第10話 公園での一幕
露払の元へやって来て、数日。
得た知識と今までを比較して、わたくしはようやく『何も知らなかった』ということを知った。
破邪師として習得してきた内容はたしかに貴重でわたくしを今後も生かしていくに違いない。だが、あまりに技術が閉じられている。大須賀家での教えは、陰陽師や締結師などの見識や能力を取り込む気など皆無で(そもそも扱えないというのもあるけれど)、破邪の力を磨けば十分と思っている節がある。
破邪師とは、妖を滅し、八重の神へと全て捧げる術師なりけり。
ご先祖の残す過去をいかにして守っていくか、ということに心血を注いでいたが、わたくしはそうなるわけにはいかない。
露払家から徒歩数分にある自然公園の湖付近のベンチにて。手元の本と大須賀家でのあれこれを比較しながら、わたくしの今後を考える。
あの家でのことを思い返していたのは、露払から与えられた術者としての学びがあまりにも違っていたからだ。彼自身は締結師だが陰陽師の技術にもそこそこ詳しく、疑問に思ったことを口にすれば他の術者の話に派生していくこともある。
露払は締結師であることに捕らわれず、使えるものは使うべきとして生きている。
妖と携わる者としてそれが正しいのかは一考の余地がある。しかし、陰陽師となるべく育成されている子に渡すような専用の書をこうして簡単に渡してくる気軽さは、今のわたくしにはありがたかった。
以前気まぐれに作成したスイートピーの押し花のしおりを、読みかけのページに挟んで本を閉じる。
わたくしの腰かけるベンチの前には遊歩道を一本挟んで、細長く緑が美しい多年草と低い木の柵に囲まれた見事な湖があった。所々に水草を浮かべ、泰然たる態度で公園の中心に位置する湖は、傍らにいるだけで落ち着きを与えてくれる。
今日は日曜日ということで、ジョギングやピクニックを楽しむ地域住民の姿を何人か見かけたが、それでもこの水辺は静かだった。
つい今し方までは。
「あああーー! けえへん! もう無理や!」
わたくしから数メートルほど離れた位置で、暦右夜が天を仰いでいる。
「もう2時間ぐらいやってるよなぁ!? みこっちゃん!?」
「暦さん、まだ30分も経っておりませんわ」
「うそやん」
キャラメルが入った薄茶色の箱を悔し気に振り回しながら、暦はその場に座り込んだ。彼は本日も髪を二つに結い、相変わらずのセーラー服姿だ。
「下級の野良の妖どころか、卯月もけえへんし、やっぱみこっちゃんの隣しんどい」
「ですがわたくしはぱわーあっぷ修行編? の負荷らしいですし」
「そうなんやけど、そうなんやけど! 露払せんせにうまいこと乗せられた感はあるよな……」
どうしてこんなところで読書をしているかというと、わたくしというよりは暦の修行のためだ。
締結師の霊力は妖に好まれやすく複数の式神契約を抱えている者が多い。それとは別に、自身の力を報酬としてその場限りで妖に力を借りる『簡易契約』というものも存在する。仕事などで各地へ派遣される際、現地の妖に助けを求めることができる締結師ならではの便利な契約だ。
これまでは暦も下級の妖たちと簡易契約をこなしていたが、破邪師といると上手くいかず、しかも正式に契約している一部の妖も呼び出せず困っているらしい。
つまり、わたくしの存在が彼の不調の原因で、それを乗り越えて妖と縁を繋げるようになろうという修行だ。
「卯月さん、ふわふわのウサギさんなのですよね。ぜひお会いしてみたいですわ」
「なんや、煽ってんのかみこっちゃん」
「どうしてそうなるのですか」
年下の少年に軽くにらまれ、困惑する。暦は予期せぬことで感情が上下しやすく、たまに読めないことがあった。純真で子どもらしい真っすぐさは好ましいが、そういった相手とのやり取りにわたくしは慣れていない。
「まぁ、ええっか。もうちょい頑張ろ……あ、キャラメル食べる?」
「妖と簡易契約するためのお供えなのですよね? 良いのですか」
「うちの霊力少し込めとるだけで、普通のキャラメルとそんな違わへんし。みこっちゃんが霊力取り込めるだけの量は入ってへんよ」
ある種の祭具ではあるがそんなことは気にもせず、暦は包み紙をめくって自身の口にキャラメルを投げ込んだ。
「では、いただきます」
「ほい」
立ち上がり近寄って来た暦に、薄い紙に包まれたありきたりな菓子を渡される。破邪師として宝玉や護符に力を注いだことはあるが、このような飲食物にやったことはない。これが祭具だと思うと、なんだか不思議な感覚だった。
「じゃあうち、しばらくみこっちゃんから離れてみる。どこまで距離置けば呼び出しできるか確認して、頑張ってここまで戻って来るな」
「ええ。では動かないで待っていますわ」
「助かる。ほなまた後で」
自然公園の出口に向かって暦が元気よく駆けていく。無理だと弱音は言いつつも心は全く折れていない。諦めず邁進する姿勢はとても眩しく見えた。
大人しく読書を再開しようと、膝の上の本に手を伸ばすとふいに影が差す。
「勉強熱心だな、櫛笥みこと。陰陽師に鞍替えするのか」
いつの間にか、右隣に黒髪の少年が座っている。
簡素な白いシャツと、ボタンをひとつも留めることなく羽織られた濃紺のブレザー、そして同色のスラックス。見覚えのある高校の制服だ。
だが彼は人ではない。近寄る気配もなくどうしてと戸惑う。契約している式神であれば、術者か妖自身の力を消費することで瞬時に召喚することもできるが、ここでそれはありえない。
「あなた、は――」
彼は黙ったまま湖の近くにある看板へと視線を流す。わたくしは追うように、そこに書かれた文字を読み上げた。
「……
『高地自然公園』の中心にある、美しい湖の名だった。近寄る気配がないのも当然だ。だって、彼はずっとわたくしの目の前にあった。
露払から護衛を頼まれた男子生徒――正しくは自身を見失っていた妖が、悠然と座っていた。
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