第33話 ※据え膳されても困ります。

 これはいったい、何なのだろうか。


 安心感のある自室にいるというのに、全くもって落ち着くことのできないこの状況を鑑みれば、そう思わずにはいられない。



「〜〜♪」



 それもこれも、廊下を一つ挟んだ向こう側から微かに聞こえてくる楽しそうな鼻歌の主が原因である。



 ──え、こんなことあるん?



 トオルは思わず心の声が関西弁風味になってしまうが、それも無理はないだろう。


 何をどう間違ったら、つい数十分前まで面識の無かった学校一の美少女が自宅の風呂でシャワーを浴びることになるというのか。



 ──やっぱり、そういうことなのかっ!?



 トオルとて思春期の男子だ。


 ここまで条件が揃ってしまえば、否が応でも期待せざるを得ない。



 ──まさか、石徹白さんが、俺に……。



 皮肉にも今朝、母が話していたことを思い出す。



『どうせ、学校一の美人に告白されたら付き合うくせに〜』



 まずありえないと一蹴していたそれも、いざ現実として直視すると否定が難しい。


 今の自分が彼女から告白をされようものなら、二つ返事で『はい!!』と答えてしまうことは疑いようもなかった。



 ──いや、落ち着けっ。



 だが、まだ完全に理性が死んでいるというわけでもない。


 世の中には因果というものがある。


 何の理由もなく、結果は引き起こされないはずだと、トオルは別の可能性を模索しにかかろうとし、



「ぶっ──」



 直後視界に入ってきたものに思考を遮られてしまった。



「ごめん、待たせちゃってっ」

「い、いぃやいやっ、いいよ全然!!」



 が、それも仕方のないこと。



 ──いや、何で上だけ!?



 何せ、シャワーを浴び終えて出てきた石徹白女史は、貸し出したトオルのスウェットを何故か上しか着ていなかったのだ。



「そ、それより、下は?」



 これには思わず確認せざるを得なかったトオルだが、



「あ、うん、ちょっとサイズが合わなくて。日並くんの服大きいから、これで丁度いいかなって」

「ソウナンダー」



 平然とそう返されれば、指摘することなどできようはずもない。



 ──流石にヤバイだろそれはっ!?



 トオル視点では今、石徹白さんはスウェットシャツ一枚羽織っているだけの状態──すなわち、下半身は真っ白な肌が存分に曝け出されているのだ。


 いわゆる彼シャツ状態ではあるため股下まで隠れてはいるものの、いつも黒タイツで隠されているはずの素肌が見えているだけで破壊力は充分であった。


 それがなくとも、風呂上がりで上気した頬や、しっとりと濡れた髪に、女子特有の甘い匂いまで漂ってくるという役満の状況。


 天使のイメージから一転、トオルには彼女が小悪魔のようにさえ見え始めてきていた。



「あの、そんなに見られると……」

「わ、あ、ごめんっ!?」



 が、そんな風に思考に耽っていたせいか、無意識に視線が寄ってしまっていたらしい。



「その、綺麗だなって!」



 慌てたトオルは咄嗟に褒めるというよく分からない選択をしてしまい、



「え、あっ……うん……」



 それを聞いた石徹白さんは頬を赤く染めて、視線を逸らしてしまった。



 ──あれ、満更でもない……?



 だが、機嫌を損ねたというよりかは気恥ずかしいといった様子で、目線はチラチラとトオルの方を伺っている。



「ごめん、変なこと言って!」



 一応、トオルは謝意を示すが、



「ううん……恥ずかしいけど、ちょっとうれし──あっ、な、何でもないっ!」



 それが無駄であることを証明するかのように、石徹白さんは顔を真っ赤にしてあたふたとしていた。



 ──いやもう確定やん……。



 ここまで来れば、疑り深いトオルでも信じざるを得ない。


 その感情の大小までは分からずとも、少なからぬ好感を抱かれているということを。



「そうだ、制服は大丈夫なの?」



 とりあえずと、トオルは彼女に助け舟を出すように別の話題を振っていく。



「ううん、まだ乾かせてないよ。ドライヤー使ってきてもいいかな?」

「ああ、もちろん」



 そのまま、再び洗面所へとぱたぱた向かっていく石徹白さんを見送り、



 ──どれだ!? どれが正解なんだ!?



 トオルは瞬時に思考を加速させた。


 家族のいない自宅に、スウェット一枚で居座る女子。


 普通に考えれば、誘われているのだと思わざるを得ない状況である。


 ここで攻めなければ、女の子に恥をかかせるのではないかという思いがある一方、



 ──いや、単純にそういう子なのかもしれないし……。



 石徹白さん自身がちょっと抜けているという可能性も捨てきれなかった。


 雰囲気もどこかほわほわとしているし、単純にそういう目で見られるという考えに及ばないほど純粋なのかもしれない。



 ──ダメだ! 行けるわけがない!!



