第27話 特別への答え


 手をこすり合わせたくなる寒さも、首筋や足元から忍び寄る冷たさも先日とさほど変わりはない。けれど、日輪が高く昇り穏やかに晴れた今日は凍えた身体も幾分か動きやすかった。

 空気は清らかに澄み切っていて、過ごしやすい冬日和だ。

 厳しい季節の珍しい穏やかな合間を噛み締めるように、わたくしはひとり丁寧に舗装された小道を歩いていた。まだ少しだけ地に落ち葉の残る木々を抜けて奥に進めば、凪いだ湖面が出迎えてくれる。


 初めて見た時から、存在の揺るがない湖の印象は変わらない。

 ――化身である彼については、未だによく分からないけれど。


「こんにちは、高地湖」


 虚空へ呼びかけると、彼は唐突にわたくしの隣に立っていた。


「よう、櫛笥みこと。何の用だ」


 本性ではなく前にも見た男子生徒の姿。気だるそうに高地湖はズボンのポケットに手を突っ込んでいた。


「無事に解決したのでご報告です。色々と協力してくださり、ありがとうございます」

「終わったのは知ってるぜ。律儀だなあんた」


 黒く光の無い眼はいつも通り何を考えているのか不明だ。彼よりも高みにあれば露払のように親しくできるのかもしれないが、内心の弱い部分を掴まれないようにするのが精いっぱいだ。


「裏切った妖をぶっ殺したんだろ? 悪は倒されたわけだ。いいねぇ、ヒーローそのものだ! オレだってちょっと齧られてたんだし、敵を取ってくれてありがとよって感謝の言葉を浴びせてやろうか」

「……いいえ。必要ありませんわ」

「何時ものごとくクソつまんねえ顔してんな。どや顔でやってやった感だせよ。どこまでも真面目にこなして褒賞すらも辞退するタイプなんて流行らねえぜ」

「わたくしが自慢げにしてどうするのですか。村雲と暦さんが上手く気を引いてくれてなんとかなった結果です。ある程度の打ち合わせはしましたが、直前までどう転ぶか分からなかったのですから」

「言い訳がクソ面白くねえ。――なあ、どうして菖蒲持ってった?」


 あの夜、彼に強請った植物は相変わらず湖の畔を囲っていた。


「さあ、どうしてでしょう。あなたが襲われる間際、近くに人も妖も居なかったと言ったからでしょうか」

 後ろにいたのはとんでもなく気配を消すのに長けた上位の妖か、もしくは――。

「いえ、やはり気の迷いですわ」

「気持ち悪い答えだな。もっとこう自信ありげに正解言ってみろよ。どうせ当たりだから。面白くない話を勿体ぶる奴は嫌われるぜ、オレから」


 嫌われると言うにはその態度は楽し気で空虚だ。


「お前は勢いが足りてねえんだよ櫛笥みこと」

「……それは『特別』ではないということですか?」


 高地湖として公園で初めて会話した時、彼はそんなことを言っていた。

 何かに捕らわれず自在に振舞い楽しむ。高地湖が口にした特別をわたくしはそう解釈していた。


「そうだな。そこら辺の術者に負けねえ力もあるし出自も特殊、ときたら後は性格だな。傲慢に自由に、気に入らない奴はぶっ飛ばして賞賛は気持ちよく浴びておく。いかにも主人公っぽくて特別だろう。きっと楽しいぜ。――何かに雁字搦めにされてる今よりはな」


 ひやりと臓腑を撫でられたような気持ち悪さがある。許可もなくこちらを覗き込まれるというのは不快で、怖い。


「自由にあるがままに生きるのが、そんなに恐ろしいのか?」


 ミチルにも言われた。

『どうか自由であってくれ』と。

 けれどそれは、何もかも忘れてなかったことにして生を謳歌した先にあるものではない。


 確かにキミドリは人を害した。彼女を滅したことに後悔はない。

 巌乃斗はお礼を言ってくれたが、彼女の式神を奪ったのもまた事実だ。

 ――最期、あの食わず女房は抵抗しなかった。


 だから巫女候補として過ごしてきたことも、妖を殺してきたことも。

 わたくしは全てを背負っていく。どれだけ責められる立場か恨みをぶつけられる立場か分かっている。それでも死は選ばないし、這ってでもあの子が与えてくれた『自由』を目指して生きていく。


「恐ろしい、恐ろしくない、の話ではありません」


 高地湖にどう思われようが、こう答えるしかなかった。



「雁字搦めにされたまま生きていくのがわたくしの自由で特別です。それは生涯変わりませんわ」

「……つまんねえな」

「あなたにはそう思われていたいですわね。――できればずっと」



 コートに入れていたスマートフォンが微かに震える。取り出して着信画面を見るのと、電話をかけてきた相手が遠くからわたくしを呼ぶのは同時だった。


 振り向けば、長い髪を跳ねさせながら暦が笑って駆けて来る。彼の隣には尻尾を揺らしながら一緒に走る村雲がいた。


「みこっちゃん、仕事! 露払せんせがすぐ帰ってこいって!」


 電話に出る前に出会えたからか、スマートフォン越しではなく直接用件を伝えてくれる。

 わたくしは暦に手を上げて答えて高地湖に背を向けた。



 公園の遊歩道を歩くと、細かな砂利が擦れる音がする。それに交じって誰かの妖艶な笑い声が聞こえた気がした。


 湖の周りを彩る菖蒲が、風もないのに揺れている。

 柔らかな陽光を受けた葉は、ただただ美しかった。









 <縁は異なもの、味なもの 了>

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白撫子は散りはしない 坂巻 @nikuyakiniku1186

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