第34話 ※期待してしまうのも無理はありません。
あの衝撃的な雨の日から数日後。
「あー暇だー……」
トオルの日常にはまるで何事も無かったかのような平穏が訪れていた。
というのも、あれからはいつもと変わらず自室でゴロゴロと転がりながらゲームや漫画に触れるだけの時間を過ごしていたのだ。
──友戯は来れないらしいし、景井もこの時間はたぶん無理だろうしなぁ。
さらに、あれだけ毎日遊びに来ていた友戯も流石に来すぎだと思ったのかここ数日は頻度が減り、景井も約束している時以外は夜にしか遊ばないことが多い。
そのため、せっかくの休日の昼をトオルは一人寂しく過ごすハメになっており、まるであの日のことが夢なのではないかと思えてくるほどに退屈となっていたのである。
──
あまりに暇すぎて、ふとあの日に出会った少女のことを思い出す。
目立つ容姿ではあるのでその名を知ってはいたが、正直言って元々は興味の対象ではなかった。
もしもマンガやラノベの世界ならば、学校中のほとんどの男子が彼女に惚れていて、何十回もの告白された経験があるという設定があっても違和感はない。
だが、ここは現実である。
本来、大抵の人は他人に無関心なものであり、告白するほど熱量のある人間というのは限られているもの。
故に、トオルにとってもどこか遠くにいる綺麗な人程度の認識でしかなかったのだが、実際に近くで目の当たりにしてしまったことでその魅力というものが如実に伝わって来ていた。
──まあ、だからなんだって話ではあるけど。
とはいっても、所詮はたったの小一時間しか会話をしておらず、恋心を抱くほど熱烈になれることもなかった。
それに、当時は彼女から好意を抱かれている可能性も考えたが、時間が経った今はやはりそんなことがあるはずもないという結論に落ち着いている。
──ああ、何か面白いこと起きないかな……。
結局、そこまで考えたところで何も変化が無いという事実に気がつくだけで、得られるものもない。
トオルは諦めてゲームでもやり込むかとコントローラーを握り、
ピンポーンッ!
その直後、タイミング悪くインターホンが鳴らされてしまった。
──なんだよ……。
邪魔をされて少し機嫌を悪くしながら玄関へと向かうトオルだったが、
「う゛ぇっ!?」
ドアスコープを覗いた瞬間、その先にいた人物の予想外さに驚き固まらされてしまう。
──ど、どういうことだ!?
その純白の髪を見れば見間違うはずもない。
つまり今、扉を挟んだ向こうにはあの石徹白エルナが立っているということだ。
──いや、確かに退屈ではあったけど!!
流石に、こんな休日の真っ昼間に突然、彼女が押しかけてくるとは思いもしなかった。
当然、どうしようかと迷うような時間もなく、
「わ、日並くんっ!?」
焦ったトオルは思わずインターホンにも出ずに扉を開けて、初手で驚かせてしまう。
「こ、こんにちわ。どうしたの?」
可能な限り平静を装いつつ手早く要件を尋ね、
「あ、うん。この間の傘、返しに来たの」
「ああ、そういえばそっか」
彼女が差し出してきた日並家の中では一番質の良さそうな傘を見てようやく納得を得た。
──良かった、それだけか。
理解のできる情報を手に入れたトオルは、やっぱり平和が一番と手のひらを返しながら話を終わらせることにする。
「わざわざこんなとこまで……ありがとう石徹白さん」
「ううん、ちょうど用事があって出かけるところだったから!」
「それなら良かった……それじゃ──」
短く、社交辞令だけ交わして扉を閉めようとし、
「──あ、待ってっ!」
それより先に声をかけられたことで、阻止されてしまった。
──待て、この流れは……!?
