夢うつつ

さっき。

夢うつつ

 僕は今日、不思議な夢を見た。

 

 短いようで長くて、可怪しいようで深くて、けれど記憶の引き出しに仕舞っておくには、あまりにも儚くて。

 だからこうして書き留めよう、そう思った。

 

 1

 

 「それ」が始まった日も、僕はいつもどおり学校へ行って、自分の席についた。

 机においたランドセルを開いて、教科書を取り出しつつ朝の支度をしていると、ふと何か忘れものがあるような気がしたので、同じく朝の支度をしていたとなりの子に声をかけることにした。

「ねえそうた、今日なんか特別な持ち物あったっけ?」

「……」

 しかし、返事がない。

「ソウタ……? おーい」

 聞こえなかったのかな。そう思って、いくらか声をかけてみたが、目と鼻の距離であるにかかわらず反応はなかった。しまいには誰かが肩を叩いてからようやく、その子はこちらを向いてくれた。

「ソウタのこと、ずっと横で呼んでたぞ」

 そう誰かが彼に伝えると、彼ははっとして謝った。その時は特に気にすることもなく「いや全然? それよりさ……」という風に話を流していた。だってこんな些細なこと、いちいち気にするわけがないのだから。

 でも、この後からおかしなことが次々と起こっていった。

 

 2

 

 僕はどういうわけか、友人から無視されることが多くなった。

 はじめは、些細な言葉の行き違いだろう、と片付けられていたものも、次第に呼びかけに反応してくれなくなり、いわんや会話が成り立つこともままならなくなってしまった。

 その度合いは留まることを知らず、無視される人数も、無視されていると実感する回数も、日を追うごとに多くなっていった。

 当の本人はというと、その時点では、さほど悲しい気持ちはなかった。

 そこには悲しさを差し置いて別の感情があったからである。

 得体のしれない「それ」——人から無視を受け、徐々に蔓延っていく不可解な状況——はあまりに気味が悪かったし、正体が判らない以上、僕は「それ」の前では無力だった。だからこの数週間、自分が「それ」に恐怖の感情を持っていることは、ほぼ間違いなかった。

 しかし何より僕を気味悪がらせたのは、「それ」がどうやら自分に縁の薄い人から順番に起こっているようである、という点だった。

 ある人には無視されても、仲の良い人には変わらず明るく接してもらえる。だから仲の良い友人と話すことは、ある意味で苦痛だった。

 いつかその友人と話すことが叶わなくなり、おまけに冷たい態度を取られるようになるのではないか。そう臆してしまうと今度は、自分から他人へ話しかけることを躊躇うようになった。

 そこで初めて、僕は無性に哀しい気持ちになった。

 

 3

 

 それから数週間がたった。正確には数週間がたった日にワープした。

 無視の具合は相変わらずで、肩を触っても、目を合わせようとしても、相手が応じることはなかった。ここまで来ると、非日常性が強すぎて一種の滑稽ささえも覚える。

 しかし、それは途方もなく間違っていた。

 相手の細かな挙動をよく観察していくと徐々に、その滑稽さが決して非日常から来るものではなく、むしろ日常から来ていることに気付いた。

 僕が話しかけると、その相手は妙に自然な態度で振る舞うのだ。まるで、自分の周りには誰もいないみたいに。


「このままでは、いつか忘れ去られてしまうのではないか」


 その時になって、初めて危機意識が芽生えた。

 今は幸い自習の時間で、みな机に向かって静かに作業をしている。その静けさの中僕は、どうにかしてみんなの注意を引こうと、必死に頭を巡らせる。自分がどんな原理で無視されているのかなどは二の次だった。

 そしてひとつ、一つだけ思い浮び、そこで僕は考えるのをやめた。

 もしもこの静けさで、たとえばそう、いきなり大声を出したなら、きっと誰もが振り向いてくれるに違いない。

 たしかに今思うと、あまりにもへんてこりんで、支離滅裂な考えなのだけれど、その時、誰かが自分に振り向いてくれることは、自己存在の確認のみならず、「それ」を含む全てからの解放までも意味していた。

 僕は一縷の望みを懸けて即座に大声を出そうとした。しかし、喉奥に挟まっていた理性がそう簡単にさせてくれなかった。

 仮に作戦が成功したとして、ここで変人扱いされれば次こそ明確な理由で無視されつづけることになる。それは断じて避けなければならない、という考えが頭をかすめた。

 ここにきてまだ長い目で状況を見ることができるなんて理性はどこまで行っても理性だ。

 とはいえ、それを打開できるようなまともな案も考えつかなかった僕は、出かかっていた言葉を呑み込み、その日は泣き寝入りすることになった。

 

 4

 

 そこからまた数日がたった。

 この異常なまでに不可解な現象は下げ止まることを知らず、数日前呑み込んだ衝動は、あれから何度となく僕を襲った。

 けれども僕はそれに負けまいと、ずっとずっと耐え続けた。

『このままいつまでこうしていなければならないのだろう』

 そう考えただけで、心が締め付けられた。

 

 頼りにできる人がいないって、

 心を開ける相手がいないって、

 こんなにも苦しい。

 

 悲嘆と消沈と感謝とが、乱雑に混ざり合った気持ちの中、私は最後の決心をした。

 叫ぼう。

 見えない「それ」を打ち負かすために。

 プライドだとか、威厳だとかは、この際もうどうでもよかった。

 きっといつもの生活に戻ったら、自分に向けて発せられた声一つ一つに感謝するんだ。

 そう心に誓ったのちに僕はおもむろに椅子から立ち上がり、腹の底から思いっきり叫んだ。

 この言葉の発信先を失った自分の口腔を通して。忠誠な願いと誓いを込めて。

 

 いつの間にか目をつぶっていた。

 どうなった……?

 ゆっくりと瞼をひらく。

 あぁ。聞こえてくる。見えてくる。もう無視されなくて済む。

 ざわざわとどよめく教室の真ん中で、僕は机に手をついて立っていた。

 しかし、視界がはっきりしたときに目の奥に移った光景は、

 いつもと変わらない日常——無視だった。

 切実な叫びはノイズによってかき消され、「それ」は消え去ることなく教室を支配し続けた。

 残酷なまでに黒いピンスポット。自分の立っているところだけが隔離されているような、改めて感じる必要もなかったはずの悲壮にまた襲われて、僕は崩れ落ちるように椅子に座った。

「ぁ……」

 そう背もたれに押されて出た声は、もはや喉から漏れた空気の振動にすぎない。

 涙は一滴も流れなかった。

 

 5


 私は今日、不思議な夢を見た。

 短いようで長くて、可笑しいようで深くて。

 でもこういう夢はときに、とてつもない力を持っている。

 自信を無くし、深い溝に嵌って身動きが取れなくなった自分を、一気に地上へ押し戻してくれるような、そんな力を。

 

 何日か何か月か何年か過ぎたころ、この文章を読んで僕は、何を思うだろうか。

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夢うつつ さっき。 @fuwakiki

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