0054 嵐は爆ぜ散るために鎮まれり

 案の定、【樹木使い】の"木造船団"は多頭竜蛇ヒュドラによって壊滅された。

 イータからの情報を分析した副脳蟲ぷるきゅぴの1体であるモノの報告を聞く限り、鎧袖一触としか言いようが無い。それだけ多頭竜蛇ヒュドラの猛威が凄まじかったか、はたまた、威力偵察であったため大した戦力を配置していなかったか。


 ――だが、予想が一つ外れたことがある。

 "船団"は昨日も今日も・・・・・・やってきたのであった。


≪今日も最初と同じ編成。オール型の腕を生やしたガレー船タイプに、テルミト伯の空飛ぶ顔面パーツどもか……≫


≪今日は"お鼻"さんもあったようだきゅぴねぇ≫


 威力偵察、であることにはきっと違わないだろう。

 しかし戦力の逐次投入であるとしか思えず、それならば最初からこの3日分の"船団"をまとめて送り込んだ方が――まだ、一隻かニ隻は流れ着くのではないか。

 "今日の分"がたった今、正確に昨日と同じ時間と展開で多頭竜蛇ヒュドラに壊滅させられ、文字通りに木端が微塵となった木屑もくずの残骸となり果て、流木のように次々と海岸へ流れ着いてくる報告を聞きながら、俺は副伯リッケルとテルミト伯の狙いについて再考させられる。


 例えば、戦力を一度に送ることができない事情があるとすれば、これはリッケルのテルミト伯に対するポーズということになる。実際にはテルミト伯かその協力者か、または第三者がリッケルの本拠地を狙っており、リッケルには戦力を差し向ける気が実は無い。

 その場合、一応は体裁だけでも大船団の如く取り繕い、頑張っていますよという時間稼ぎをテルミト伯に対してしていることとなる。この場合、下手に多頭竜蛇ヒュドラを抑えて海域を抜けてしまうことの方が、厄介なことになるだろう。計算して自沈している可能性すらある。


 ――だが、ル・ベリやソルファイドから聞いた限りではあるが、リッケルにとって「リーデロット」という女性こそが最優先であるとプロファイリング上は思えてならない。それ以上に優先する存在や理由が、果たして"大陸"にできているのだろうか。


 そして、ソルファイドの"目玉"を通して俺の存在を認識しておきながら、空飛ぶ顔面パーツ軍団をリッケルの船団から飛び立たせる以外はしていないテルミト伯の狙いは、リッケルを俺とぶつけることだろう。"励界派"とかいうよくわからないが、それなりの勢力ではありそうな独自の迷宮領主ダンジョンマスターの派閥に属していることから、テルミト伯は政治的な動きもするのだろう。

 ならば、仮にリッケルに"大陸"側に留まる理由ができていたとしても、そこに裏から手を回していてもおかしくはない。


≪油断を誘っている、というところかな。諜報体制が皆無な現状、俺としては、一番面倒な可能性を想定するしかないものなぁ≫


≪御方様。つまりそれは……あれだけの"木偶人形"を、連日使い捨てにしてもなお、我らを制圧できる戦力があることを誇示している、ということですか?≫


≪こっちが見ていることはあっちもわかっているだろう。ブラフの可能性もある。後は、単調な行動を繰り返して慣れさせてから、いきなり奇襲を仕掛けてくるか、とかな≫


多頭竜蛇ヒュドラの目を誤魔化す方法を既に編み出していて、それをまだ伏せており、我らの油断を誘っている、ということですか≫


 神経戦、あるいは長期戦すら狙っているのかもしれない。

 【樹木使い】というからには、その迷宮ダンジョンはひょっとしたら"森"から迷宮経済の資源リソースを生み出す力に長けていることだろう。俺の凝素茸コレクターのように、魔素と命素を「果実」に固めて収穫するだとか、あるいは『光合成』によってさらに別のエネルギーを取り込む力を有していても驚かない。

