第19話 生きてきた道

「どうして、その話をわたくしに?」


 妖退治の完了報告をスマートフォンで済ました後。

 大学近くのおしゃれなボタニカルカフェで、天莉はこれまでの自身と露払狗彦の出会いを語り終えた。

 黙って聞いていたみことは、特に表情を動かすことはない。

 天莉は口を開く前に、蜂蜜を入れたコーヒーをゆっくりかき混ぜた。茶色い闇に独特の甘ったるさが優しく溶けていく。


「櫛笥さんに、露払先生とか私たちのこともうちょっと信じてほしいなって思って」

「信用していないように見えますか」


 食事の時に顔を覗かせるみことの少女らしさは消えていた。彼女は何かを警戒し対応できるよう構えている。


「うーん、根っこの部分は? 私たちの能力は信頼してるんだろうけど、信用はしていないっていうか」

「けれど、人とは概ねそういうものではないでしょうか。全ての本音を晒し、社会で生きている大人はいないのでは?」

「そうですけどねぇ」


 みことの頑なさに、どうしたものかと天莉は頭を悩ませる。


 元々今日の任務は、狗彦に様子を見てやってくれと裏で頼まれ天莉は参加していた。本当は狗彦が手伝おうとしていたらしいのだが、みことは必要ないとばっさり断ったらしい。

 弟弟子の右夜からも、雨の日の事件の話を直接聞いた。迷いなく走り出し、躊躇なくその身を差し出す行動力。


 意欲的で献身的な良い術者、と片付けるのは簡単だ。

 ――だが天莉にはみことの有様は危なっかしく思えた。


 彼女には複雑な事情があるんだろう。

 親の話は聞いたことがないし、友人と連絡を取り合う様子もない。

 与えられたアパートでひとり住んでいる高校生ぐらいの女の子。


 そんなみことにはこれまでの破邪師としてのやり方が有り、全てが彼女の中で完結している。それを間違っていると否定する気はない。けれど。


 天莉は小さなガラスのピッチャーを傾けてコーヒーにさらに蜂蜜を追加する。花と植物ばかりの可愛らしい空間なのに、状況に甘さが足りていない。


「櫛笥さんにも色々あるんだろうけど、もうちょっと気を抜いてくれていいっていうか。力を抜いてほしいというか」


 みことが先程言ったように、どんなに親しくても晒す本音は選択するし、見せる部分も理性で制御する。多くの人がそうだろう。

 だが全くの他人と違って、その範囲は信用している人間ほど広くなる。そういう人物が多いほど生きていく上で呼吸が楽になる。


 天莉はみことに全てさらけ出してほしいわけではなく、ただ許してくれる心の範囲を少し広げてほしいだけなのだ。


「あなたの事情を全て話してほしいわけでもないし、私たちを無条件で信用して欲しいわけでもない。ただ、妖関係でも日常生活でも、言ってもいいかなって思ったことは話してほしいかな。……私も聞いて欲しいことは話すと思うから」


 みこととは短い付き合いだが、それでも彼女の善良さを天莉は十分感じている。

 だからこそ、安心して背中を預けて欲しいのだ。彼女の今までの生き方に、誰かに任せるという選択肢を付け加えてほしい。


 自分よりも年下の少女に、上手く伝えられた気が天莉にはしなかった。

 狗彦ならもっと巧みに語れただろうか、と想像して彼は意図的に黙っているかもしれないな、と天莉は思い直す。初対面では天莉に対して分かりやすく優しかった狗彦だが、付き合いが長くなってあれはかなり珍しい態度だったと学んだ。狗彦は優しいけれど、それを覆う様にめんどくさがりだし突拍子もないことを言って無茶ぶりもする、そんな人だ。


「巌乃斗さん」

 天井から吊るされたドライフラワーの飾りを背景にして、みことが飲んでいたハーブティーをソーサーに戻す。一連の動きと瞬間の情景は、とてもSNSで映えそうな優美さだった。


「わたくしは、露払さんにも暦さんにも、もちろん巌乃斗さんにもとても感謝しています。そして頂戴した親切に見合ったものが返せるように努めています。ですから巌乃斗さんが、そういった態度を望むというのなら……善処致しますわ」




