第21話 ボクの浅ましい願い事


 ボクが、櫛笥みことと出会ったのは、4歳の秋だった。


 当時、一族で生まれた女児の中で、強い破邪の力を持つものはボクしかおらず、それはそれは大切に育てられていた。

 褒めて、甘やかして、修行して、褒めて、甘やかして、修行して。

 修行して、修行して、修行して。

 大人たちは、皆一様に口にする。

 ミチルさまは優秀ですね。

 ミチルさまなら立派にお役目が果たせますね。

 ミチルさまは私たちの希望なのです。


 けれど、その甘たるい賛美は、噛み締めれば気色の悪い人間の欲望の味がする。


『どうか儀式を成功させるために、素晴らしい八重の巫女になってくださいね』

 ――そしてどうか、私たちのために死んでください。


 本心は、さすがに幼いボクの前では言わなかったけれど。着飾った崇高なお言葉で、本家の一人娘であるボクを育てた。

 大須賀家の礎となる重要な役目だと、それに選ばれたお前は世界一の幸せ者だと繰り返し言われた。

 だから死、というこの世とのお別れも怖くなかったし、親族に怒られる同年代の親戚の子どもたちを遠めに見て、自分は恵まれた立場なのだと感じていた。


 そんな幼少期に突然現れた櫛笥みことは、ボクの人生を大きく変化させた。



「はじめまして、ミチルさま。くしげ、みことともうします」



 畳の上に正座して、小さな彼女が手をついて頭を下げる。


 大須賀家の遠い親戚だが、他県に住んでいたため、一度も会ったことが無かった少女。

 彼女は生まれてすぐに破邪の力なしと判断されていたが、母親と共に帰省した際、偶然護符に力を込めてみせたらしい。そして見事使える符を完成させた、と。

 兆しを見せたものの妖を滅せない無能な子どもたちばかりの大須賀家に、今まで1人しかいなかった八重の巫女候補。それが、2人になった瞬間だった。


「……こんにちは。みこと、さん」


 他の子と違って、幼稚園にも行っていなかったボクは、同じ歳の子どもと話すのは初めてだった。胸が高鳴る。手には汗をかき、どうも落ち着かない。彼女と同じように正座した後ろ側で、足袋を履いた足の指をもぞもぞと動かす。たぶん、きっと、このドキドキはバレていないはずだ。


「ミチルさま。わたくしのことは、みこととおよびください」

「……みこと」

「はい。これからともにしゅぎょうをするにあたって、いたらないこともたくさんあるとおもいますが、なにとぞよろしくおねがいいたします」


 舌足らずな童の声で、大人たちから用意されていたであろう挨拶を空で言わされている。だけど、ボクにとっては同じ歳の少女と交わす、貴重な会話だった。


 その後、集まった大人たちに2人は庭で遊んでおいでと追い出されたのは、奇跡のような出来事だ。ふわふわと夢見心地で、砂利を踏む。案内するからという体で、みことの手を引く。

 わずかな時間だったけれど、彼女と一緒にまりつきをした。

 話をした。好きな食べ物を聞いた。好きなテレビ番組を聞いた。家族のことを聞いた。友達のことを聞いた。聞いて、聞いて、話して、聞いた。



 そして、ボクは自分が空っぽであることに気が付いた。



 彼女と同じ話題で、話せることがない。修行の話しかない。八重の巫女として積んできたつまらない研鑽の話しかない。みことが語るような、日々のキラキラとした、楽しそうな、小さなことがない。蓋を開けば少しずつ零れるような、溢れ出す自由な日常はない。


「櫛笥の娘はどうだった?」


 みことが帰った後、当主である父親に尋ねられた。


「どう、とは?」

「大した力ではなかっただろう。どう考えてもお前の方が上だ。これからも焦らずに修行すれば、八重の巫女は確実にお前がなれる」


 男の眼は、屋敷からでも見える八重の山へ向けられていた。

 こちらに、それが注がれることはない。愛も興味も何もかも。


「もう1人の巫女候補ということにはなっているが、もしものときの予備だ。お前がしっかりしていれば、必要もない。今後与えられる安寧の多くは、これからも本家の、――私たちのものだ」


 彼の『私たち』に『ミチル』は含まれていない。

 ボクは――それがなんだか、急に寂しいことのように感じた。




 今までひとりっきりだった修行は、ひとりっきりではなくなった。

 自身の破邪の力を、宝玉や護符に込めると、身体がどんどん冷たくなって底に沈んでいくような絶望に包まれる。これまでは、ボクだけでそれを耐えていた。いや、心がわけもわからず耐えていたんだと、思い知らされた。ただその苦痛を認識していなかっただけだ。

