第50話 ※時には喧嘩も必要です。
その時の出来事を、トオル=ヒナミは『まるで時間が止まったかのようだった』と後に語ったという……
──いや、マジでどういうこと……!?
のは冗談として、それほどまでに衝撃的な瞬間であることには違いなかった。
それもそのはず、今この家には自分と石徹白さんの二人しか存在しないはずで、急に背後に第三者が出現することなどありえないのだ。
「──ふーん……」
しかし、現に目の前にはあの友戯がいて、こちらを見下ろすように睨めつけており、
「──なんなの、それ?」
「あっ!?」
当然、トオルが石徹白さんをあすなろ抱き──厳密にはあすなろスタイル──しているように見えたのだろう。
明らかに機嫌の悪そうな声で威圧された石徹白さんは、青ざめた顔でバタバタとトオルの上からどいた。
「え、えっとこれは──」
怯える石徹白さんの顔を見たトオルは、ここは自分が説明するべきだと話しかけるが、
「──大丈夫、分かってるから、日並は静かにしてて」
「あ、はい……」
石徹白さんへのそれとは真逆に優しい声で却下されてしまう。
そう言えばと、友戯からすれば脅されていたところまでしか知らないということに気がつく。
やはり、自分が話すべきなのではと口を開こうとするも、
「それでなに? 脅迫の次は色仕掛けでもしてたの?」
「ち、違うっ」
間髪入れずに、鋭い声が割り込んできた。
いつからいたのかは分からないが、少なくとも友戯は先ほどの光景を見ている。
そしてそれは、傍から見れば恋人同士のような体勢であり、彼女の視点からすれば不可解極まりないことだろう。
「違う? じゃあ、さっきのは何だったの?」
「そ、それは……」
正論で詰められた石徹白さんは一瞬、助けを求めるようにこちらをチラリと見てくるが、
「ゆ、遊愛ちゃんには関係ない、でしょっ……」
「っ!」
何を思ったのか、トオルの発言を待つこともなく挑発的な態度を取り出した。
「ど、どうせ私のことなんてどうでもいいんだろうし? 私がどうしようと、勝手でしょっ……」
「はぁ……何言ってるのか分からないけど、日並のことなんだから関係あるに決まってる」
そして、そのまま拗ねたような態度をとる石徹白さんに友戯は呆れるが、
「別に、ただの友達なんでしょ」
「? そうだけど」
「だったら私が日並くんの、か、彼女になろうと勝手だよねっ」
「っ!」
突然の爆弾発言に目を見開く。
「な、なにその冗談。昨日言ってたことと違うけど?」
「あれは、う、嘘だからっ。本当は日並くんが好きだから、遊愛ちゃんが邪魔だっただけっ!」
「そんな、わけ……」
トオルからすればどう考えても嘘にしか聞こえないそれだったが、友戯にとってはそうでもなかったようだ。
確かに、考えてみるとトオルを友戯から遠ざけようとしたのも、こうして部屋で密会していたのも、辻褄が合うように見えなくもない。
「……やっぱりおかしい。だって、そもそも前に日並のこと煙たがるようなこと言ってたからこうなってるのにっ」
「そ、その時はその時っ! 今はもう好き……なんだから、それで終わり!」
結果、互いにいったい何の話をしているのかという、混沌とした状況になっていく。
──な、なんてこった……。
石徹白さんは友戯に構ってもらいたいという気持ちがダメな方向に傾きまくっているし、友戯は友戯で思考が完全にロックされてしまっている。
このまま話していたところで問題が解決するようには見えず、トオルは言葉を挟みたくなるが、
「なに、今度は嘘?」
「う、嘘じゃないっ!」
「ふーん……まあどっちにしても、日並に嫌がらせして土下座させてたのは事実だし、少なくとも昨日は嘘ついてたってことだよね?」