 だが、長期戦になればなるほど、俺の方としても戦力を整えることができる。


 そして多頭竜蛇ヒュドラに関しては、気になる報告がモノから上がっていた。


創造主様マスター、どうも多頭竜蛇ヒュドラさんの周囲で海流さんがおかしな動きをしていたんだよね≫


≪きゅぴ! 海流さんのお菓子さん? バウムクーヘンさんって奴かな≫


≪なになにチーフ、お菓子さん? 僕を差し置いてそんな話しちゃダメだぁ!≫


≪ち、チーフ……バウムクーヘンさんは、樹木さんのお菓子さん、なんだよ……?≫


≪え~リッケルさんをお菓子にするだって~? ソルファイドさんがお菓子職人さんになっちゃうの~?≫


≪あはは、チーフさぁそれじゃ僕達今後ずっと「おかしな」って表現できなくなるじゃん≫


 寄り道に逸れることを覚悟で言うならば、結果から言って俺は副脳蟲ぷるきゅぴ達が「日本語」に時折言及することをいちいち指摘することを諦め・・た。あるいは「全ての知識」を与えてしまった弊害であるかもしれないが――ウーヌス達はたびたび、俺の元の世界での知識に言及をする。

 残念ながら、この脆弱な全身急所に対してはまだ有効な「お仕置き」を思いついていないことが悩ましいが……。


 副脳蟲ぷるきゅぴ達が【眷属心話】を使って全エイリアン全従徒にも聞こえる「きゅぴきゅぴ談義」を始めたところで俺は放置することにして、モノの報告の意味を考える。

 元は旧レレー氏族長が持っていた『黒穿』にせよ、ソルファイド自身にせよ、海流に乗って最果ての島に流されてきた。また、ソルファイドが言うには多頭竜蛇ヒュドラ自身は自らの来歴を『うそぶく潮の如き』竜たるウィカブァランの末裔である、と称していたらしい。


 すなわち海竜の類の系譜であり、ソルファイドの祖先が『火』に関する力を持っているならば、多頭竜蛇ヒュドラの本気は海流自体を操ることにあるかもしれない。だが、同時にソルファイドは――多頭竜蛇ヒュドラにそこまでの力は無いはずだ、とも強く言っていた。


≪それはしかし、単に、あの赤頭が多頭竜蛇ヒュドラの力を測り損ねていただけではありませんか? 御方様≫


≪その可能性もある。だが、こと"竜"に関しては俺達は知識でしかわからず、専門家の言葉を過小評価してもいけないからな。それに、竜神サマ自身に仮にその力が足りなかったとしても……仮にだが"協力者"がいればその限りではないだろう?≫


 例えば、今回の件に間接的に、何らかの形で関わりがあるであろう【気象使い】。

 大公アークデュークの力が真なる竜にすら匹敵する力であるならば、天候と海流は大きな関係性がある現象である。大嵐が訪れる時、海流もまた入り乱れ、数十メートル単位の高波が発生することも珍しくはないだろう。

 あるいは――【闇世】Wikiで迷宮領主ダンジョンマスター達の"名前"だけをずらっと読み込んで、俺は【深海使い】という"銘"を見つけていた。その説明文には、おそらく本人以外によって編集されたであろう、「大罪人にして裏切り者」という烙印のような文言が踊っていた。

 単純に"海"という観点からは、こちらもまた海流に干渉する力を持っていてもおかしくはない。


≪その影を見つけるために、シータ殿らに海域探索を命じられたわけですな≫


≪リッケルの船団があまりにも弱すぎて、多頭竜蛇ヒュドラがすぐに戻ってきたせいで、思うように探索できなかったがな……突牙小魚ファングフィッシュだけではちょっと荷が重いかもしれない≫


