第46話 ※彼は共感しがちです。

 石徹白さんと勝手に悲しみを分かち合ってからほんの数分後。



「…………」

「…………」



 部屋一帯には非常に気まずい空気が流れていた。



 ──い、いやー久しぶりに泣いたなっ……。



 が、それもそのはず、お互いに涙を流しながら号泣していたわけだが、実を言うとトオルは彼女とそこまで仲が良いわけでもないのだ。


 言葉でまとめるなら、ほんの数日お喋りしたことしかない男女が、涙を見せたり密着したりしていたのだから、むしろ気恥ずかしくなるのが当然と言える。



 ──それにしたって、抱きしめるのはやりすぎだろ俺っ……!?



 特に、トオル側は石徹白さんを慰めるために自ら接近していたので、その点においての後悔が大きい。


 雰囲気に流されやすい自覚はあったが、今回もまたそれの弊害が出た形である。



「……っ!」



 一方、石徹白さんはといえば部屋の隅っこでクッションに顔をうずめており、時々こちらを覗いてはすぐにキャンセルするといった行動を繰り返している。


 白いボブカットの隙間から微かに見える耳が、ショートケーキの上の苺がごとく赤に染まっていることから、相当な恥辱を覚えているに違いない。



 ──まあ、あれだけ大号泣したら、ね。



 ただ、それも仕方のないことだろう。


 トオルのは精々もらい泣きの範疇であったが、石徹白さんのそれはもう大泣きする子どもそのものだったのだ。


 しかも、よりによって見せた相手が特に親しくもない人物というおまけまで付いているので、その恥ずかしさと言ったら想像するだけで居たたまれなくなるほどである。



「あの、石徹白さん」

「っ、な、なに……?」



 そこで、このまま放置するのも可愛そうだと思ったトオルは、先んじて声をかけることにした。


 石徹白さんは少し躊躇しながらも、何とかクッションから片目だけを覗かせる。



「その、せっかくだからさ、友戯との話とか聴いてもいいかな?」



 彼女の仕草に天然のあざとさを感じつつも、ずっと気になっていたことを尋ねるトオル。


 なぜ、あそこまで友戯に執着していたのか。


 石徹白さんと距離を近づけるには、それを知る必要があると考えたのだ。



「……ん、分かった」



 もちろん断られる可能性もあったが、幸いにも石徹白さんは素直に聞き入れてくれたようで、



「ええっと、ね──」



 過去の思い出を振り返るように、訥々と語り始めるのだった。











 



 幼い頃の石徹白エルナの記憶は、いつも孤独から始まる。


 もちろんそれは、他人と違う髪や肌の色を持って生まれたからだ。


 しかし、外国人の血が混じっているというわけではない。


 何を隠そうエルナの両親は生粋の日本人であり、つまるところ、これは先天的な疾患であるらしかった。



『いいかいエルナ。お前はこの先、良くも悪くも目立ってしまうことになると思う。だから、どんな時でも心が折れぬよう、強くなるんだ』



 というのは父の言葉である。


 エルナのような存在は自然界にもいるらしく、彼らのほとんどはその目立つ容姿から天敵に見つかりやすいのだという。



『うん、分かった!』



 幼い頃のエルナにはよく理解できていなかっただろうが、とりあえず大好きな父の言うことだったので素直に聞いた記憶がある。



『ねぇ、あの子って──』



 その後、小学校に入学したエルナは、すぐに父の言ったことが本当であることを知ることになった。


 どこに行っても感じる視線。


 さりとて、彼らは近づいてくることもなく、避けるように遠くでひそひそ話をするだけ。



 ──大丈夫、私は強いんだからっ!



