?



 目の前にあるのは、当然のように日並くんが口をつけたバナナクレープで、



 ──だ、だってこれっ……。



 それはつまり、彼とのアレを指すわけで、



「あれ、いらないの?」



 故に、なので、だからっ……



「た……たべるっ……」



 気がつけば、エルナはこくりと頷いてしまっていた。


 言ってから、はっとなるも時すでに遅し。



 ──ち、違うっ、これはそのっ、クレープ美味しそうだなって思っただけでっ、遊愛ちゃんの好意を無碍にするのも……ってだけだからっ……!!



 自滅によって勝手に加熱する頭を冷まそうと、一人で言い訳しまくりつつ、



「っ、は、はむっ……」



 意を決して標的へと食らいつき、



「どう?」

「……ウン、オイシイヨッ!」



 味など全く分からないまま、適当な感想をこぼすことしかできないのだった。

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