第35話 ※悪いことをしてはいけません。

 部屋を出ていった少年──日並トオルの気配が遠ざかっていくのを確認した石徹白エルナは、すぐさま行動を開始した。



 ──ちょっと気が進まないけど、悪事を暴くためだから、ね?



 自身の持っていたポーチからとある道具を取り出すと、部屋の中をキョロキョロと見回す。


 探すのはもちろん、手頃なコンセントである。



 ──できるだけ見つかりにくい所がいいんだけど……。



 何を隠そう、エルナが持ってきたのは正真正銘の盗聴器──それもコンセントに挿すことで半永久的に使用できるタイプのものだ。


 それ故、長時間の盗聴が可能な反面、バレてしまえばあっさり引き抜かれてしまうというリスクもあった。



 ──例えばこういう所に……あった!!



 だが、作戦行動時間が短いだろうことを予想していたエルナは、事前にあたりをつけていたこともあって容易に設置ポイントを発見する。



 ──埃っぽいけど、我慢我慢。



 本棚とその横に置かれた小さな収納棚、そんな二つの隙間に体を滑り込ませた先にそれはあった。


 壁に完全に密着している本棚と違い、収納棚の方は後ろ側に隙間が生まれており、そこに全く使われていないコンセントがあるのだ。


 後はそこに盗聴器を仕掛けるだけだと手を差し入れるが、



 ──っ……く、絶妙に狭い……!!



 やはり幅はそれなりに狭く、盗聴器がガツガツとぶつかり上手く前に進んでいかない。


 しかし、残された時間もそう多くないと、急いで押し込んでいった結果、



 ブツンッ。



 突如、異音が耳に入ってきた。



 ──なっ……!?



 音のした方を辿れば、胸のボタンが一つ弾け飛んでいることに気がつく。



 ──し、仕方ない犠牲っ!!



 が、今更退くこともできず、エルナはなおも諦めずに挑戦し、



 ブツッ、ブツッ……!



 また一つ、二つと、棚の隙間へボタンがかき消えていってしまった。



 ──着てくる服を間違えたっ……!!



 ここに来て、エルナは中学生の頃に買った服を着てきたことを後悔する。


 男受けするだろうという理由で何となく選択したが、もう少し動きやすい格好にすべきであったと思わざるを得ない。



 ──もう、やるしかないッ!!



 しかし後悔先に立たず、だ。


 せめて盗聴器だけでも仕掛けねば帰ることは許されないと手を動かすことに集中し、



「っ、もう……!?」



 その時、後ろからトイレの水が流される音が微かに聞こえてくる。



 ──お願い、届いて……!!



 もはや猶予はない。


 盗聴器を回転させることも困難な狭さの中、プラグをコンセントの方へと向け、



「やっ──」



 見事、設置完了したエルナは『やった』と、声に出そうとしたが、



 ビィィッッ!



 その瞬間、何かが避けるような異音が鼓膜に響いてきて声を止めた。



 ──え……?



 何が起きたのか理解できなかったエルナは固まるも、日並トオルが戻ってくることを思い出し、すぐに隙間から身を引く。



「待たせてごめん!」

「あ、ううん! 全然大丈夫だよ!!」



 数秒後、部屋へと戻ってきた日並トオルに何事もなかったかのように接するが、



 ──や、ヤバい。



 内心は動揺で満たされていた。



 ──ふ、ファスナーがイカれた……!!



 何せ、今のエルナはブラウスのボタンを三つ失っているうえ、スカートのファスナーまで破損しているのだ。


 つまり、こうして日並トオルを前にしている今も、咄嗟に拾ったクッションでガードしていなければ胸の谷間と下着を見られてしまう状況というわけである。


 座っている現状、スカートの方は特に問題は無いものの、おそらく立ち上がってそのままにするとずり落ちていく可能性が高い。


 そしてそれは、さっさと逃げ出したいエルナにとって致命的なほどに厄介だった。



 ──このままじゃ帰れない!!



