第20話 手繰り寄せる脅威
露払本家、すなわち狗彦の実家書庫にて。
古びた書物に囲まれながら、一角の古いデスクトップPCの前で狗彦はこの土地に住まう妖の一覧を目で追っていた。
情報共有やデータベースは数年前にスマートフォン用のアプリへと移行されたが、その際引き継ぐ内容はブラッシュアップされ使用頻度の低いものは削除されている。だが今までの記録を全て消したわけではなく、調べようと思えばこうして書物や機械に残っていた。
「どうですか? 何かわかりそうです?」
この部屋の使用許可をとってきてくれた若い男が、本棚の間から狗彦に向かって呼びかける。彼は先日の廃屋でサラリーマンが死んでいた件で、現地を案内してくれた締結師だった。
「ちょっとこっち来てくれ」
狗彦は自身のスマートフォンを取り出し、アプリで今し方見つけたとある妖を検索にかける。直近の目撃情報や事件などの検索結果はゼロだった。
「なんですかこの妖『まなこ吸い(仮)』?」
「俺も今知った。小動物の眼を眩ませる下級妖として20年前の記録が残ってた。人に手を出せるような妖でもなく、とりあえずの害はないということで放置されてるな。眼関係の妖なら1番怪しくないか?」
「まさか、こいつですか」
若手締結師の顔が思わず強張る。狗彦が発見した妖は、もしかすると今夜の作戦の運命を左右するかもしれない情報だった。
術者にとって日々の事件は多々あれど、露払本家に属する締結師たちにはここ1か月ほど気がかりとなっていることがある。
始まりは駅近くの空き家で発見された男の死体。狗彦から指示を受けて調査したところさらに1か月前に女の不審な死亡事件があったらしい。状況的に自殺なのは間違いないのだが、彼女は死後眼球を何者かに奪われていた。
そして数日前の河童だ。人へと被害が出る前に倒したが、発見者の証言によると死体たちと同じく河童に目はなく、黒い根のようなものを伸ばしてきたとのこと。
いずれの3件も原因と思われる妖たちは祓われるか滅されるかしている。だが明らかに本性から変容しており、裏で何らかの影響を受けていると考えられていた。
凶暴化させるきっかけを作った存在の捜索が今夜の主な目的で、対応する締結師たちで祓える妖であればそのまま対応する予定だそうだ。
「夜行く調査範囲の地図、見せてくれ」
狗彦は差し出されたタブレットの画面をピンチインして見える部分を広げる。地図には廃屋の男性の遺体が発見された場所と女性の遺体が発見された場所に印が付けられていた。
「で、まなこ吸いの目撃情報があるのがここだ」
画面の地図上に印を追加する。
「近くじゃないですか!」
「そうだな関係あるかもな……なんで2か所しかマーカーついてないんだ。河童は?」
「発見場所が前の事件2つとは離れた場所だったので、別の締結師たちが探査することになってます」
「……まあそっちの可能性がゼロとは言わないが」
締結師の男のタブレットをタップし、狗彦は一つの場所を指し示した。
「主と呼ばれる土地の名前まで得てしまった妖は、本来自分自身でもあるその場所から動けないわけだが、この河童はそうじゃないよな」
「水辺か水分のあるところですよね、生息範囲」
「そうだ。あの日は雨だった、だから寝床からあんなところまで歩いて行った」
水色で色付けされた太い線。町の中心を流れる大きな川。
それは天莉の大学近くにある、河童が元々目撃されている場所だった。狗彦はそこにも印を付け、合計4か所のマーカーを囲う様に指先でぐるりと線を引く。
「ほらこれで探す場所狭くなって楽になっただろ」
「……あ、ありがとうございます」
今夜駆り出される締結師たちは忙しく、こういった作戦は実行前の夕方に済ませるつもりらしい。これぐらい気が付く術師はたくさんいるだろうが、事前に短縮してやろうという狗彦なりのおせっかいだ。
「でも狗彦さん、どうして急に協力してくれる気になったんですか。そっちでどうにかしろって言ってたのに」
「別にどうだっていいだろ――ところで今回の相手、格的にはどう見てんだ?」