≪……奴がウィカブァランの如く、真に"潮を操る"ならば、海にいるどんな生物であろうとも対抗することはできぬだろう≫


≪おお、ソルファイド。気が付いた・・・・・ようだな? 気分はどうだ≫


≪水浴びを……いや、湯浴みをさせてもらう。その後ですぐに馳せ参じる……≫


≪きゅきゅっ! ソルファイドさんの"温泉沸かし"だ、僕達も見に行こうだきゅぴ!≫


≪わかったよ! アルファさん、デルタさんタクシー・・・・お願い!≫


 アルファが大丈夫ですか? と言いたげな眼差しを送ってきたので、俺は「代わりにとっ捕まえてここに並べろ」と目線で応える。

 そしてソルファイドに話を戻せば、浸潤嚢アナライザーに放り込んで3日間。

 ――目当ては【火属性適応】の『因子』であった。

 本来は小鬼術士ゴブィザードをル・ベリの"調教"によって生み出し、そこから搾り取る算段であったが、そうも言っていられなくなったため、彼を愛剣ごと・・・・浸潤嚢アナライザーの中に放り込む決断をしたのであった。


 結果、目論見通りに『因子:火属性適応』が解析完了と相成る。

 そしてそれによって解禁された新たなエイリアンは、以下の通り。


属性砲撃茸グレナディア

属性障壁茸シールダー

炎舞蛍ブレイズグロウ

一ツ目雀キクロスパロウ


 このうち、純然たる【火】属性のエイリアンは炎舞蛍ブレイズグロウだけであり、後の系統はいずれも進化系統図上は『属性適応』の因子が必要だと表示されていたものである。

 すなわち【因子の注入グラウト=ジーン】によって送り込む『因子』次第で、その属性を変容させる存在である、ということ。この局面では、あえて【樹木使い】に対して、当然警戒しているであろう【火】を使ってやるという意味では――『火属性ファイア=砲撃茸グレナディア』と「第3世代」のエイリアン=ビーストである『炎舞蛍』が鍵となると言えた。


 すでに"名付き"のイプシロンには、炎舞蛍ブレイズグロウへの進化を麾下きか噴酸蛆アシッドマゴット達ともども命じたところである。

 どうも彼らの『強酸』は、生身の生物には絶大な威力を発揮するものであったが、樹木に対してはいささか効果が薄かった。溶かし削れないわけではないが、セルロースだかによって強固な細胞壁を破壊するには相応の時間がかかることが実験からわかっていた。

 相手が【樹木使い】である限り、例えば体表の樹皮を一枚剥がして『強酸』から抜け出すぐらいのことはしてきそうであり、それならばまだ素直に燃やす方が良いだろう。


 合わせて『火属性砲撃茸』も量産体制を準備している。

 ――実際の"胞化"は、検証用の1基を除いては、まださせない。

 なぜなら、属性砲撃茸グレナディアに関してはその「進化元」が凝素茸コレクターであるということが悩ましかったからだ。迷宮経済の一挙の拡張と、【相性戦】の有利を取りつつ、敵の狙いの裏を掻く機会を得ることとのバーターになるのである。

 最低でも検証用の1基から、まずはその維持コストや俺の想定する運用手順を確認しなければならない。その後、に必要な数だけ凝素茸コレクターがその瞬間に減少することを前提に、迷宮経済の収支がマイナスにならないように生産計画を立てなければならない。


 これで、相手の主力が【人体使い】であったならば、難しく考えずに『凝素茸』を量産し、走狗蟲ランナーとその上位種達を量産すれば良いのであるが――。


 元の世界でたまにやっていた、大味なシミュレーションゲームよろしく。

 引きこもって"内政"を行い、潤沢な資源リソースを用意さえできれば、その後はまたしばらく散財するかのような適当な生産をすることもできよう。

 だが、この現実リアルの異世界においては、掛け金は時間だけではなく俺自身の存在そのものでもあった。凝素茸コレクターが登場したことで、迷宮経済が根本的に底上げされたのは間違いないが、カツカツ状態であることは変わらない。


 そしてそれもまた、ソルファイドが指摘したことでもあるが、俺が突牙小魚ファングフィッシュをさらに"先"まで進化させることを躊躇している理由の一つでもあった。防衛戦力として、少なくとも現時点では、多少のリソースを『潜水班』に回したところで劇的な改善が望めるか、費用対効果は薄い。

 多頭竜蛇ヒュドラの行動パターンと対抗策さえ分析できれば、海戦でリッケルの船団を押し留めるという対策もできたかもしれないが、それだけの戦力を今から別に用意するのはそれこそ"賭け"となってしまうだろう。