 胸を隠しつつ、スカートも押さえながら、さらに日傘をさしての帰宅など、どう考えても手の数が足りないだろう。



「そうだ、用事はまだ大丈夫なの?」



 だが、いつまでもこの場所にいるわけにもいかないのが現実というもの。



「う、うん! まだもうちょっと時間あるかなっ」



 今更だが、彼の言う用事などというものは存在しない。


 強いて言えば盗聴器の設置だが、それも先ほどすでに達成済みであるため、本当はこの場に居残る理由など無いのだ。



 ──だめ、いったん心を落ち着かせないと。



 状況を打開するため、エルナは波一つ立たない鏡のような水面に、一滴の雫が落ちる景色を想像する。


 すると、思惑通りスッと全身の熱が引いていき、徐々に冷静な思考が戻ってくるが、



「え、石徹白さん……?」

「っ!」



 その間もこちらを見ていたのだろう日並トオルの表情が怪訝なものに変わっていた。



 ──しまった、冷静になりすぎたっ。



 素のエルナの表情にはよほど雰囲気の変化があったのだろう。


 ホコリ対策のためにとマスクをつけたままにしておいたが、もしこれが無ければ本性がバレていた可能性も否めない。



「ん、んっ! ちょっと冷えてきたかも……?」



 咳き込んで仕切り直しを図りつつ、



「あ、じゃあクーラー消すよ」

「ううん! それはちょっと申し訳ないし、上着貸してもらってもいいかな?」

「え、それでいいの?」

「もちろん!」



 さり気なく、胸元を隠すためのアイテム回収を試みる。



「ついでに、安全ピンみたいなのもあると嬉しいんだけど……」

「え? ああ、うん、探してみるよ?」



 せっかくならと、エルナはスカート側の対策も並行させてしまおうとするが、



「あれ……ちょっと動かないでね──」

「!?」



 大人しく従うと思っていた日並トオルは、立ち上がると同時にこちらへと近づいてきた。


 詳しい目的までは分からないが、接近してくるその手を見ればいかがわしいことを考えることは想像に難くない。



 ──ま、まずい!!



 しかしあいにく、今は都合が悪かった。


 もちろん、こんなヒョロい男にまける気などしない程度には体術に自身のあるエルナだが、現在は立ち上がることすらままならない状況なのだ。


 手の方もクッションで塞がっており、このままでは好き放題にされてしまう。



 ──覚悟を決めるしかない、か。



 が、そもそも凶行の証拠を手に入れることが本来の目的であることを思い出したエルナは、



「っ──」



 全てを耐える覚悟で目をつむり、



「うん、取れたよ」

「──へ?」



 思わず、間抜けな声を漏らしてしまう。


 目を開けてみれば、彼の手には親指大のホコリが摘まれていた。



「あ、ありがと」

「こ、このくらい全然! それじゃあ、言われたもの取りに行ってくるよっ」



 反射的に礼を言ったエルナに、日並トオルは照れながら急ぎ足で部屋を出ていく。



 ──あれ?



 あまりの拍子抜けぶりに、エルナは彼が飛び出していった扉を見つめたまま呆然と固まるのだった。












 数分後。



「はい、これ」

「ありがとう、日並くん……」



 日並トオルは約束通り、黒色のパーカーとごく普通の安全ピンを用意してくれていた。



 ──何だか、呆気なかった。



 あれほどの大ピンチだったはずが、終わってみれば特に何か起きることもなく事なきを得ている事実。


 それもこれも、目の前の少年がわがままに付き合ってくれたからであることを、エルナは重々承知している。



 ──本当に悪い人なのだろうか。



 自身の大切な友人を自宅に連れ込んでいる瞬間を目撃し、何か悪さをしているに違いないと決めつけていたが、昨日今日と接するうちにそれも疑わしくなってきていた。



 ──とりあえず、今日はもう帰ろう。



 この場にいた時間はそう長いものでもなかったが、色々とハプニングが起きたせいで心労が溜まっている。



「あはは、ぶかぶかだね」

「だ、大丈夫?」

「うん、もちろん!」



 ひとまず、帰還して体勢を整えようと考えたエルナは借り受けたパーカーを頭から被って着ることにした。



 ──後はスカートを留めてっと……。



 そして、だぼだぼのパーカーの下から手を差し入れ、



 ──これで大丈夫かな?



 破損箇所と思しき場所を安全ピンで繋ぎ合わせる。


 これで、撤収の準備も整った。



「ごめん日並くん、このパーカー借りてもいい?」

「え、ああいいよ、うんっ」



 かなり非常識なお願いにも関わらず、理由を聞かずに快く応えてくれる彼に、少し心がチクリとするエルナ。



 ──もし違かったら、いつか謝らないと。



 これでもまだ確証が得られないのは、自身の間違いを認めたくない人間の性というものか。


 結論を後回しにしたエルナは、申し訳ないような気持ちに苛まれつつ立ち上がり、



「それじゃ、そろそろ行くね」

「ああ、うん。見送るよ」



 手短に言葉を交わしながら、



「……その、色々とありが──」



 ふと、もう一度礼を言うべきだと謝意を紡ごうとした。


 が、



「──えっ」



 油断した時にこそ、災いは訪れるとでも言いたいのか。


 エルナは、腰から足先へと何かが滑り落ちていく感触を覚える。



 ──しまったッ……!?



 スカートの処置が万全だったかどうか。


 その確認を怠ったことを後悔してももう遅い。



「えぇっ!?」



 当然、驚きながら顔を赤くする日並トオルに気がついたところで、



「だ、だめッ!!」



 エルナは何とかその視界を塞ごうと前へ出ようとする。


 それが最悪の選択であることなど、パニックに陥ったエルナには考えつくはずもなく、



「あっ──」



 見事に、両足の先に引っかかるスカートに躓いたことで前へと倒れ込んでしまう。



「あぶなっ──」



 そして、咄嗟に受け止めようと動いた日並トオルの身体が至近距離まで迫り……









 ドサッ、ドタッ!



 人と人がぶつかり、次にそれが床に倒れる音が狭い部屋に響く。


 エルナは衝撃に備えてつむっていた目をおもむろに開け、



 ──え。



 別の意味での衝撃に固まった。


 全身に触れる、固くて温かい感触。


 息が掛かりそうなほどに近い、男の子の顔。


 そのどれもが、エルナの脳に強い電気信号を送り、



「──〜〜ッ!!??」



 声にならない悲鳴を上げさせるのだった。

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