「うっ、く……」
ヒートアップする二人のラリーは止まらず、中々隙が生まれない。
だが、
「も、もういいっ!! 遊愛ちゃんなんかっ──」
流石にこれ以上は見過ごしていられない。
「──す、ストップ!!」
「!?」
石徹白さんが涙をこぼし始めた直後、声を張り上げて無理矢理にでもと割り込んだ。
「ひ、日並くん……」
「二人ともそこまで。いったん頭を冷やそう」
今の今まで蚊帳の外だったが、トオルとて当事者の一人である。
二人が互いに傷つけあうのを、大人しく見守っていることなどもうできなかった。
「なに日並、今は私たちがっ」
友戯はなおも頭が熱くなっているままのようだったが、
「友戯」
「っ……」
真剣な目で見つめてやれば、根負けしたのか視線を逸らす。
「それじゃあ石徹白さん、本当のことを話して」
「えっ」
そこでようやく、友戯も聞く耳を持ってくれたと判断したトオルは、石徹白さんへと話を振った。
「大丈夫、石徹白さんの想いも、友戯の想いも、どっちも悪いものじゃないはずだから」
「う、うん」
心配そうな顔をする石徹白を安心させるため、近づいてこっそり言葉をかける。
後ろでは、それを見ていたのだろう友戯がむすっとした顔をしていたが、これは必要経費である。
「あ、えっと……」
少しして、覚悟が決まったのか、石徹白さんは一歩前へと出ると、
「ごめんなさい……さっきのは嘘、です……」
まずは謝罪から入った。
「ほら、やっぱりっ──んぐっ!?」
すかさず友戯が反応するが、用意しておいたクッションを押し付けて口を塞ぎ、
「頼むよ友戯。今は話を聴いてあげてくれ」
「んん……」
クッション越しに頷くのを確認したところで釈放する。
「続けていいよ」
「うん──」
そのまま、石徹白さんに話の続きを促すと、彼女は自分を落ち着かせるように深く息を吐くのだった。
日並くんに声をかけられ、気分が落ち着いていくのを感じる。
──大丈夫、きっと。
遊愛ちゃんなら──この世で一番大切な友達なら、受け入れてくれるはずだ。
「──まずその、日並くんに嫌がらせしたのは、私の勝手な勘違いが原因です、ごめんなさい……」
そう信じ、できるだけの誠意を込めて頭を下げる。
「それと、ね。中学の時、日並くんのことで遊愛ちゃんを悲しませたのも私が悪かったから……それも、ごめんなさいっ」
「…………」
続けて、そもそもの原因となった過去の失敗についても謝罪する。
その間、遊愛ちゃんは一言も発することなく、場は重苦しく緊張した雰囲気に包まれていた。
「で、でもっ! 遊愛ちゃんのことが大切なのは本当でっ──」
気がつけば、堪えきれなかった想いの丈が涙ともに溢れ出てしまう。
顔を上げ、必死の思いで彼女を見つめるが、
「──それで?」
返ってきた答えは厳しいものだった。
──遊愛ちゃん……?
昨日、学校で会った時と同じ、険しい顔。
叶うなら、一度も向けられたくなかったその表情を向けられ、途端に不安が込み上げてきた。
「本当にそれだけだと思う?」
「え……」
遊愛ちゃんは何かを訴えてきている。
なのに、頭の中には何も浮かんでこない。
「そ、それだけって……」
だから、そんな時間稼ぎをするような言葉しか出てこなくて、
「確かに、きっかけはそうだったよ。せっかく、友達と再会できると思って喜んでたのに、横から水を差してきたんだから」
いつの間にか主導権も奪われて、正論が刃となって心を抉ってくる。
「でもさ、別にその一回だけじゃないでしょ?」
「えっ、と……?」
そして、続く言葉を前に、
──一回だけじゃ、ない?