 優しく整えられた檻が日常なら、違和感など抱かない。


『すごいですね』

『当然ですね』

『さすがですね』

『これくらいできないと』

『だって八重の巫女になるのだから』


 そんな言葉の鉄格子に囲まれる。うん、それが普通。だから平気、だった。


 修行の前や、終わった後にみことと話す度、心に少しずつ温かさが宿る。


『大変だね』

『頑張ったね』

『苦しくない?』

『辛いよね』

『大丈夫?』


 大人たちと共有できない痛みをこっそり話した。みことと顔を寄せて笑いあった。

 それを思い出して、孤独な夜は泣いていた。彼女からの贈り物を握り締めて寝た。



 八重の巫女は、大須賀の繁栄のために、八重の神にその身を捧げるのが役目。

 慈悲深い八重の神は、人々の思いに答え、様々な豊穣を約束する。

 富を、長寿を、一族の安泰を。

 だから、ボクは。



「わたくしは、あなたに代わって必ず八重の巫女になってみせます」



 共に修行を重ねて数年後、親戚たちの集まりの夜。2人きりになってそう言われた。

 みことのボクへの態度が、どんどんと刺々しいものになっていることはわかっていた。


「は、本気?」

「もちろんです。予備などとはもう呼ばせません。勝負です、ミチルさま」


 遠ざかっていく彼女の後姿。


 真っすぐな言葉は、嘘偽りのない彼女の本心だった。

 あんな感情をボクにぶつけてくれるのは、この世にただ1人。この世にみことだけ。

 敵意しかないのに、こんなに嬉しくて幸せで、涙が溢れそうになるのは、彼女だけが、ボクと同じ立ち位置の人間だから。

 こんなに心が揺さぶられるのは、全ての事情を知っていて、それでもなおボクと同じ地獄へ走ってくれるから。


 もし、みことが八重の巫女になったら――。


 怖い。

 彼女が失われることが怖い。

 自分が消えてなくなることより怖い。

 恐ろしい。吐き気がする。

 嫌だ、嫌だ、嫌だ。


 ――絶対に、八重の巫女の座は譲れない。


 例え、彼女にどんな風に思われても。




 抱きしめてたみことの身体を、そっと地面に横たえる。

 体温は低いが、鼓動は止まっていない。もう、大丈夫だ。

 八重の神へ突き刺した破邪の剣で半分、みことの空っぽの生命力を満たすのに残り半分。

 ボクの力は全て注ぎ終えた。もう立ち上がることさえできなくて、その場に座り込む。

 正直、身体も限界だ。黒い首がたくさん迫ってきて、何度も噛みつかれたし。貫かれたし。血まみれで穴だらけでずたずただ。身に着けた格衣と白衣は、下の緋袴にも負けないぐらい別種の赤に染まっている。血を吸って、生温かくて重い。脱ぎたくてたまらない。


 対峙して分かった。

 何が八重の神だ。バカバカしい。

 こんな、邪なもののために、大須賀の一族は何百年も、巫女を捧げていたのだ。

 黙って寝ていれば、66年に一度、ご馳走を差し出してくる人間がいる。

 その環境を作り出すために、力を与え、富を与え、そして失うことを恐ろしく思う様に支配した。ボクは一度も見たことが無かったが、大須賀の者たちが語る、喪失の夢だ。

 幸福に浸けて、そこから這い出ることがどれほど恐ろしいか、幻覚を見せる。

 そうでもしなければ、こんな狂ったことが何百年も続けられるはずがない。


 八重の神とは、この地に住まう恐ろしい妖の名だったのだ。


 人間に力を与えることで自分以外の邪を滅させ、気が付かれぬよう舞が捧げられる日以外は、眠りに落ちる。来るべき時のために潜む様は、この間の山に隠れていた一つ目と同じだ。

 代を重ね、巫女を食べ続け、益々誤魔化しがうまくなる。

 そして、また今日もお腹いっぱい食事をして、また次の贄を待つ。

 欲望に取り憑かれた愚かな人間が、次代を差し出すその日まで。

 誰にも暴かれることなく、山奥に潜んだまま。


「……まあ、奇跡的にボクみたいな天才が生まれちゃったわけだけど」


 負け惜しみだ。

 結局最後まで気が付けなかった大間抜けだ。


 だって、ボクも八重の巫女をみことから奪おうとした。

 それで終わると思っていた。

 もし、彼女が破邪の力を込めた鈴串でボクを殴っていなければ、こうはならなかった。

 八重の神を滅するという選択肢は、きっとボクには選べなかった。

 いつもよりもはっきりとした思考だからわかる。大須賀家の中で一足早く、ボクは八重の神の縛りから抜け出せたのだ。


 ああ、だけど。

 東の陰陽師たちなら、もっと上手くやるかもしれない。

 後悔しても、遅いことばかりだ。

 為せたことはある、為せなかったこともある。ただ現実をありのまま受け止めるだけ。

 ほら、ボク、そういうの得意だから。


「村雲」

「はい、ここにおりまする」


 呼べば、ボクに忠実な式神は音もなく現れる。

 八重の神が祭られた洞窟は、通常神聖な結界によって守られていて妖などの類は入ることができない。だが、一度中に入ったものが道をつないでしまえば、このように呼び寄せることが可能だった。まあ、ボクの力がすごいからできたんだけどね。


「よてーどおり、ここから出て。みことには、怒られる、だろう、けど」

「……はい」

「さいごだから、もんくとか、あるなら、……いってもいいよ」

「主さまがお決めになられたことでしたら、拙者に進言できることなど無く……」

「いいこだね。ありがとう」


 面倒くさい、主に付き合ってくれた、誠実な式神。ボクの村雲。


「あとね――」


 いくつか頼みごとをする。何でもないふりをして、言葉を絞り出す。

 身体からすでに生命力は失われる寸前で、いつ倒れたっておかしくない。吹けば飛ぶような薄っぺらい意識をギリギリでつなぎ留めて、彼へ言葉を残す。


 ボクと村雲は契約でつながっているから、ボクの状況は彼が一番わかっている。

 これが最期だとわかっている。

 だけど、平気なふりをしておきたかった。

 思い出してもらう姿は、へらへら笑う普段のボクの姿がいい。


「――以上、じゃあ、よろしくね」


 さようなら、みこと。

 さようなら、村雲。

 さようなら、大須賀家。

 さようなら、バカな人たち、バカなボク。


 数多の巫女の屍を重ねて、今まで生きてきた罪。

 どうしたって取り返せるはずはないけれど、やってきたことの罰は受けないといけない。

 ボクへの罰は、ここで終わる結末でどうだろう。


 だけど、ごめんね。

 それでもボクは、浅ましくも願ってしまう。

 どうか、どうか、――あの子だけは。


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