0057 対【樹木使い】戦~入江の戦い(1)
相手は【樹木使い】である。
"木造"の船を操る以上、そこには何らかの仕掛けがあると俺は読んでいた。特に、ソルファイドから『
――それで、例えば砕けた木造船の残骸の板切れから"新芽"でも芽吹かせられる可能性を危惧した。
俺の【エイリアン使い】が
そしてそれこそがリッケルの「奇襲」の一手だと読んで、それを潰すために、木片一つ見落とすなと『潜水班』のシータらに厳命し、流れ着いたものは全て
ル・ベリの制止を振り切り、護衛の部隊を従えて『北の入江』までたどり着く。
見れば、今日この日も変わらぬ時間に現れた乗員の無い"木造のガレー船団"は、昨日と一昨日とそれよりも前日と同じように
【
だから、俺は違和感を感じた瞬間に、リスクを承知でここまで飛び出してきた。
ウーヌス達はあくまで『哨戒班』のイータ達が見て感じ取った光景を、
どうして、今俺が
どうして、
ならば残りはどこか?
――広く広く海中と海底にばら撒かれていることだろう。
≪ソルファイド、【樹木使い】の"迷宮経済"の基礎は――【
≪そうだ。だがあれはただの魔素と命素の流通経路に過ぎない。【魔素掘り花】と【命素汲み花】が無ければ、空の経路に過ぎなかった代物だ≫
あらゆる
それは――
「誰でもいい、木片の一つをすぐに持ってこい!」
入江の方まで俺自身は向かわない。
控えさせたアルファ達が、俺の警戒心を鋭敏に感じ取って周囲に全神経を注ぐ中、3体1組の
それに向けて俺は【情報閲覧】を発動し――ただの木材であり、それが少なくとも樹木型の魔獣眷属の死骸以上ではないことを再確認する。
それらに【情報閲覧】を発動したところ、果たしてその名称は『網脈の種子』と表示されたのであった。
――これもまた
ソルファイドの眼球に偽装された【人体使い】テルミト伯の『盗視る瞳』の存在を俺は知っていたからである。【情報閲覧】が
それもまた船の残骸を焼かせていた理由の一つだったのだ――が。
わずか、俺の手のひらに収まるサイズの"残骸"でこれである。
木造ガレー船もどき一隻で、どの程度の量になることか。
――
あの木造船団がソルファイドの見立て通り、何十体もの『
そしてリッケルは、何日も何日も、毎日それを「決まった時間」すなわち「決まった航海経路」で送り込んできていたのだ。
――大陸から、この場所まで。
ゾッとするような戦慄が背筋を走り、俺は【眷属心話】と
≪第1級の防衛体制、戦時体制に緊急移行だ! ――
不意に、周囲の森林が、掌握したと思っていた『最果ての島』の地上森林地帯が、まるで巨獣の
まるでそこかしこから俺を隠れて観察している小さな妖精が、悪意に満ちたくすくす声の嘲り笑いを漏らしているかのような不快感。
――そして【木の葉の騒めき】が、まるで俺の胸騒ぎと頭の中の雑念が砂嵐と化して音の形に具現したかのように、波打って周囲の森を覆い尽くし始め、その違和の激しさを増していった、まさにその時のことであった。
《やぁ、バレてしまったようだね……優秀優秀。予定よりも結構前倒しになってしまったけれど、それじゃあ始めるとしようか、新人君。"試練"の時間だ》
擦れ合い掠れ合う木の葉の葉音の狭間から、かすれたような"声"が俺に向かって確かに届けられた。
それは枯葉が崩れる音、成長する枝がぱきりとしなる音、根から維管束を通って水分が吸い上げられる音が折々織りなされ、まるで精度の悪い無線通信のようにざぁざぁと木々の雑音が入り混じれども――しかし確かに音程を擬し、音域を模倣した"声"であった。
瞬間、森の木々が
『樹冠回廊』を織りなす巨木達ではなく、その間を埋めるように、天に挑まんと高く伸びようとする
即座に
それは、ただ単に力任せに両腕を振り回していた進化前の
樹精がとっさに迎撃するように腕を突き出すが――螺旋獣の執念的とも言える"筋密度"が、新枯の枝が相混じって束ねられて構成された腕に敗れるはずもなく。みしみし、めきめきと生木を引き裂くような、木々の絶叫のような音を立てて
そのままアルファの方は組みついて枝の片腕を引き裂き千切り、デルタの方は異形の四腕で樹精の幹の胴体を力任せに殴り割って「く」の字型に文字通りへし折った。
攻防の最中、【情報閲覧】を発動させた俺の目に飛び込んできたその名称は『