全身の熱が引いていくのを感じた。
──そんなはずが。
おそらく、あるのだろう。
しかし、記憶を思い返してみてもこれというものに当たらず、
──あ。
ふと、漠然とした何かに、引っかかる。
いったい、その正体が何なのか探ろうとするも、
「日並は知らないかもだけど、ルナってずっとそうだから。私のことになると無駄に張り合うし、そのせいで空気が悪くなったことだって、何度もある」
「…………」
それよりも早く、答えを教えられてしまう。
思い当たらなかったのではない。
自分にとっては大したことでないと、そう思い込んでいただけだ。
──ひ、日並くん……。
途端に恐ろしくなった。
あの優しかった少年が、今の話を聞いて何を思ったのか。
そして、その話をした少女は、今までどんな感情を抱えながら自分のことを見てきたのか。
「そ、それは、だって……」
先ほどから、汗が止まらない。
頭が回らず、色々と言いたいことがあるはずなのに、まるで言葉にならない。
「だから正直──」
しかし、願っても時は止まってくれず、
「──途中からルナのこと、嫌いになってた」
「う、そ……」
心の準備をする間もなく、残酷な真実を突きつけられてしまう。
直後、全身から力が抜け、視界がグラつき、
──違う。
立っていることもできず、床に崩れ落ちる。
──そんなはずない。
楽しかったあの頃の記憶が蘇ってきては、
──だって。
もう手に入らないほどに遠くに感じ、
──遊愛ちゃんは私の友達で。
やがて、その全てが自分の一方的な思い込みだったことに気がついてしまう。
「そん、な……や、だっ……」
もう、とっくに終わっていたのだ。
今や、彼女にとって自分は、たまたま隣の席になっただけの女の子でしかないのである。
「やだ、よっ……遊愛ちゃんっ……」
しかし、そうと分かってもまだ、心は醜く足掻こうとする。
床にうずくまって、子どもみたいに泣き喚いて、そうすればきっとまた元に戻れるのだと、信じずにはいられなかったのだ。
「……ゅあ、ちゃん……っ……」
溢れる涙で埋もれ、すでに前は見えない。
──ああ、やっぱり私はこういう運命なんだ。
きっと、孤独だったのはこの髪のせいなんかじゃない。
人に愛を与えられず、依存することしかできない、そんなくだらない人間だったからこんな……
「──石徹白さーんっ!!」
「ふぇっ……!?」
そんな風に、意識が闇の底へと沈んでいく
あまりの驚きに、バクバクと鳴る胸を押さえつつ、声の主へと視線を向け、
「ははっ……石徹白さん、本当に友戯のこと好きなんだね」
少し困ったような笑みを浮かべる、日並くんと目が合った。
「ほら、話は最後まで聴いた方がいいんじゃない?」
「え……?」
なぜ、そんなに穏やかでいられるのだろうかと疑問に思いつつ、促されるままに遊愛ちゃんへと視線を向ける。
「はぁ……なんかもう、気が抜けた……」
すると、先ほどまでの険悪な雰囲気はどこへやら、そこには呆れたようにため息をつく姿があった。
「え? え?」
「本当はもっと言いたいことあったんだけど……話の途中であんなに泣かれたら、何言っても違う気がしてくるでしょ……」
未だ困惑の中にいるエルナは、二人の顔を交互に見ながら疑問符を浮かべることしかできない。
「日並もなんか、気にしてなさそうな感じだし」
「まあ俺も、二人が良いなら良いってスタンスだから……」
とりあえず、険悪な雰囲気ではなくなったことに強い違和感を覚えたため、
「私のこと、き、嫌いなんじゃ……?」
重要な部分を改めて確認するも、
「うん、まあ」
「ほ、ほらぁっ!!」
やはり聞き間違いではなかったらしい。
その事実に再び、視界がじわりと滲んでくるが、
「くすっ…」
不意に笑い声が聞こえてきて、
「でも、ルナのそういうところは好きかも?」
続く言葉に、ポカンとしてしまう。
「え……?」
「子どもみたいに素直なとこがってこと。後はそう、どこに行っても付いてくるからいつも賑やかだし、逆に、困った時は急に頼りになるとこなんかは格好良くていいと思う、かな」
唐突な逆転劇に思考が追いつかないまま、心だけは確かに温かくなっていき、
「だからその、ごめん……ルナのこと一人になんかして……寂しかった、よね?」
そして、照れくさそうに頬をかいた彼女の姿を見て、言葉にできないほど嬉しい感情が込み上げてきた。
当然、溢れる涙は先ほどまでと違いとても温かくて、
「ゆ、ゆあぢゃ〜んっ……!!」
「わっ」
抑えきれない衝動から、気がつけば抱きついてしまっていた。
「ごめんねっ……わたし、はじめてのともだち、うれしぐてっ……まわりのこと、何も見えてなぐっでっ……」
「ルナ……」
きっと、涙と鼻水で遊愛ちゃんのパーカーはぐしゃぐしゃになっているに違いない。
でも、もう離れたくはなかった。
それほどまでに彼女の胸の中は温かくて、心地良い。
「うぅ……よ、よがっだねっ、いどじろざんっ……」
そんな感動に浸っていた時、後ろから自分のものではない涙声が聞こえてくる。
「び、びなびぐん……」
振り向けば、自身の目をかく日並くんの、心底嬉しそうな笑顔があった。
それを見たエルナの胸中もまた喜びに満たされ、
「よ、よじっ! ながなおりのあどは、びんなでげーむじよぅっ!!」
「うんっ……!」
彼の震えるような号令に、大きく頷くのだった。
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