 また、近い理由でイータを『一ツ目雀キクロスパロウ』とすることも見送った。

 【火属性】の一ツ目雀では、炎舞蛍と役割が被ってしまうからである。少なくとももっと余裕がある時に、一ツ雀自身の性質についてちゃんと確認してからでなければ、安易に【火】で進化させるのは無駄だと今は思われた。


 ……と、そこまで考えていたところで、ル・ベリから奴隷小醜鬼ゴブリン達と、また『最果ての島』の主要な生物の"胎児"の迷宮地下部への収容と保護が完了したという報告が入ってきた。

 これは、万が一に、リッケルとテルミト伯が"焦土戦術"を取ってくるか、俺が【火】を本当に【火】として使って地上部を焼き払って抵抗せざるを得なかった時に対する保険である。


 そしてそこで、アルファとデルタを"タクシー"代わりに使ってソルファイドによる「風呂焚き」を見学しに行こうと企てていたサボり魔ぷるきゅぴ達を、当の螺旋獣ジャイロビーストコンビが『司令室』にいる俺の元まで、ちょうど連行してきた。


≪きゅーきゅーぶーぶー! アルファさんのケチんぼ!≫


≪筋肉だぁ、筋肉には勝てないのだぁ、くっそう!≫


≪あはは、あはは! ぐるぐる回っておもしれー≫


≪モノ! なにそれ面白そう! 僕も僕もー≫


 ――妙に騒がしいと思って何事かとデルタの方を見やると、なんとモノを含めた4体がその4腕にそれぞれ掴まり、なんと悪魔的造形美を誇る筋肉魔獣を「メリーゴーランド」扱いしていたのであった。知能小学生の、しかも俺の迷宮ダンジョンでも「割れ物注意」な副脳蟲ぷるきゅぴ達を前にして、さしもの猛々しきデルタも若干戸惑い気味である。

 その様子を目ざとく察知して、アルファにも同じことを頼み込んでいるウーヌスとアン。

 そして、心得た様子で俺に目をやるアルファ。あぁ、お前は本当に察しが良くて助かる……。


「アルファ、そのまま遠心力の限界までぶん回しておけ。あ、デルタもな」


 心得たとばかり、夢の国のメリーゴーランドから、奇を衒いつつも体感速度はえげつない絶叫マシンに早変わりした筋肉魔獣2体。きゃいきゃい騒いでいた脳髄達はすぐに「ぎゅええええええ」という絶叫の嵐を生み出し、2分後には全員ぐったりと地面に死屍累々と転がっているのであった。


 ……ふむ、これは"お仕置き"として使えるな。

 連日の騒動にいい加減、胃がヒクヒクとし始めかけていたところであったが――光明が湧いたような晴れやかな心地を感じて、俺は事情を知らない者が見たらまるでスプラッタ現場かと見紛うような、散乱した6体の巨大知能小学生脳髄達にニッコリと笑みを向ける。


≪さて、我が愛らしくもうざったらしい副脳蟲ぷるきゅぴどもよ。仕事の時間だ。全員で迷宮ダンジョン拡張の総仕上げをしていくぞ。おら、きりきり働け≫


   ***


 【エイリアン使い】オーマが、得られた情報を元に迷宮ダンジョンの構築と防衛戦力の"調整"を急ピッチで進めていた頃。

 『最果ての島』への侵攻を停戦の条件として命じられた【樹木使い】リッケルもまた、そのための準備を着々と進行させていた。


『……それで、一体貴方はどうしてまだ居城でふんぞり返っているんです。【鉄使い】、あの道化は確かに多頭竜蛇ヒュドラと遊べとか言っていましたが、毎日毎日、勝ち目の無い偵察に私の眷属ファミリアを付き合わせて、どういうつもりですか』


 施設『作戦本部』の円卓には、リッケルを除けば一人しかいない。

 ……正確には「一人」であるか。

 テルミト伯が連絡用に寄越してきた2体ずつの『這い回る片耳』と『飛来する目玉』、そして1体の『囀り倒す唇』が、出来の悪い前衛芸術――オーマならば「福笑い」と言っただろう――のように「顔」を卓上に形成し、リッケルに嫌味を繰り返していた。


