第11話 ※彼女もまた人の子です。
見慣れた住宅街を歩いて数分。
「あら、おかえりなさい遊愛。思ったより早かったわね」
「ん、ただいま」
自宅へと到達した少女──友戯遊愛(ともぎゆあ)は、いつものように出迎えてくれた母と挨拶を交わす。
そのまま、靴を脱いで上がろうとするが、
「? それどうしたの?」
パーカーの染みについて尋ねられたので、
「友達の家でジュースこぼしちゃって」
「あらま……」
そう正直に答えた。
「大丈夫だったの?」
「うん、多分パーカーだけだと思うし」
「そうじゃなくて、その友達の家の方よ」
母が心配そうに聴いてくるので頷くが、
──あ、そう言えば……。
こぼしたことについて、友達──
あの量ではおそらく床のカーペットにも染み込んでしまっているに違いなく、今更ながら申し訳なくなってきた。
「はぁ……その様子じゃだめみたいね」
「だ、だってっ──」
呆れる母に、『それどころじゃなかった』と言い訳しようとして、直前で慌てて口を紡いだ。
「あ、えっと今度ちゃんと謝るよっ」
「……? どうしたの、少し顔が赤いみたいだけど」
「気のせいじゃないっ?」
流石は母というべきか、子の変化には敏いらしい。
「それじゃあこれ、洗濯お願いっ」
「あっ……もうっ!」
焦る遊愛は普段のクールぶりを崩して、子供のようにパーカーを脱ぎ渡すと、急いで自らの部屋へと逃げ込んだ。
何だか、母には日並との関係を詮索されたくないと思ってしまったのである。
──どうせ、いじってくるだけだろうし。
日並はあくまで友達だが、男の子でもある。
母が知れば絶対に茶々を入れてくるのが手にとるように分かった。
──日並は、そう言うんじゃないから。
そう、日並は決してそうした感情の対象ではない。
一緒にいて楽しいとか、もっと一緒にゲームやりたいとかは思うが、そこに邪な感情は一切存在しないはずである。
──じゃあ、なんで。
しかし一方で、疑問に思うこともあった。
何せ、あの時──日並の家に二人きりだと理解した瞬間、確かに鼓動が早くなったのを感じたのだ。
気のせいだと思い込みたくも、その後の醜態を考えれば否定も難しい。
「む〜っ……」
答えに悩んだ遊愛は着替えるのも忘れてベッドに飛び込み、枕に顔をうずめながら唸った。
──昔はこんなこと、無かったのに。
そもそも、日並は昔から男の子だった。
小学生の頃、高学年の男子がからかってきた時に、前に出て追い払ってくれたことがあったが、そういった時に日並のことを男の子だなと思ったことはあるのだ。
でも、その時は別にドキドキするような事もなかったし、ただ単純に格好いいなあ程度の感想しか無かった記憶がある。
──ほんと何だったんだろ、あれ。
今現在、日並の顔を思い出したところで別にドキリとすることはないし、少なくとも彼に恋愛感情を抱いているかと問われれば答えはノーである。
では、やはり日並家に二人きりというシチュエーションそのものが原因という結論に至るが、
──いや、ないないっ。
すぐさま首を振って否定する。
自分で言うのもなんだが、他の同年代と比べてそういったことへの興味は極めて少ないと自負しているのだ。
流石に、それだけで動悸が激しくなるというのは考えにくかった。
──はぁ……もうやめよ。
考えるだけ無駄だとようやく気がついた遊愛は、きっと、あれは昔と変わってきているという事実を改めて認識して驚いただけだろうと、原因を追求することをやめる。
──それより、あっちの方がキツいかも……。
だが、動揺の原因は置いておいても、やらかしたことについては忘れられない。
──何が『オレンジジュース好きだしっ』だっ。
なぜあんなことを言ったのだろうかと、そう思わずにはいられなかった。
しかも日並にも思いっきりツッコミを入れられてしまうという、大失態である。
──別に、パーカーくらいすぐ抜けば良かったのに。
ふと、何であんな言い訳をしたのかと考えるが、動揺していたからかその時の記憶がすっぽり抜け落ちたようにまるで思い出せない。
──てか、あれってやっぱ、間接キス……。
そしてもう一つ、無意識に自分の唇に触れた遊愛は、間違って日並のグラスに入ったジュースを飲んだことを思い出し、妙な感傷を抱いていた。
別に、それで意識したりするほど子供ではないはずなのだが、あの時は何でか反射的に吹き出してしまったのだ。
──日並はどう思ったんだろ。
もし、あれで意識してるなどと誤解されていたのなら最悪である。
こちらから友達に戻ろうと言い出したのに、実は他意がありましたなどという風に捉えられたら、それ以上に嫌なことはない。
もちろん、そんな事実などありはしないので尚更だ。
──よし、決めた。
明日はまずジュースを溢したことを謝って、その後は何事も無かったように接しようと、心の中で誓う。
例え勘違いしていようとも、その後何もなければそのうちすぐに気がつくはずだ。
むしろ、ここで変に距離を取ることこそ、勘違いを助長する愚策に他ならない。
「あ、マイン来てる……」
そう気持ちを切り替えた遊愛は、しばらく放置していたスマホを取り出し、連絡用のアプリを開いた。
そこそこ着信が貯まっていたが、その殆どは『急に帰ったけどどうしたのか』という内容のものである。
そこそこの時間返信が無かったからか、事件にでも巻き込まれたんじゃないかと心配していた子もいたので、急いでメッセージを打っていく。
──『大丈夫だよ』っと。
ちなみに、理由の部分は『小学生の頃の友達に誘われてたのを思い出した』と少しはぐらかすことにした。
もし相手が男子だと知られれば、余計な誤解を招くことは必定なので当然の措置と言える。
「ふぅ……」
一通り返信し終えた遊愛は色々あった疲れからか、意識せずに長い息を吐いていた。
それもそのはず、今日はようやく、あの日並と再び友情を交わすことができたのだ。
お互い小さな頃だけの関係ではあったが、その濃度で言えば親友と言っても過言では無い存在だと、胸を張って言える。
日並と遊ばなくってからも友達はたくさんできたが、今でも彼以上の友人はいないとそう言い切れるほどに。
──はぁ、もったいないことしたな……。
故に、今日の失態は大損失である。
本来ならもっと色んなゲームをしたり、漫画を読みながらその話で盛り上がったりと、やりたいことがあったのだ。
──でも、流石にあれはビックリしたから……。
ただ、いくら恋愛ごとに無頓着な遊愛といえど、同い年の男の子の下敷きにされるのは許容範囲外であった。
──日並の手……大きかったな……。
しかもその直前には、自身の手を彼に包まれるというハプニングまであったため、思わず飛び出すハメになってしまったのも仕方がないことだろう。
──あの時、日並はどんな……顔してたんだろ……。
自分の前髪が邪魔でよく見えなかった、見下ろしてくる日並の顔。
それがいったい、どんな表情であれば嬉しかったのか、今の遊愛には分からない。
──あぁ…………。
ただ、一つ分かることがあるとすれば、
──早くまた……日並と一緒に…………。
すぐにでも彼に会って、また昔のように遊びたいということだけだろう。
──ふふっ……………………。
そうして、親友と再会できた安心感からか、心が温かくなっていった遊愛は、少しずつ微睡みの中に溶けていくのだった。
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