第26話 とある締結師の飛翔

「露原先生」


 縁側に腰かけスマートフォンを弄っていた狗彦は、慣れ親しんだ呼びかけに顔を上げた。やはり、というべきか庭にはすっきりした面持ちの教え子が立っている。戦いの名残はどこにも残っておらず、表面的には健康そうに見えた。


「もう平気なのか」

何が平気なのかは聞かなかった。狗彦が巌乃斗天莉に対して確認したいことは多すぎる。だから彼女が示したい態度に任せることにした。


「はい。そこそこ元気ですよ。というか心配されすぎた感じですかね、特に大きな怪我もないから、寝てれば回復しましたし」

 天莉は少し疲れたように笑う。


 狗彦たち露払家が最近町を騒がせていた妖を祓い、天莉が自身の式神に喰われたあの日から、5日が経過していた。

 天莉が倒れていた間に師走を迎え、年末へ向かう忙しなさは増している。

 新年への準備に明け暮れていればいいものを、陰陽寮の一部の者たちは今回の一件を厭味ったらしく批判した。狗彦と反りの合わない陰陽師に侮蔑の言葉を投げかけられもした。


「それよりもびっくりしたんですけど、私なんの罰も受けないんですね。……露払先生に気を遣わせちゃいましたか?」

「お前が罰を受ける必要なんかないだろ」

「……だって、契約した式神を制御しきれなかったし、一歩間違えればもっと多くの一般人を傷つけていた可能性もあるじゃないですか。というかすでに死人も――」

「あれは別の妖が欲を出した結果だ。襲いやすい状況にしたことと、実際に襲うかどうかは違う問題だろ」


 高地湖もそうだが、別に消失するほど妖たちは喰われていたわけではない。放置しておけば回復し、何事もなく生きていただろう。だが悪用するものに見つかってしまった。

 妖が妖を害すのはよくあることだが、被害が人間まで及べば黙ってはいられない。


「人を襲った妖は祓われた、人を害そうとした妖は滅された。それで終わってる。というかあの式神に関して言えば一番危なくて死にそうな目にあったのが契約していた術者だからな。痛い目に合ったんだからもういいだろ」


 罰、というなら事件の中心になった時点で天莉は既に受けている。優秀な式神を失ってしまったのも彼女にとっては自業自得の損失だ。


「……甘いですね」

「陰陽寮の一部のアホが身内以外に厳しいんだよ。見習い卒業後すぐに式神と敵対したり制御しきれなかったりして親に泣きついた奴もいるのに、こんな時だけ嬉々として出てきて責めやがって」


 師匠の悪態を弟子の締結師は困ったように聞いていた。

 陰陽寮は天莉に対して厳重注意のみでお咎めなしとしたが、それが気に入らない輩に嫌味でも言われたのだろう。

 ならば狗彦は天莉の側に立つだけだ。


「……ありがとうございます」


 苦いものが含まれていたが、狗彦の言葉を否定せず天莉はお礼を述べた。


「今日は、その……私の処遇のこと掛け合ってくれたんだろうな、って思ったので感謝を伝えに来たんです。露払先生も知ってると思いますけど、――私、締結師の仕事無期限でお休みするので」


 悲しむでもなく怒るでもなく、天莉は事実を淡々と口にした。



「……戻ってないのか」

「はい。あれから、妖の姿がさっぱり見えなくなっちゃって」



 巌乃斗天莉が目覚めてからの一番の変化がこれだった。


 締結師として当たり前のように妖と接していた彼女は、その存在すら認識できなくなっている。露払の家や陰陽寮の術者ですら原因はわからず、対処の仕様がなかった。

 何も見えないただの人であるのなら、こちらの世界に留まり続けることはできない。


「霊力も無くなったわけじゃなし、式神の契約もたぶん切れてないらしいですけど、どうしようもないですからね……変に未練が残っちゃいそうだからこの家に来るのもこれで最後にします」

「そうか」

「病院で右夜と櫛笥さんには助けてくれたお礼は伝えたので、私の事情は露払先生から話してもらってもいいですか? ……あの2人には上手く説明できる気がしなくて」


 何かに耐えるように、彼女は俯く。


「では、今までお世話になりました」

「天莉」


 くるりと後ろを向いて歩き出そうとした弟子に、狗彦は思わず声をかけていた。こちらを顧みないまま彼女の足が止まる。平静を装っていたがもう限界だったらしい。


「分かんないこととか、聞きたいことばっかりなんです」


 堰を切ったように思いの丈が溢れ出る。


「どうしてあんなことしたの、とか。ずっと食ってやろうと思って傍にいたの、とか。でも思い出すキミドリは言葉はきついけど優しい所もあって、最後だってもしかしたら死んでたかもしれなのに私を庇って……結果だけ見れば祓われて当然だから櫛笥さんにも右夜にもすっごく感謝してるんです。だけど」


 おそらくこれは誰にも言えない天莉の悲しみだった。


「もう、会えないの。お別れも言えなかった。私が、私がもっとしっかりしてれば、甘い考えなんて捨ててもっと――」

「今更あの食わず女房が何を考えていたか知らないが」


 寒空に息を吐き出す様に、狗彦はゆっくりと弟子に言葉を紡ぐ。


「お前が喰われた時、それを見ていた下級の妖が必死になって俺の所に来た。昔視界を曇らせて迷惑をかけた上に、先日死にかけていたのを助けられたのに、何も返せていないと身体を構成する妖力まで削りながら俺を呼びに来た。そいつの知らせがなかったら、あんなに早く現場には着けなかっただろうな」


 天莉は大きな怪我もなく寝ていれば治ったというが、狗彦が駆け付けた時彼女は霊力が空で生命力もかなり弱っていた。治療がすぐにできたおかげで何ともないが、時間がもっと経っていればどうなっていたかわからない。


「今までの自分のやり方を内省するのは勝手だが、お前の甘さに感謝している奴がいて、そのおかげで助かったことも覚えておいた方がいい」

「は、い」


 表情は窺えなかったが、天莉の声音は微かに震えていた。

 そのまま真っすぐ、彼女は玄関の方へと去って行く。今度こそ狗彦は呼び止めることはなく、天莉も立ち止まることはなかった。




 師匠と弟子が最後に話をしている間、塀の上でやりとりを見守っていた妖が大きく羽根を広げる。狗彦だけが認識していた妖は、鳶のような姿をした天莉の式神だった。その頭には黒い靄が毛玉になったような妖がちょこんと居座っていた。


 高く高く、澄み渡った冬空へと式神は舞い上がる。

 妖たちが飛翔していく様を狗彦は黙って見送った。

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