 その光景に多少の寂しさはあったものの、そんな時は父に鍛え上げられた武の心が支えてくれた。



『おい、白髪女! お前って婆さんみたいだよな〜!』



 時には、無思慮に絡んでくる男子もいたが、大したことはない。



『──ぐへぇっ!?』



 武術の才に恵まれたエルナの前には、貧弱な少年のからかいなど通用しなかったのだ。


 今思えば、あの子は好きな相手に構ってもらいたくてそうしていたのだと分かるが、残念ながら彼にはトラウマとなって残ったことだろう。



 ──いいなぁ……。



 そんなエルナの心境に変化が訪れたのは小学校高学年に入ってからのことである。


 楽しそうに喋る同級生たちを見て、羨ましいと思い始めるようになったのだ。



『ね、ねえ──』



 だが、現実は厳しいもので、



『え、あ、い、石徹白さん……』

『な、何か用かな?』



 勇気を出して話しかけたエルナを待っていたのは、どこまでもよそよそしい反応だった。


 会話までは、できる。


 ただ、皆が皆、自分に気を遣ってくるせいで友人と呼べる存在は一人もできなかった。



 ──ずっと、こうなのかな……。



 そうこうして孤独な日々を過ごしたエルナが、ようやく友と呼べる存在に出会ったのは中学生になってからのこと。



 ──今日もまた、一人……。



 入学してから一ヶ月ほどが経った頃、相変わらず一人でいたエルナだったが、ある日、転機が訪れる。



『よーし、席替えするぞ』



 それが、誰もが喜ぶ定番のイベントだった。


 もちろん、それだけではエルナが喜ぶことはない。



 ──どうせ、何も変わらない。



 何せ、エルナは視力にも難があったため、座るのは決まって前の席なのだ。


 周りの人間は入れ替わるものの、関わってくることもないのだから、ただただ見える景色に変化が無いだけである。



『あ、確か石徹白さんだっけ……よろしくね?』



 だから、それは青天の霹靂だった。



『え、あっ……!』

『綺麗だね、その髪。ファンタジーに出てくるキャラみたい』



 隣に座った女の子から不意に話しかけられたエルナは、心臓が破裂しそうなほどに緊張したのを覚えている。



『あ、ごめん……そういうのってあんまり好きじゃなかった?』

『う、ううん! ぜ、ぜんぜんだいじょぶッ!!』



 気兼ねなく、それでいて思慮も欠かさない、そんな優しい女の子。



『え、ええっとっ!』

『あ、私? 私はトモギユア。呼び方は好きなのでいいよ』



 初めて知った。



『じ、じじ、じゃあっ、ユア、ちゃん……とか……』



 家族以外の誰かと話すことが、



『ん、いいよ』

『っ! よ、よろしくね、ユアちゃん!』



 こんなにも、



 ──ああ、嬉しい。



 素晴らしいものだったなんて。








 それからの三年間は、ずっと色鮮やかだった。


 彼女を通じて他の友達もできたうえ、普通の女の子と同じように、みんなで買い食いをしたり、恋バナをしたりと、楽しい青春を送ることができたからだ。


 だから、もしかすると調子に乗っていたのかもしれない。



『あれ、遊愛ちゃん?』



 卒業も間近となったある日のこと、教室の窓際で黄昏れる彼女を見つけたエルナは、珍しいと思いながら声をかけた。



『ん? ああ、ルナ』

『どうしたの、そんな顔して』



 今思えば、聴かない方が良かったのかもしれないその質問に、



『うん、ちょっとね』



 彼女は少し口角を緩ませながら、



『受験の時にさ、いたの』

『いた?』

『うん、小学生の頃の友達』



 待ってましたとばかりに、嬉しそうに答えた。



『昔、ずっと遊んでてさ。日並トオルって言うんだけど……って分からないかっ』



 その頬は興奮するように上気していて、



『受かってたら、いいなぁ──』



 あのクールな彼女が、恍惚とした表情を隠すこともなく、ため息をこぼす、そんな姿。



 ──なんでっ……。



 それを目撃したエルナは、頭に血が上っていたのだろう。



『──で、でもっ、小学生の頃の友達でしょ? 向こうはもう忘れてるんじゃないかな? だいたい、中学に入ってから連絡もしてなさそうだし、それって本当に友達なの? それなら、私の方がずっとっ──』



 自分でも何を言っているのか分からないくらいに、我先にと言葉が出てしまい、



『──あ』



 直後に、一転して青ざめた。



『なんで、そんなこと言うの……?』



 悲しむ彼女の顔を目の当たりにしたからだ。



『ご、ごめ──』



 慌てて謝ろうとするエルナだったが、



『──もう、いい』



 後悔しても、もう遅かった。


 音を立てながら席を立った彼女は、エルナに一瞥をくれることもなく、立ち去ってしまっていたのだから。












「──それで、その後も結局仲直りできなくて今ここに至る、と」

「うん……」



 話を一通り聞いたトオルは、深く息を落とす。



「そうか、うん」



 思ったよりも重かった石徹白さんの過去に、友戯への想いの深さを感じ取ったトオル。


 そんな石徹白さんの想いを何度も咀嚼するように頷くと、



「つ、つらかったなぁ、それはっ……」

「!?」



 思わず、熱くなってきた目頭を押さえた。



 ──だって、そうだろっ!?



 中学生になってようやくできた無二の親友が、ちょっとした嫉妬で離れ離れになってしまったというのだ。


 もし自分が同じ立場だったらと思うと、泣きたくなくとも勝手に込み上げてくるというものだろう。


 かつて、トオル自身も友戯との別れを経験しているだけに、悲しみの共感もひとしおである。



「だから、日並くんが泣いてどうするの……」

「ご、ごめんっ」



 一方、悲しそうな顔で話していた石徹白さんは、トオルの涙もろさに呆れたのか、すっかり元の調子に戻り始めていた。



「よ、よしっ! 今日はゲームで悲しみを吹き飛ばすぞっ!!」



 素の感情で見られていると思うと、急に恥ずかしくなってきたトオルは、高らかにそう宣言し、



「もう、なにそれっ……」



 ちらと石徹白さんを見てみれば、ほんの少し笑みを浮かべているのが映る。



 ──こんなことで石徹白さんの心が癒えるのかは分からないけど、今はできることをするだけだ。



 トオルはそう決意すると、何でもないような素振りでコントローラーを手渡すのだった。

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