一瞬であの日のことがフラッシュバックしたトオルだが、だからといって何かができるわけでもなく、
「その、傘を返そうと思ってたらちょっと家を出るのが早くて……今日は日差しも強いから、あの……」
言いにくそうにもじもじと上目遣いを向けてくる石徹白さんの姿に、トオルは脂汗がだらだらと流れてくるのを感じる。
この時点ですでに、言いたいことが何となく察せられたのだ。
「ソーナンダ。ナラセッカクダシ、涼ンデカナイ?」
「え、いいの!? ありがとう〜♪」
結果、どうせ逃れられぬ運命ならばせめて自ら受け入れようと、先んじて招待をかける。
石徹白さんは当たり前のようにそれに乗っかり、玄関へと侵入してくると、
「あ、そうだ──」
靴を脱ぐ動作をいったん止め、
「──この服……どう、かな……?」
少し緊張した面持ちでそんなことを尋ねてきた。
──いや、それもう好きな人に聴くやつッ!!
思わず心の中でツッコミを入れてしまうトオルだが、確かにオシャレをした女子を褒めないのも失礼かと改めて石徹白さんの服装を確認することにする。
まず、フリルのあしらわれた白のブラウスの上に、二の腕まで羽織られた小さな上着と、腕にかけられた黒い日傘。
そして下には、これまた裾の部分にフリル加工を施された黒のスカートを履いており、全体的にフリフリとしたキュートな印象を受ける。
一方、やはり脚にはデニール生地のタイツ──否、よく見ればニーハイのソックスがぴっちりと装着されており、薄っすらと透ける肌の色がセクシーな雰囲気を醸しだしてもいた。
「う、うん、似合ってると思うよ……!」
「ほんと? えへへ、嬉しい……」
もちろん、出てくるのはお決まりの感想であったが、当の本人は喜んでくれていた。
ちなみに、以前聞いた通り口元には黒のマスクを身に着けているため、満面の笑顔を見ることはできなかったが、これはこれで可愛かったので良しとしよう。
──天使かよ……いや、もう天使ってことでいいよな……?
服装よりも、そのあざとい仕草や声に頭をやられたトオルがわけの分からないことを考えていると、
「その、恥ずかしいよ……」
見つめてしまっていた石徹白さんが顔を赤くして視線を逸らしていた。
──中毒性あるわこれ……。
前回もこんなことがあったが、彼女の照れ顔は何度見ても飽きないらしい。
いっそのこと、わざとやってみようかとは思うものの、流石に嫌われてまでやれるだけの勇気はなかった。
「あ、ご、ごめんっ、上がって上がって!」
なので無難に部屋へと案内し、急いで用意した座椅子に石徹白さんを座らせることにする。
「…………」
「…………」
が、そこからも問題は発生した。
──で、何すればいいの?
何分、石徹白さんの趣味嗜好など知る由もないトオルは、ただただ口を閉ざして座することしかできなかったのだ。
すでに、『飲み物持ってくるよ!』は使用済みであるため、何とか彼女が興味を持ちそうな話題を探さねばならないのだが、
「あっ! それ、この間私が着てたやつだね!」
「え゛!?」
ここに来て予想外の先手を打たれてしまう。
「ああ、いやっ、これはそのっ……!」
もちろん、元々トオルの物なうえ、別にやましいことをしていたわけでもないので焦る必要は全く無い。
無いのだが、本人に指摘されると何か悪いことをしているかのような錯覚を起こしてしまうのが人間というものでもある。
「あははっ、大丈夫だよ。日並くんが私の匂いを嗅いだり、それで変なことをしてたりとか、そんなこと全然疑ってないから!」
「そ、そうなんだ、良かったっ!」
しかし、どうやらからかっていただけのようで、トオルは一安心する。
一瞬、していると思っていないと出てこない言葉のような気もしたが、天使である石徹白さんがそんなことを疑ってくるわけもないので、おそらく気のせいだろう。
「ごめんっ、ちょっとトイレ行ってくる!」
「うん、行ってらっしゃい!」
だが結局、何だか気恥ずかしくなってしまったトオルは、もう一つの切り札であった『ちょっとトイレ』を使い、その場を去るのだった。
部屋の主を見送り、ただ一人残された少女──石徹白エルナ。
──それじゃあ、動こうかな。
一転して表情を消した彼女は、本来の目的を達成するために行動を開始するのだった。
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