 だが、その口調は以前の"会談"の時のように粗暴なものではない。

 それが、リッケルと直接相対しているわけではないか、または"励界派"の仲間にわざと・・・見せているからこんなにも丁寧な口調になっているのだろう、とリッケルはあたりをつけていた。そしてそう考えると、どうにも元主であるテルミト伯の口調が、これもこれでまた小憎たらしく可愛いものに思えてくるのであるから、恩讐の念とは不思議なものである。


『ご自慢の「兵団」の面々は全然姿が見えないようですが。彼らだけ送ってお茶を濁しておいて、まさか自分だけここに引きこもって反抗を続ける……ということは無いでしょうね? 貴方がその気なら、こちらにも考えがあるというものです』


「まったく"若"は昔からずっとせっかちなんだから。敵を騙すには味方から、と言うだろう? 僕はきっちり攻め込むつもりさ。今は――"新人君"を慣らしている最中なのさ」


 どれだけの嫌味を言われようとも、今のリッケルにはそれを受け流す余裕があった。

 別に、怨敵であるテルミト伯との会話を"試練"とあえて捉えるまでもない。


『あれを侮ってはいけませんよ。"最果ての島"などに押し込められているので、伸びてもせいぜい副伯バイカント止まりでしょうが……潜在力と応用力・・・は、ただの「魔獣型」では捕らえきれない。正直、"稀種"という定義も適切かどうかはこの私をして測りかねているところですから』


「やぁ、ご執心じゃないか。でも【人体使い】の"若"にそこまで言わせるとはねぇ……風に聞く【美食使い】の大公閣下の耳に入ったら、さぞ賞味・・したくて堪らなくなるんじゃないかな?」


『この上引っ掻き回そうと言うつもりですか、貴方、貴様は……この私への嫌味、嫌がらせの類だとわかっているので、寛大なこの私は処刑の鎌をその首に引っ掛けるのを今少し猶予してあげましょう』


 嫌味に嫌味で返しつつ、しかし卓上の『顔面』が鋭い表情を作り上げる。

 "若"も昔に比べて芸達者になったな、という感想を抱きつつリッケルは――技能【木の葉の騒めき】により、『樹身兵団』以外・・従徒スクワイア達からの報告を受け取る。


≪副伯閣下、ご報告します。アイシュヴァーク様、ケッセレイ様、リューミナス様の……"転生"処理、無事に完了しました≫


≪それは重畳。まずは最初の最初の"試練"を乗り越えたわけだ。"報酬"は――人の身を越えた力というところだね≫


『貴方は一体、いつまで「たわみし偽獣フェイク=ビースト」の系統にこだわっているつもりなのですか? 相手には【火】に特化した竜人ドラグノスが降っていることは確実。そして、その力が取り込まれている可能性もある……あれはそういう・・・・類の力です』


 小言とも嫌味とも情報収集ともつかない、テルミト伯からの言葉を受け流すリッケル。

 彼は現在、部下との【木の葉の騒めき】による指示のやり取りに集中していた。それは【眷属心話ファミリアテレパス】とは異なる、迷宮領主ごとに開花しうる情報通信手段であり、こうしてテルミト伯の相手をしながらも【情報戦】はあちこちで行われていた。


 リッケルは、テルミト伯が"励界派"の内部で【傀儡使い】と対立していることを知っている。

 そして『花盛りのカルスポー』を巡っては、グエスベェレ大公としてその手下である【蟲使い】が網を巡らせており、リッケルが流した『生きている樹海』に関する宣言の真意を探るべく、テルミト伯との【情報戦】の小競り合いが発生していることも知っていた。