そのことを念頭に改めて観察すれば、
≪
ぱっと見、入江を望む俺達の周囲にある気配は5から6葉程度。森の奥からさらに軽い地響きを立てながら駆けてくる宿り木樹精の気配はあったが――主力を引き連れてきた俺の脅威になるほどではない。
アルファとデルタが2葉を引き裂く間に、
さらに、アルファとデルタの間を抜けて走ってきた1葉が俺に迫ろうとするが――空間が虚ろに歪む気配と共に、次の瞬間には宿り木樹精の頭部を成す葉と枝の束の
そしてその衝撃の中から、さながら夏季五輪の飛び込み競技のような鮮やかな空中回転捻りを決めながら、ベータの"本体"がアルファの頭部に着地した。それを鬱陶しそうにアルファが首を振り払った頃には、ベータの本体は再び虚ろの歪みの余韻を空中に残しながら消えていた――
そしてこの間にも、島中に散っていた
当初は「島全体」が宿り木樹精に乗っ取られたかとも危惧していたが――さすがに「領域」まで入ってきたならば気づく。
そして、次々に届く報告から推定される
しかしその9割は、この『北の入江』を臨む地点に集中しており――俺が引き連れてきた「主力」との衝突を避けて、
≪きゅきゅー! シータさん達が海底の砂の下に、たくさんの"群草"さんと根さんが伸びているのを見つけたようだきゅぴ!≫
やはり海底から『
そして――あの【木の葉の騒めき】のような"声"によって宿り木樹精達が活性化したのと同じタイミングで、沿岸の海底で
さらに、
俺の周囲の森でも、途端に枝が砕け幹が軋み、野生動物達が驚かされて追い散らされるような騒ぎが大きくなる。だが、アルファ達の暴力を目の当たりにしたのか、宿り木樹精達はエイリアンの軍勢を明らかに避け、迂回する動きを見せていた。
≪連中は
黒穿を指揮杖として振るい、現実の声と【
木々のただならぬ騒めきを吹き飛ばすかのように、アルファとデルタの【おぞましき咆哮】が轟と入江に向けて迸り、引き連れてきた5体の
悪魔的クラウチングスタートによる瞬間加速と、筋効率美の極致に至る螺旋の四肢を踊らせた悪魔的パルクールによって地をうねる巨大な根を難なく乗り越え、瞬く間にアルファとデルタが宿り木樹精を追加で2葉屠る。それに続く形で、ナックルウォーキングダッシュにより戦線獣達が、樹冠回廊へ一度駆け登ってから一気に頭上から飛び降りて襲撃をする走狗蟲達が、次々に宿り木樹精達に取り付いていく。
だが、そうはさせないと言わんばかりに樹精達は"宿り木"の部分を枝の腕で守り、また激しく全身を揺すって群がる走狗蟲や、低空飛行によって駆けつけた『哨戒班』の
危険を推して、俺が自らの目で事態を確認するにあたっての万が一への備えとして連れてきた戦力は、護衛の数としては過剰であったろう。
しかし、ル・ベリに率いさせて急行を命じた援軍を足しても、入江に殺到する全てを食い止めるには戦力が不足していた。
それだけではない。リッケルが海中でさながら"光ファイバー"の如く、じっくりと繋ぎ、伸ばし、慎重に慎重を重ねて連結させた『網脈の種子』の先端として膨れ上がったタンブルウィード塊の数は、シータ達の目算でもその数は十数を超えていた。
戦力不足は、現有の『潜水班』についても言えることであった。俺が
宿り木樹精達は、ソルファイドの経験上ももっぱら奇襲と待ち伏せに特化したタイプの眷属であったらしい。
宿り木として基本的にどのような樹木に対しても、取り付いて自らのトレントとしての樹体を構築できてしまうため、隠密性は高い。しかし、その特質上、本体である"宿り木"部分をどうしても外に露出させねばならず、
……だが、この局面においては、その"脆さ"が逆に敵には有利に働いていた。
引き千切られ、引き裂かれてもなお、本体が無事である限り、砕かれた木片を引きずって宿り木樹精はなおも全力での入江でのタンブルウィード塊との合流を優先してきたのである。
結果、シータ達の八面六臂の迎撃をすり抜けたタンブルウィード塊が入江から上陸。
さらに、俺の率いる主力部隊の追撃を振り切った数葉の
《残念だったね。【若き樹海の創世】――型は『生まれ落ちる果樹園』でいこうか。さぁ出でよ、出でよ、芽吹けよ、芽吹け》
最果ての島の『北の入江』に膨大な魔素と命素の流れが渦巻く。
