第12話 ※朝は頭が回りません。①

 激動の一日を終えたトオルは、満身創痍の心持ちとなっていた。



 ──友戯のやつ、絶対怒ってたよな……。



 ゲームを邪魔したからか、床の上に押し倒したからか、あるいはその両方かもしれない。


 静かに怒っていたのだろう、そそくさと部屋を出ていく友戯の姿を思い出し、トオルは憂鬱になる。


 もちろん前者の場合、ゲーム好きの友戯から良いところだけ掠め取るという中々に嫌な行動であり、後者の場合は異性の友達相手にのしかかるという気まずくなること必須のやはり最悪な行動なので、残念ながら両方である可能性が高くなるだろう。



 ──うわぁ、学校行きたくねぇ……。



 かつてこれまで学校に行きたくないと思った日があるだろうか。


 いや、無い。


 中学の頃、気になっていた女子が実は男子だったと知った時でさえもっとマシだったはずだ。



 ──でも、時は待ってくれないんだよなぁ……。



 しかし、時間の流れというのは残酷なもので、気がつけば一夜は明け、今現在、登校の準備を終えたトオルはすでに玄関の外に立たされていた。


 そして、遅刻するわけにもいかないという強迫観念から、足は勝手に前へと進まされる。


 このまま行けば、そう遠くない内に学校へとたどり着き、同じクラスの友戯を見て気まずくなることは間違いなしだ。



 ──とりあえず謝らないとな。



 エレベーターに乗り一階へと下っていく最中、何とか対策を練ろうと、トオルは朝起きたばかりの脳をフル稼働させる。



 ──まずは『昨日のは誤解なんだ』か……いや、『本当にごめんっ!』が先かっ……!?



 しかし、一分にも満たない時間ではまともに案がまとまるわけもなく、エレベーターのドアが開くと同時に再び歩かされることとなり、



「え」



 直後、予想外の展開に固まる。



「おはよ」



 エントランスの自動ドアを出てすぐの所に、コンクリートの壁に背を預けながらスマホを触る女子高校生と思しき姿を見つけたのだ。



 ──ど、どういうことだ……っ!?



 それは紛れもなくあの友戯であり、あれから今に至るまでトオルを悩ませた件の人物でもあった。


 予想では、昨日のことを気にして他人行儀な対応をしてくるはずだと思っていたのだが、何故か今目の前にいる彼女は随分と気さくな感じで挨拶をしてきている。


 と言うより、そもそもこんな所にいる事自体が理解不能なのだが、事実ここにいる以上、こちらの認識が間違っている可能性が浮上してきた。



「お、おはよう……」



 とりあえず、挨拶だけでも返そうとおずおず話しかけると、



「? どうしたの?」



 やはり、お互いの認識が違うのか、友戯にはトオルの態度が不自然に映ったらしい。


 僅かに首を傾げ尋ねてくるので、



「い、いやーてっきり、怒ってるものかと……」



 ここは正直に答えることにした。



「ああ、昨日のこと? いいよ、別に気にしてないから」

「あ、そうなんだ……」



 すると、友戯はなんともあっけらかんとした態度でトオルの懸念を否定してくる。



 ──凄いなこいつ。



 仮にも年頃の男子に、それもその男子の部屋で、さらには両親がいないというトリプル役満の状況で押し倒されたというのにまるで動揺した様子がないとは。


 ここまで来ると、自分にはいったいどれだけ魅力が無いのだろうと落ち込んでくるレベルだが、ある意味では信頼されてるとも取れるのでそう納得しておくことにする。



「むしろほら、私の方がごめんだから」

「?」

「ジュース溢しちゃったでしょ。多分、床とか濡れてたんじゃない?」



 そんな風に、友戯が怒っていないことにひとまずほっと一息をついていると、逆に彼女の方から謝罪してきた。


 どうやら、オレンジジュースを吹き出したことを気にしていたようだが、それこそトオルはすっかり忘れていたことに気がつく。



「ああいや、そんなにだったよ」

「そっか、それなら良かった……かな?」



 実際、真下に溢れたオレンジジュースの殆どは友戯のパーカーが吸っており、カーペットは点々と濡れていた程度だった。



「それにしても、珍しいよな」

「ん、何が?」

「ほら、友戯って昔からクールなとこあったからさ、あんまああいうの見たことないなって……何かあったのか?」



 安心した様子の友戯に、ふと気になって問いかけてみる。


 友戯は昔から天然というか鈍感というか、そんな感じのきらいはあったが、不思議と失敗してるところを見た記憶はあまり無いのだ。


 それ故、高校生にまで成長した友戯があそこまでやらかすのは大層珍しいのではないかと思っての発言だったが、



「え、あぁ……」



 友戯はほんの少し間を空けてから、



「ちょっと、気管に入っただけ」



 僅かに目線を逸らしながら、そう答える。


 一見、なんの変哲もない回答だったが、



 ──気のせいか?



 トオルには一瞬、言葉に詰まったようにも見えていた。


 それはまるで、何かを誤魔化そうと逡巡したかのようで……



「それより、いこ?」

「お、おう」



 しかし、そこまで考えたあたりで、友戯の声によって思考が遮られてしまう。


 そう言えば、と思い出す。


 友戯と遭遇したせいで意識の外に飛んでいたが、トオルは登校するために出てきたのだ。


 友戯はすでに壁から離れて歩き始めており、トオルもすぐにその後を追う。



 ──まあ、いいか。



 考えても仕方のないことだと、トオルは些細な疑問を思考の端へと追いやりつつ、友戯の横に並ぶのだった。

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