 この会話の中で、誰に何を聞かせようとしているのか、あるいは自分からどんな言葉を引き出そうとしているのか、興味が無いわけではないリッケルではあった。


『……いい加減に【人体使い】へのその恋々とした妄執を諦めることです。先代の・・・【樹木使い】だった者が、泣きますよ? 貴方のそれは可能性の放棄、与えられた役割の放棄であり、認識イメージの歪みに他ならない。【火】の対策に「噴火の樹巨人ボルケイノ=エント」か最低でも「荼毘の樹精クリメイトレント」でも、今からでも遅くないので解禁して運用可能にしておくことですね』


≪リューミナス君あたりは正直、失敗して"自失"してしまうかなと思っていたけれど。やはり、彼方におわす貴き『九大神』の方々は、ちゃんと見ているんだねぇ。それで、そろそろ新人君のところに必要量・・・が行くまで、後何日ぐらいかな?≫


≪予想以上に多頭竜蛇ヒュドラが大暴れしていますので――隠蔽の手間が省けています。副伯閣下の想定よりも、2~3日早まるかと≫


≪それも重畳、本当に重畳だよ……君にも迷惑をかけるね。本当は君にも・・・アイシュヴァーク君達と同じ"試練"を与えたかったのだけれども、本当にごめんね?≫


≪――志を同じくした同胞達と共に往くことができず、しかし誰かがしなければならないこうした管理作業、事務作業を全うすることが私の"試練"と心得ます≫


 あえて『枝魂兵団』には置かず、自身の秘書官扱いとして迷宮ダンジョン全体の管理作業を任せていた従徒スクワイア立派な志・・・・に、リッケルは思わず「素晴らしい」と破顔する。

 ちょうどそれは、テルミト伯から「新人」の"飛行型"に対抗するために、中型の飛行魔獣のサンプルを数体ほど寄越してくれる、という妥協を引き出したタイミングとも重なっており、テルミト伯にはそのように聞こえたようであった。【木の葉の騒めき】によって、半ば話を無視しているということがバレる寸前であったところであり、リッケルは内心で苦笑をする。

 テルミト伯の小言や、彼の研究者肌に過ぎる「分析せずにはいられない性分」からの"稀種"の異形の魔獣達に対する分析の共有に対して、適当な返事を返しながらであったのだ。


≪副伯閣下……本当に、副伯閣下も往かれてしまうのですね≫


≪勿論だ、そのためにアイシュヴァーク君達に先に"試練"に臨んでもらったのだから。僕は"試練"に失敗する訳にはいかない。まして"試練"の前準備でつまづいているわけにはいかない、そうだろう? リーデロットの忘れ形見に会いに行く。彼女の"試練"と"報酬"を確かめに行く。それは、僕だけに与えられた"試練"であり"報酬"なのだから≫


≪必ず戻ってきてくださいますか。それが私への"報酬"だと思ってよいのですか? 閣下は、私達にとって、いえ、私と『花盛りのカルスポー』にとって欠くことのできない方なのです≫


≪"報酬"とは、与えられて始めてそれがそうであると気づく場合もあるものさ。負ける気は無い。だが仮に負けるとしても……そうだな、"僕は"戻ってくるかもしれないね。きっと、どんな形であっても≫


 秘書官とも扱う腹心にそう告げて【木の葉の騒めき】を解除し、リッケルはテルミト伯との会話も適当に怒らせて相手から切り上げさせる形で終了させる。

 そして枝葉と蔓と根の圧着した、複雑な紋様を描く部屋の天井を見やった。

 その表情には希望の笑みが灯っており、床に垂らした長い髪の毛が激しく左右に揺れるように、リッケルはくつくつと笑っていた。


「さぁ、今度は僕の番だ。アイシュヴァーク君達だけを放り込むなんてことは、僕はしない。肩を並べて共に行こう――行こう、行こう。僕の眷属ファミリア達よ、『転生の間』へ、僕を連れて行ってくれたまえ」


 誰もいなくなった『作戦本部』で、そう高らかに叫ぶリッケル。

 やがて彼の座っていた"椅子"が、『たわみし偽獣フェイク=ビースト』の"派生種"であり、木造の家具に擬態する習性を持った樹木型の魔獣である『家具喰らいチェアイーター』としての本性を表し――リッケルを運んでいくのであった。

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