第11話 特別への問い
「なぜその姿なのですか」
本性は取り戻したはずだが、高地湖はどこにでもいるような少年の姿のままだ。
確か音無という男子生徒の容姿を借りたと聞いている。
「元の姿だと目立つからな。どうせ公園から出ないんだからいいだろ? こいつの恰好が一番馴染むんだよ」
「目立ったとしても、普通の方には見えないでしょうに」
「あんたに配慮してんだぜ。ひとりでブツブツ喋って不審者扱いされたくねえだろ。櫛笥みこと――なあ、最初の質問にまだ答えてないぜ」
違う。
人と同じ外見をしているが、高地湖の瞳の奥底は何もない。露払は人間社会に毒されていると評していたが、わたくしはそんな風には思えない。
水底まで見せる気のない濁った眼がこちらの姿を映す。
「陰陽師になるつもりはありません。術者として生きていくために、少しでも知識が欲しいだけですわ。こちらからも質問です、どこでわたくしの名前を?」
「知り合いから聞いた。破邪師の櫛笥みこと、大須賀家からの脱走者。いいねぇ、縛り付けられた土地から解放されるってどんな気分だ? さぞかし自由を謳歌してるんだろう?」
「まさか」
彼への答えを探しながら、わたくしの名前と正体を漏らした犯人へと思考を巡らす。繋がりと言えば露払だが、あの気安さと親しさなら話してしまっただろうか。高地湖とはどこまで信用できる妖だろうか。
村雲とは違う瞳の淀みにどうしても壁を作ってしまう。音無という少年の人格は写したといっていた。だからなのか、あの時と同じ見た目なのに気安さは一切感じられなない。
「今のわたくしは自由を探るために努力している段階、でしょうか」
「つまんねえ!」
吐き捨てるように言うと、両腕を広げて彼はベンチにもたれ掛かる。その動きに合わせてわたくしは高地湖から少し距離を取った。
「はあ、なんだよ。その程度かよ櫛笥みこと! クソ実家捨ててやったぜ最高! ぐらい言ってみろよ。真面目いい子ちゃんの回答とか期待してないんだよ。もっと特別感出せ!」
「……特別?」
「ああ、特別! オレはそうなりてえんだよ、誰だってそうだし、あんただってそうだろう」
彼の言葉は荒く、勢いがあり、決めつけている。高地湖は自身の短い黒髪を腹立たし気に乱した。わたくしは、どうやら彼に求められたものを満たせなかったらしい。
「そういう気分にはなれませんね、わたくしは様々な犠牲の上でここにいます。それを特別だなんて言葉で括りたくはありません」
そうなりたかったわけではない、という弱音はあの子の顔を思い出して打ち消した。
「つまんねえこと言うなよ櫛笥みこと。オレはあんたが特別になれるんじゃないかって期待してるんだぜ」
まだ出会って少しの妖に、一体何を期待されているというのか。あまりにも意味が分からないし理解が追い付かない。
そもそもどうして突然姿を現してわたくしにこんな話をしているのか。
露払からは害意は無いと聞いているが、本当だろうか。そっと本を入れていたトートバックの中へと手を伸ばす。鈴串はないが、護符ならある。
「……あの妖狐はどこにいる?」
「あなたの質問全てに答える必要がありますか」
村雲はわたくしの式神ではないし、四六時中一緒にいる必要はない。彼にはそう伝えていたので、ここ数日は離れていることが多かった。
いつかはお別れするのだし、ずっと頼ってもいられない。
けれど、この事情を高地湖に正直に話すのが正しいとは思えなかった。
「まぁ答えなくてもわかるぜ。どうせ、この辺りの強い妖連中に威嚇という名の挨拶してんだろ?」
「……」
村雲の性質を微塵も理解していない高地湖は腹立たしいが、我慢する。これ以上情報を与えたくない。驚きすぎて、初めに余計なことを喋り過ぎたぐらいだ。
「なんだよ、だんまりかよ。……あ」
彼の眼は、わたくしの左に置かれたトートバックを凝視していた。秘かに護符に力を込めようとして気が付かれたのかと焦ったが、そうではない。
彼はバック表面のプリントされたバラのイラストを見ていた。
「今日何曜日だよ?」
「え? ……日曜日ですが」
「おいおいおい、装填のメルヒェンツァウバーの配信日じゃん!!」
「は?」
「櫛笥みこと! スマホ持ってるか!?」
「いいえ。持っておりません」
「はあ!? 早く買えよ人間!」
情報を与えたくないと思った矢先に、思いもかけないことを聞かれ勢いに負けて答えてしまう。というか、明らかにこれまでの質問と趣が異なっている。
高地湖は慌てたようにベンチから立ち上がると、大股で湖へと近寄っていく。そして周りを囲む植物と木製の低い柵をあっさり乗り越えた。
ばしゃばしゃと水の中へ入ると、少年を模した身体が一瞬揺らぎ、圧倒的な質量が目前に現れた。
深緑のなだらかな皮膚に、数メートルはある体躯。小さい島のような胴体に大きな鰭が付いている。特徴的なのは長い首と意外と穏やかそうな黒の瞳だった。近いものを挙げるなら、昔図鑑で見た首長竜によく似ている。彼の巨躯は輪郭のあちこちが黒い霞のようなものに変化しており空間に混ざっていた。
【じゃあな櫛笥みこと。次にオレんとこ来るなら破邪師の気配もっと抑えられるようにしとけ! 他の妖どもが散っちまうからよ。くさいぜ、あんた】
「えっ」
妖特有の声でそれだけ言い捨て、高地湖は水中へと溶けるように消えていった。
わたくしは慌てて腕の匂いを確認しようとして、彼の言っている『くさい』が即物的なものではなく、妖の嫌がる破邪師の力なのだと数秒遅れて理解する。
村雲はミチルやわたくしを良い匂いと表現していたので、妖にも感じ方に差があるのだろうか。
自然公園の湖畔にて。
取り残されたのは静けさを纏う湖面と、先ほどまでの会話が未だに飲み込めないわたくしだけだった。
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