 もしもトオルが百戦錬磨のプレイボーイであったのなら迷わずいただいているところなのかもしれないが、あいにくこちらは経験ゼロ。


 ここで手を出せるほどの勇気も無に近かった。



「ごめん、待ったよね?」

「ああ、いや……」



 それから十数分、悶々としたまま待たされたトオルのもとに、ようやく石徹白さんが帰ってくる。


 もちろん、今度はちゃんと制服を着直してだ。


 どうせならさっきの姿をもっと目に焼き付けておくべきだと名残惜しく思いつつも、



「それより、石徹白さん」

「ん? なにかな?」

「その、さっきみたいな格好は本当に大切な人の前だけでした方がいいと思う」



 結果、トオルが選んだのは男としての忠告だった。


 もしかすれば、無垢が故に不幸な目に遭うようなことだってあり得る。


 故に、例え自分が嫌われようとも教えておくべきだと考えたのだ。



「え……?」



 そして、それを聞いた石徹白さんは驚いた表情で固まると、



「あ、ああっ! ごめん、はしたなかったよね……」



 慌てながら視線を逸らした。



「そ、そうは思ってないよ! ただ、世の中には悪い男もいるから、石徹白さんにそういう目には遭ってほしくないな……ってだけでっ」

「っ!」



 トオルはすぐさまそれを否定しつつ、こんな話をした理由について語っていく。


 もちろん、それは心からの心配である。


 会って間もない関係ではあるが、見知らぬトオルを助けようとしてくれるくらいには良い子なのだ。


 そんな人が嫌な思いをするようなことを避けたいと思うのもまた当然だろう。



「う、うん、そうだねっ……ありがと……」



 石徹白さん本人もそれで納得したのか、小さな声で礼を言うと、



「それじゃ、私もう行くねっ」



 少し慌てた様子で、そう告げてきた。



「じゃあこれ、貸すよ」

「うん、ありがと」



 玄関まで付いて行ったトオルは当初の予定通り手頃な傘を手に取って渡すと、



「帰り道、気をつけてね」

「うん、色々ありがとう日並くん」



 手を振りながら、玄関を出ていく彼女を見送るのだった。













 玄関扉がガチャリと閉まる音が聞こえてくる。


 ふと外を見れば、相変わらず雨が降りしきっているのが見えた。



「ふぅ……」



 胸に手を当てた石徹白エルナは、そっと息を吐く。


 その顔に天真爛漫な笑顔はすでになく、人形のように冷たい無機質な感情が張り付いていた。



 ──日並、トオル。



 先ほどまで相対していた少年の名前を──大切な友を自宅に連れ込んだ男の名を心の中でつぶやく。


 見た目は平凡。


 学力も運動能力も調べた限りでは平凡かそれ以下。


 これといって特筆すべき情報のないこの男が、あの子と付き合えるわけがない。


 ならば、考えられるのは、



 ──絶対、弱みを握って悪さをしてるはず。



 何らかの手段で脅し、無理やり辱めているという可能性のみ。


 そう思い、自身を囮にする形で攻め込んだのだが、



 ──なのに、あそこまでやって尻尾を出さないなんて。



 結果は芳しく無く、無意識にギリっと歯を噛んだ。


 手に持っているスマホの画面には『録音中』の三文字。


 まるで意味の無かったそれを睨みながら、指で停止ボタンをタップする。



 ──しかも、あんな。



 さらに、あろうことかあの男は、



『その、さっきみたいな格好は本当に大切な人の前だけでした方がいいと思う』



 襲ってくるどころか、そんなクサい台詞を吐いてきてみせたのだ。



 ──まるで、私が恥ずかしい人みたいなっ……。



 思い出すだけで、カッと頭が熱くなる。


 作戦でなければ誰があんな格好を見せるものかと、拳を固く握りしめながら憤らざるを得ない。



『──ただ、世の中には悪い男もいるから、石徹白さんにそういう目には遭ってほしくないな……ってだけでっ』



 が、しかし、その後に続いた言葉まで思い返した途端、無意識に鼓動がトクンと跳ねていた。


 優しい声音はまるで本気で心配しているかのようで、少し照れくさそうに語りかけてくるその顔がこびりつくかのように頭に浮かんできてしまい、



「…………はっ!?」



 そこまできてようやく、おかしな感情になっていることに気が付き、顔を上げる。



 ──む、ムカつく……っ!!



 なぜ、自分が一瞬でもときめかなければならないのか。


 あんなものは油断させるための演技に決まっている。


 その程度のことに騙されそうになった自分にも、ずる賢いあの男にも苛立ちを覚えずにはいられない。



 ──落ち着いてエルナ……心頭滅却するの……。



 そんな荒ぶる心を落ち着かせるため、エルナは目を閉じながら手を合わせる。


 すると、スッと熱が引いていくように、再び無機質な表情へと戻っていき、



 ──とりあえず、布石は打てた。



 すぐさま普段通りの冷静な思考に切り替わった。


 第一目標である証拠の確保こそ達成できなかったが、繋がり自体は作れたのだ。


 後は、彼がボロを出すまで粘るだけである。



 ──覚悟しておいてね、日並くん?



 勝利を確信してくすりと笑ったエルナは、仇敵から借りた傘をさしながら雨の中へと消えていくのだった。

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