第14話 夜半の不穏

 みことたちが家主の帰りを待つ、数時間前の出来事。


「ひでぇな」


 漂うのは血と残虐の香り。

 状況のあまりの醜悪さに、露払狗彦は顔をしかめた。



 そこは狗彦の家から車で1時間ほどの、隣町の空き家だった。周りは飲食店や人通りも多い場所で、少し歩けばそこそこ大きな駅もある。空き家はこの土地の繁栄に取り残されたと言いたげに、道の片隅にひっそりと建っていた。2階建ての正面から見れば少し細長い物件だ。

 露払家からやってきた締結師の若い男が、写真を渡しながら今更すぎる情報を伝えてきた。


「警察の初動捜査では、足跡などの痕跡も被害者のものしかなく、目撃情報も収穫なしだそうです……治安がすごくいいってわけじゃないですけどこの辺り妖の問題ごとは起こったことがなくてこちらに頼むという発想がすぐに出てこなかったみたいですね」


 狗彦は臨場直後に撮影された数枚の写真を、実際の位置に合わせるように視界に置く。空き家の一室は薄汚れた畳にどす黒い血の跡が残るのみであったが、生々しさは十分感じられた。

 写真は、凄惨の一言に尽きた。

 サラリーマンらしき男が仰向けで倒れている。相貌にはあるべきはずの目玉がなく、眼窩には空洞しか存在しない。歪んだ顔は彼の死に際の苦痛を雄弁に語っていた。


 急ぎの仕事だと実家から連絡があり、最近媚びを売っていなかったと手伝いにやってくればこの有様だ。


「当初は通常通り捜査してたんですけど、もしかすると妖がらみもって本日警察内部の者から、露払に連絡がありまして……現状すぐに派遣できる締結師がいなくてですねぇ」

「はいはい。それで『暇な』俺なわけか」

 人に被害が出ている。もし妖の仕業なら危険度が高いこの件は対応できるものに任せたかったのだろう。ならば早めに決着をつけようと、狗彦は右手の指先を軽く前へ突き出した。

 必要なのは土地を知るもの、状況を知るもの、人への害意がないものだ。


『締め結ぶ』


 簡易契約のための文言を適当に端折り、右手の中指の辺りに霊力を集めた。仕事中に使える霊力を多く確保するため事前に報酬用の祭具を用意する締結師もいるが、狗彦にとって簡易契約で減る霊力など微々たるものだ。よってその場で直接渡している。


 ふわりと空中の指先に止まるように現れたのは紫の翅を持つ蝶に似た妖だった。先程この建物に入る前に見かけた光を好む個体のようだ。


『おう。ありがとな』


 求めていた情報を得ると、狗彦は家屋の奥へと走り出す。古く腐りかけの廊下は足を置く度軋み埃を舞い上げた。その突然の行動についていけないのは、共にいた若い締結師の男だ。


「ちょっと、狗彦さん!?」


 返事を返すこともなく狗彦は2階へと駆け上がる。傷んだ廊下の先、襖も障子も何もかも外された和室の奥に目的のものはあった。


 ひび割れた土壁の隙間。

 そこから滲み出るようにぶよぶよとした巨大なナメクジらしき妖が蠢いている。


『なんだ、気配は消してたのに姿を隠す気はねぇのかよ……対話は』


 狗彦の思念を打ち切るように壁に走る亀裂から根に似た何かが伸びてくる。先の尖ったそれは明らかに彼の頭を狙っていた。


「する気ねぇのな」


 言うが早いか、狗彦の左腕がこの場の闇よりも深く毒々しい黒へと転じる。肘から先が獣に近い形状へと変化し、一足飛びに垂直に張り付いた妖を切り裂いた。絶叫させる暇など与えず粘着質な妖の身体が弾けるように消える。わずか数秒の出来事だった。

 原因である妖を殺した直後、息を切らしながら締結師の男がやって来る。


「はあ、はあ、い、狗彦さん!? 何ですかいきなり? こんな下級がいない場所で中級以上と簡易契約あっさりやるし、かと思ったら急に走り出すし、実力者って聞いてたけど意味わかんな――」

「終わったぞ」

「は?」


 眼球をえぐり取って、人に仇なしていた妖は始末した。断片に至るまでこの世に存在しないことを確認し、狗彦は追って来た締結師を振り返る。先刻妖を屠った左腕はすでに元の人間のものに戻っていた。


「終わった? ……契約してる式神とか呼びました?」

「ああ呼んだ呼んだ、もう帰ったよ。今回の事件の妖は処分した。この近辺で今後事件は起きないだろうが、調べて欲しいことがある」

「え、はい」


 もちろん式神は呼んでいないし、呼んでいないものを帰してはいない。だが、出会ったばかりの若い締結師に事情を話すのはめんどうだったので、そういうことにしておく。

 それよりも、簡易契約を結んだ蝶型の妖から狗彦は気になることを聞いていた。


「直近の自殺や犯人が逮捕されてる事件も含めて、死人の身体が欠損してる案件を集めてくれ。範囲は露払が管轄してるところだけでいい。もし可能なら陰陽寮にも頼った方がいが、まぁあんたらの所の状況見てからでいいや」

「それは今回の事件に関係あるんですか。もう、終わったんですよね?」


 露払の中では今後の流れはできているが、現地案内役の締結師にはまだ説明がいるようだ。いつも右夜たちに教える感覚で一度階下の現場へと戻る。


「簡易契約した妖から聞いたところによると、2階に巣くっていた妖は湿気と退廃を好み、この片隅で僅かな生気と芥を食べながら生きていた温厚な奴らしい。ところが突然人間を招いて襲った。変容していき徐々に人を害するようになったのではなく、いきなりだ」


 あまりに残酷すぎる殺し方。胃が痛むような仕事は、狗彦にとって久方ぶりだ。


「思念を通してなんとか話そうとしたが、ダメだった。あいつは中級レベルだったし、締結師なら契約していなくても意思疎通はできたはずだ」

「簡単に言ってくれますね」

 尊敬と呆れの交じった相槌を、狗彦は無視した。


「簡易契約した妖はこの辺りに数年いて、人を避けたくなった時の逃げ場としてこの家には何度か訪れていたらしい。2階にいてさっき俺が始末した妖は、他の妖が家にやってくるのを許容していた。妖同士なら話せていたんだ。それが数日関わっていない間に、バカな下級並みに知能が低下。近寄りたくもなかった、だとよ」


 蝶のような可憐な外見に似合わずなかなか辛辣だった妖の言葉を、狗彦は繰り返す。


「長年の鬱積したものが突如として表出し、妖が変じることがないわけではない。だが変化には段階がある。今回の残虐性が急に生じたものなら、何らかの外的要因を疑ったほうがいい。俺みたいな荒事担当じゃなくて、もっと探査とか得意な術師呼んでここら一帯調べた方がいいぞ」


 伝えるべきことは大体終わった。今回の事件が妖の仕業かの判断、可能ならば殲滅という仕事は終えた。後は露払本家に投げてしまった方がいい。


「結果次第じゃ、もしかすると同様の事件があるかもな」

「そうなった場合は、狗彦さんに?」

「なんでだよ、そっちでどうにかしろよ」


 今回は対応できる人員がいない故の要請だったはずだ。今後の処理については、露払家でなんとかすればいい。それに狗彦の懸念が何一つとして当たらない可能性もある。


 締結師の男の返事を待たずに、狗彦は血なまぐさい家屋に背を向ける。これで終わればいいと、無意味にも祈りながら。

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