【愛しのコーデリア】 上

 最初は、ただの悪戯だと思った。

 私のもとに急に転がり込んだ幸運を妬む、根も葉もない物だろうと。

 しかし、その内容が【アレ】について言及されている事に気づき、こめかみに青筋が浮かぶ。

 握った手紙が、くしゃりと音を立てた。

 ……ふざけるな。

 何処の誰かは知らないが、私を脅そうとはいい度胸じゃないか。


 【アレ】は私の大事な金の成る木だ。

 誰にも奪わせる気は無い。


 手紙の主の思惑は分からないが、いいだろう。乗ってやる。

 どうせ【アレ】を視界に入れた瞬間、コイツも私と彼女の金蔓となるのだから。


 招待しよう、私の美術館へ。



ーーーーーーーーーーーーーーーーー


『美術館?』


「うん。家のポストに俺宛のチケットが入ってた。

結構大きいとこらしいよ」


 今、俺の手には【有栖川 莉玖様】と書かれた招待状と共に、館内のパンフレットとチケットが一枚握られている。

 【大西栄美術館】と書かれたそれは、美術館の無料観覧券だ。


『なんか、無料で貰えた割にはあんまり嬉しくなさそうだね』


「……うーん、まぁね」


 実際、新谷先輩の言う通りあまり気乗りはしない。

 だって、昔の人の作った花瓶や絵をただ眺めるだけなのに、何が面白いんだ。

 それに何で一般人である俺にわざわざチケットが送られてきたか、全く分かんなくてちょっと怖いし。


『ああいうのは作品を通して描かれた当時の時代背景や作者の思想、文化を読み取ったりして楽しむものらしいよ。……知らないけど』


「俺は画像を検索するだけで充分満足なんだけどなぁ」


 いや、実際は学校の課題じゃない限り調べもしないだろうが。


 とはいえ、だ。

 せっかくタダで手に入ったのに、行かないと損した気分になるのも事実。

 それに、何で俺にチケットが送られてきたか理由が気になって気持ちが悪い。


「土曜日か、どうしよ……」


 それにしても、この大西栄美術館と言う名前、何処かで見たような……?


ーーーーーーーーーーーーーーーーー


「あの美術館はやめた方がいいよっ!!」


 休み時間。

 教室でその事を友達と駄弁っていたところ、突然背後から声が飛んできた。

驚いて振り返ると、


「え……? 高橋さん?」


 隣のクラスの高橋さんが居た。

 彼女は俺のクラスの仲が良い女子に会いに頻繁に此方に来ているので、俺も名前を覚えているのだが……。

 てっきり大人しめな子だとばかり思っていたから、こんな大きな声を出すとは思わなかった。

 はっ、と我にかえったらしい高橋さんが、申し訳なさそうに謝る。


「あ……、驚かせてごめんね。

盗み聞きするつもりは無かったんだけど、大西栄美術館って聞こえたから」


「高橋さんは、この美術館の事知ってるの?」


「うん。

……最近、その美術館にお父さんが良く行ってて」


 くしゃり、と歪んだ顔は涙を堪えているように見えて、彼女がただならぬ事態に陥っている事を物語っていた。

 不審に思われないように、スマホの中にいる新谷先輩を確認すると、画面に映った例の手のマークが点滅している。

 どうやら、ちゃんと聞こえているようだ。


「あの美術館に行ってから、お父さんがおかしくなっちゃったの」


 彼女の話を要約すると、こうだ。


 仕事で美術館を訪れた父親が、帰ってきてから美術品の話ばかりをしてくる。

 その美術品の名前は【愛しのコーデリア】

 海外の肖像画であるそれが如何に美しいか、どれだけ素晴らしいか、高橋さんや母親が他の話を振っても聞く耳を持たず、その事ばかりを話すらしい。

 そしてあろうことか「彼女に捧げる」と言って、コツコツと今まで貯めてきた貯金を切り崩して豪華な装飾品や衣服を絵画に買い与え始め、仕事にも行かずに美術館に入り浸っているので、母親の方が離婚を切り出そうとしている……との事だった。


「いやっ……、お父さんともう会えなくなるなんて嫌だよぉ……っ!!」


 話している最中も必死に我慢していたのだろう。とうとう、高橋さんは嗚咽を漏らしながら泣き出してしまった。

 ずっと真面目で優しかった父親が豹変し、更には離婚ともなれば無理はない。


「……ぐすっ…………だ、だから、有栖川君。その、美術館には、行っちゃ、ダメ……」


 ひっく、ひっくと吃逆あげる高橋さんを慰めながらスマホに……新谷先輩に目配せすると、画面が切り替わり文字が映される。


『中々きな臭い事になってるね……どうする? 行くの辞めとくかい?』


「……ううん、行くよ。

聞いちゃったからには、流石に放っておけないし」


 実は、高橋さんの話を聞いているうちに思い出した事があった。

 【大西栄美術館】

 そこに行った家族が帰って来ないという話が複数、ネット掲示板にあったのだ。

 そこでは美術館が最近いきなり大きくなって羽振りが良くなっている事、戻って来ない被害者が男性ばかりという事などが書き込まれていた覚えがある。

 よくあるネットの作り話かと思って流し読みしていたが、高橋さんの話を聞くと急に真実味を帯びてきた。



 つまり、このままいけば恐らく……いや絶対に高橋さんのお父さんは、美術館から帰って来れなくなるだろう。



 自分じゃ大した事は出来ないかも知れないけど、これだけ知ってしまった以上は無視なんてできない。

 正直怖いし、男である以上自分も危険だとは痛いほど分かっているつもりだけど……。

 未だに涙を溢している高橋さんの姿を見てしまうと、どうしても「行かない」という選択肢は出てこなかった。


 そう小声で返すと、スマホが笑っているみたいに軽く震えだす。


『なら、一つアドバイスをしてあげよう。まだまだ当日まで時間がたっぷりあるからね。』


 新谷先輩がはっきり言葉にせずとも、何となく分かった。


 きっと【愛しのコーデリア】は怪異だ。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る