 ボタニカルカフェの入り口でみことと別れた。

 彼女の後ろ姿を見送っていると、隣に背の高い男がするりと現れる。何やら少し話をして2人は共に歩いていく。


【大丈夫、あの妖狐よお。迎えに来たのね】


 天莉の疑問に答えたのは、式神のキミドリだった。人の女の姿をした妖は、呼ばなくてもこうして突然やって来る。


「そっか。ならいいや。キミドリも迎えに来てくれたの?」

【そんなわけないでしょ。都合よく考えられる頭してるのね】


 借りているマンションへ帰ろうと歩き出した天莉に付き従う様に、悪態をつきながらも彼女はついてきた。

 ふわりふわりと夜の町にキミドリの髪が舞っている。天莉と2人でいる時は割と口の悪い妖なのだが、ついつい彼女の月光に愛されたような美しさに見とれて言い返すのを止めてしまう。結局遠慮のない妖の性はどうしようもない、と天莉は諦めている。自然現象に怒る無意味さ、とでも言えばいのだろうか。


【すぐ他の妖に隙を見せるし、人間だって信用しすぎるし、ほんとしっかりしなさいよ】

「あ、ちょっと後にしてキミドリ」

【あーー話を聞かない子ねえ!】


 だからキミドリには、こちらも遠慮しないと天莉は決めていた。


 式神の不満を背に天莉は交差点近くにあった美容院と隣のビルに挟まれるようにある小道を覗き込む。光が差さず風通しの悪いそこは道というより隙間だった。誰も興味を持たないであろう場所だが、天莉は確かに誰かの声を聴いたのだ。


 目を凝らして見つけたのは、ビルに沿う様にへばり付いたひしゃげた影だった。ぐずぐずと形は崩れ、まるで投げ捨てられたゴミのようだ。天莉には壊れかけの影が、下級の妖であることに気が付いた。しかも死にかけだ。


『どうかしましたか? 話せますか?』

【……】


 締結師の力を込めた声にも答えない。人に関わりたくないのか反応を返せないほどの重症なのか、すぐに判断は難しい。天莉はコートのポケットから赤く透明なビーズが入った小瓶を取り出した。


『私の簡易契約用の祭具です。霊力が込められているので身体の修復に使ってください。あ、契約は別にしなくていいです。私が勝手に渡すだけだから』


 瓶から取り出した一粒を妖の上にぽとりと落とす。赤く小さな輝きは拒否されることなく、ずぶずぶと影の塊に吸い込まれていった。


『ではお元気で』


 ちょうど近くの信号が青になった。小道を離れ、横断歩道を渡って何事もなかったかのように天莉は帰路に戻る。隣に並んできたキミドリの美しい顔は怒りと不服に染まっていた。


【あまり優しくし過ぎるのは良くないと思うわ】

「なあに? 櫛笥さんのこと?」

【違うわよ! あの破邪師のお嬢さんは、陽炎に害はないでしょうから好きにしたらいいわ。そうじゃなくて、今の下級の妖を助ける理由なんかなかったでしょう?】

「見捨てる理由もなかったよね?」

【あったわ】


 淀みなく会話を続けながら、舗装された道を人と妖が歩く。異なる2人に車道を走る車のヘッドライトが何度も当たり通り過ぎていく。11月終わりの冷え切った空気の中で、天莉とキミドリのやりとりに構うものはいなかった。


【危険な奴だったらどうするの。回復したら襲ってきたかもしれないのよ?】

「でも術者にやられた傷じゃなかったから、祓われてる途中で逃げてきたわけじゃないよ。下級だし、縄張り争いで他の妖にやられちゃったんじゃないかな?」

【ならあいつの自業自得よ。放っておけばよかったのに】


 キミドリの普段の蠱惑的な態度は鳴りを潜め、険のあるものに変化している。

 怒りを向けられている、と理解していても天莉は理由を察し頬を緩ませた。


「ねえキミドリ――心配してくれてありがとね」

【してないけど。頭腐ってるの?】


 棘を凍らせたような返答だったが、天莉はただ笑うだけだった。

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