まるで【闇世】の赤き海を割るかのような、青と白の仄かなる仄光が一直線に水平線の向こう側まで光臨する。それは海底と海中を、何日も何日もかけて散らばらされた『網脈の種子』によって形成された【樹木使い】の"迷宮経済"そのものによる侵攻であった。
木の葉と枯葉が掠れ合うようなノイズを含んだ、【樹木使い】リッケルのものとしか思えぬ自己顕示欲に満ちた宣戦布告が俺の耳を逆撫でる。
見れば、上陸してきた海中タンブルウィード塊達が一気に膨張して枝やら根やら蔓やら、葉やら樹皮やらをめちゃくちゃに生み出し始めていた。そしてそこに、アルファ達の追撃を振り切った宿り木樹精達が身投げするかのように文字通り飛び込んでいく――彼らは、海岸に乱雑無秩序に生え散らかし、伸び散らかす枝や蔓に巻き取られながら次々に
そして、数十数百もの"芽吹き"によって生え散らかした無数の種類の樹木の若木達は、水と風の代わりに海底の『網脈』をはるか経由して送り込まれてきた膨大な魔素と命素を吸い喰らって急激的爆発的な成長を遂げていく。
自然ドキュメンタリーの映像の如く、数十年の時間が一気に加速され――アルファ達が尚も森の奥から"合流"しようと全力疾走してくる
まるで複数の若木を
――そしてそれが"果樹"であることを、俺はすぐに知ることとなる。
天を掴まんとするかのように高く広く広げられた枝々の先から、生木が裂けて、まるで血を流すかのような樹液と思われる粘度の高い液体が次々に玉となって滴り溜まり――それが急速に新芽やら花やら果肉やら根毛やら果皮の混合物に変化分化し成り果てながら「果実」としか言えない、しかし素直にそう言いたくはない植物を構成する柔組織の混合物としか思えない何かを
それは、青々しくも瑞々しいまるで生肉のような質感で蠢いており――もはや「果実」という定義からも逸脱し、羽化を待つサナギのような肉々しさを以って鼓動しているようにすら見えた。
みるみるうちに歪つに熟し、人間大の大きさまで急速に膨れ上がりはち切れた果実がずちゅりと落果し、ぐずぐずにまで熟れた果肉"溜まり"を形成。
周囲で1本、また1本と新たな「樹木でできた樹木」が生えていく。その【樹木使い】と言うには、あまりにも
果肉を裂き、果汁をぬらりと滴らせながら。
生え出づる枝や根や針金人形の如く人型の骨格を形成し――その上から花やら果肉やらが生え巻きついて筋肉を成し、蔓が神経を成し、葉や新芽が皮膚と頭髪を成していく。
"樹人"達が、まるで若木を裂き、巨木を切り倒す時の"軋み"を思わせる、不快な雄叫びを上げる。
《我が転生、ここに成れり、てね。【樹身転生】――出でよ、芽吹け、我が『樹身兵団』よ!》
樹木をただ単に人型に擬したのが
表情筋――を形成する花蔓果肉――の動きすらもが、ぴくぴくと不気味の谷の深淵を土足で踏み越えるほどに「人」である。それほどまでに、その存在の動きは
吹き寄せる海風に乗って、磯と潮の香りに、肺を蝕むほどに咽せ返るような深き新緑の匂いがドロリと鼻につく。
森林浴が体に良い、などというのはどこの世界の戯言であったか。
極まった、そして歪つなる森林の空気とは、瘴気にも等しく人の身を蝕み侵すものである――とすら感じさせるような、爛れ燻るかのような濃すぎる香薫をまとい、4体の「樹人」が目覚め嗤う様を俺は睨め付けた。
「……御方様、ただいま御側に」
木々を揺らし、樹幹の回廊を踏破しながら、ル・ベリと
対し、4体の「樹人」の周囲には次々に"果樹"が生え揃い――"果実"の生成とその落果を経て、四つ足の獣を模倣した樹木の魔獣、リッケルが"基本種"として扱う存在たる『
その数は瞬く間に10を超え、20を超え、絶え間なく海中海底の「リッケルファイバー」を通して送り込まれる膨大な魔素と命素を消費しながら増殖し続けていた。
その様を見せつけるように、樹木で人体を構成された「樹人」の中央に立つ個体が耳まで裂けるかと思うほど口の両端を吊り上げてただ嗤う。
「これで橋頭堡ができたね。さぁ、勝負だ新人君。進むかい? それとも退くかい? 【樹木使い】を相手にこれだけの"森"を放棄する覚悟はできたかい? 君の力を、どうか僕に見せてくれ」
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