第13話 食後の食わず女房

 夕食を終え片付けも済ます頃には、すっかり日は暮れていた。

 露払が出て何時間も経つが、彼はまだ戻ってこない。1人なのは慣れていると暦は笑っていたが、わたくしとおそらく巌乃斗もなんとなく帰る気になれずそのまま居間でのんびりと過ごしていた。

 ふと気配を感じて正座していた身体をずらし、縁側に通じるガラス戸を引く。

 闇夜の庭をとん、と蹴って屋内に駆け上がって来たのは村雲だった。


「みことさま!」

「おかえりなさい、村雲」

「長くお傍を離れてしまい、申し訳ありませぬ」

「わたくしはあなたの主ではありませんし、気にする必要はありませんわ」

 村雲はわたくしの腰の辺りに額を擦り付けて目を細める。

 以前のように思わず撫でそうになって、――そっと手を降ろした。


「あの、あの櫛笥さん?」

 巌乃斗が眼をきらきらさせ、銀灰の妖狐を見つめている。

「前にも聞いたけど、村雲さんって櫛笥さんの式神ではないんだよね?」

「ええ」

 以前名乗ってもらった際に、村雲と巌乃斗は挨拶を済ませている。学校での出会いも数えれば彼らが出会うのはこれで3度目だ。


「すごく仲いいよねぇ」

「彼の主とは知り合いでしたし、付き合いは長いですから」

「そっか、そっかあ。あのね、櫛笥さんと村雲さんが嫌じゃなければなんだけど……えーとぉ」

「村雲、で構いませぬ。陽炎さま」

 彼女の式神に気を遣って村雲は巌乃斗を仮名で呼ぶ。それに軽く頷き手をさ迷わせながら、何かを躊躇っていた彼女はようやく口を開いた。


「じゃあ村雲。あの……撫でてもいいですか?」

「ほんま動物系好きやなぁ天莉ちゃん」


 暦は呆れているようだが、巌乃斗の気持ちはとてもよくわかる。村雲は非常に愛らしいし、可愛がりたくなるのも無理はない。嫌がる性格でないことも知っていたので、後は彼次第だろう。


「村雲が許可するのであれば、わたくしが口を出すことではありませんわ」

「はぁ、拙者は別に構いませぬが」

「ありがとうございます!」

 では、と巌乃斗がゆっくり村雲に手を伸ばしたその時だった。



【他の妖にばっかり触って、アタシのことは全然撫でてくれないじゃない】



 突如として、わたくしたちしかいなかった部屋に人影が追加される。


 緑、としか言いようがなかった。

 人間ではありえない輝くような薄緑の長すぎる髪、引きずるような長い着物。艶めかしい手をするりと這わせ、何者かは巌乃斗に抱き着いている。

 妖特有の声はやけに蠱惑的で心を揺らす濃厚さだった。人外特有の美を内包した、人の女の形をした妖。


「キミドリ」

【はあい。ねぇ陽炎、妖狐じゃなくてアタシを構う気になったあ?】


 急にやって来た妖に動じることもなく、巌乃斗はキミドリと呼んだ妖をべりっと引き剥がしている。


「普段はもっと辛辣なのに、私が他の妖と話す時だけどうしてそんな態度なの」

【なんのことかしらあ?】


 距離を置かれた薄緑の妖はくすくすと色気を乗せて笑う。巌乃斗から離れて彼女の服装がようやくはっきりしたが、着物の衿ははだけられ大きな胸が今にも零れそうだった。


「……櫛笥さん紹介するね。私の契約してる式神のキミドリ」

【キミドリよお。人の子の学び舎で会った以来ね、破邪師のお嬢さん】

「あなたが、高校での視線の正体でしたか」

【そうよ。姿は現してないけど、ずっと見てたわよ。あなたたちのこと】


 巌乃斗たちと初めて会った護衛任務での、あの纏わり付くような視線がぶり返す。村雲の幻術を破った強い妖がいると踏んでいたが彼女だったようだ。


【アタシの陽炎と仲良くしてあげてね。あんまり親密になりすぎたら許さないけど】

「……キミドリ、誰かの前だと独占欲を出すのやめてね」

【だって陽炎がアタシ以外と関係を深めるのは嫌なんだもの】

「はいはい、それでどうしたの? 呼んでもないのに来るぐらいだから用事あるんですよね?」


 巌乃斗と式神のキミドリは随分と親しいようだ。べったりと腕に縋り付こうとするキミドリを、慣れた様子で彼女の主は振り払っている。けれど巌乃斗から完全な拒絶は感じず、雑な対応もキミドリは是として受け入れている。