「そうですね、隊長や師匠なんかは中級天以上だと考えてるみたいです。狗彦さんを襲ってきたのも中級だったんですよね、ですからそれより上で」
「普通ならそうだよな……でもこのまなこ吸い下級なんだよな。もし今回の事件に関係あるなら相当格が上がってる。まあ俺の予想が外れてるならそもそも関係ねえけど」
下級を三段階に分けたその最も下の底、だ。力の差異が少なければ下位の妖でも上を喰らうことはあるが、今回は差がありすぎる。
もし底辺にいるものがその力のまま上を喰らうなら――運が絡むが方法がないわけではない。
「ただ虱潰しに調べるよりも、おびき寄せた方がいいか」
「まさか私たちの式神を……!?」
嫌な予感がしたのか、締結師の男は身を引く。
「いやいや、そうじゃない」
狗彦はにまりと意地の悪い笑みを浮かべた。
「ちょうど協力してくれそうな妖に心当たりがある」
◆ ◆ ◆ ◆
もう11月も終わる、というそんな時分。
わたくしが住んでいた田舎よりずっと都会のこちらでは、様々な店にカラフルな電飾が増え、葉も消えた木々たちも彩られとても華やかだった。町を歩く人々は年末に向けて忙しなく日々を過ごしている。
きっとこのまま冬を越して春を迎えられると信じている、普段通りの晩秋。
けれど、術者たちの世界は秘かに脅威を抱えていた。
「特に新しい情報は、……ありませんわね」
露払に与えられたスマートフォンの画面をタップし、何も通知が無いことを確認する。緊急の呼び出しも、唐突な異常事態の報告もない。
どうしてこんなことを気にしているかというと、最近頻発している妖の凶暴化の事件のせいだ。
わたくしは河童の件で当事者になってしまったが、似たようなことが前にもありそちらは人の被害が出ているらしい。この地域に住む術師たちは注意するように、と露払本家と陰陽寮の支部からも知らせがあった。近く熟練の締結師も招集して、一帯の探査もすると聞いている。
とりあえず何もないのなら、新人に分類されるわたくしはいつもの日常を送るしかない。
午前中は自室で祭具の手入れと露払から借りた本を読んで過ごし、午後陰陽寮から受けていた見回りの依頼を1件片付けた。そこに露払から仕事終わりに来てほしいと連絡がくる。特に断る理由もなかったので村雲と共にすぐに向かったのだが。
やって来たいつもの露払家で、わたくしは巌乃斗天莉と遭遇した。
「あ、櫛笥さんだ!」
柔和な笑みを浮かべた彼女は、ちょうど家から出て行くところだった。巌乃斗は今から陰陽寮依頼の仕事へ出かけるらしく、わたくしはそのことに内心ほっとしてしまう。
本音を言うと少し気まずい。
【陽炎う。いつまでだらだらしてるのお。早く行きましょう】
甘く痺れるような声音を落とし、彼女の式神キミドリが上から突然現れる。そのまま首筋の辺りに抱き着き、巌乃斗に引き離されていた。
「はいはーい。もう行きますわかりましたー。あ、露払先生なら縁側にいるからね」
「ありがとうございます。お気をつけていってらっしゃいませ」
「うんいってきます」
夕焼けを背景に巌乃斗は手を振り、キミドリと一緒に去って行く。
彼女には、色々と必要のない気遣いをされてしまった。
心配をかけまいと思っていたのに、優しく諭されてしまった。
それが恥ずかしくて、申し訳なくて、自分などまだまだだと思い知らされる。わたくしは何も語ってはいないのに、巌乃斗は過去を話してまず己から弱さを見せてくれた。
嬉しい、とも――怖い、とも思う。
初めのうちはよくても、わたくしの内面を吐き出し過ぎて――はたして本当に受け入れてくれるだろうか。
考えても仕方のないことをうだうだと思考しながら庭へと回り込むと、作務衣ではなく仕事着のスーツ姿で露払は縁側に座っていた。
セーラー服とジャケットを羽織った暦も隣でスマートフォンをいじっている。
用件を聞こうと挨拶もそこそこに本題へ移ろうとして、露払はとんでもないことを言いだした。
「櫛笥、式神契約とか興味ないか?」
「え?」
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