【ベニヒに頼んで帰りましょう。あの男が帰って来るから月華はもう大丈夫よお】

「あ、露払せんせ?」


 あの男、で気が付いた暦が手にしたスマートフォンを片付け床に投げ捨ててあったノートを広げ始めた。急いで勉強している風を取り繕っているようだ。

「じゃあ挨拶だけして帰ろうか」

 荷物を持って立ち上がった巌乃斗に、キミドリはかぶりを振った。




「おかえりなさいませ。露払さん」

「おかえりー」

「おうただいま」

 いつものように庭から帰宅した露払を、わたくしたちは居間で出迎える。眼を宿題に向けたままの暦は、勉強に集中しているふりをして挨拶していた。


「天莉は?」

「巌乃斗さんならキミドリさんが迎えに来て先ほどお帰りになられました」

「ああー、キミドリが嫌がったのか」

「嫌がる?」


 部屋着の作務衣ではなく、着崩したスーツ姿の露払は億劫そうにネクタイを緩めている。


「前に俺の家で飯食った時に、キミドリが信じられないぐらい米を食ってな……天莉が止めたけど聞かなかったから、俺が怒った」

「やっぱケチな男は嫌なんちゃう?」

「いや、あの量はおかしいだろ」

「妖が、人の食事をそんなに?」


 妖によって食らうものは様々で、人の食事がなければ生きていけないというわけではない。村雲も腹を膨らますためではなく単なる嗜好としてチョコレートを食べている。人で言う所の趣味に近い。

 主の命令を式神は必ずしも聞くわけではないが、生死に影響しない人の食事をやめなかった、というのは相当だ。

「あ、そっか。みこっちゃんは知らへんかったっけ」

 暦が教えてくれたキミドリの本質はわたくしも良く知る名だった。


「キミドリって『食わず女房』やから」

 ――巨大な口と追われる男の絵を思い出す。


「名有りの妖だったのですね。でしたらお米に執着するのも理解できます」

「やっぱ知ってるよな。破邪師の書物で見たん?」

「いえ、幼少の頃絵本で」

「うちと一緒やな。やっぱ昔話感強い妖よな」


 食わず女房、という妖がいる。

 とある村にとてもケチな男がいて、結婚相手にも働きもので飯を食べない女を求めた。そんな男の元に美しい女がやって来て条件を満たすから結婚して欲しいと言い、男はそれを承諾する。女房となった女はよく働き飯を全く食べなかったが、いつからか家の米がどこかに消えてしまうようになり男は不審に思うようになる。ある日男は仕事に行くふりをして女房を観察していると、なんと女房は大量の米を炊きおむすびを作り、髪で隠していた頭にある巨大な口でそれらを瞬く間に食べだしたのだ。


 そう、男の前に現れたのは人間の女に化けた妖だった、という話。


 驚いた男は逃げ出し、気が付かれた女房は本性を晒して追いかける。道中、男は菖蒲しょうぶの葉が生えた場所に逃げ込み、菖蒲の匂いと剣のような鋭さを嫌がった妖を追い払うことに成功した。この話から端午の節句に菖蒲を飾るのは、魔除けのためだと言われている。

 むかしむかしの、妖と人との距離がまだ近かった頃の話だ。


「キミドリってぱっと見は美人やけど、妖食いちぎる姿はむっちゃ怖いからな」

「結界や監視だけではなく、戦闘も優れている方なのですね」

 キミドリが巌乃斗の式神だから平和でいられるが、仮に破邪師の仕事で敵対するような妖がそんな能力持ちだったらと考えると強敵すぎる。


「それで?」

 いつのまにか座布団を折りたたんで寝転がっていた露払を暦が不思議そうに振り返る。

「ごはん食べへんの? 天莉ちゃんのお手製ハンバーグあるけど」

「わたくしが温めてきましょうか?」

「あとでいい。櫛笥は妖狐連れて気を付けて帰れ」


 スーツが皺になるのも頓着せず、ネクタイを畳に投げる。露払の様子はあからさまに疲れ切っていた。原因はどう考えても緊急で呼ばれたという仕事だろう。


「なんかあった?」

「色々とな」

 多くを語ろうとしない露払の返事に、わたくしは言い表せない不安を抱いていた。

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