第20話 八重の巫女の役目


 鉄の扉の先、洞窟の最奥は円状の拓けた場所になっていた。

 巫女が舞い踊る、最後の舞台だ。


 そこにあるのは、――木で作られた、小さな社。


 冷たく、誰からの侵入も拒むような、断絶の場所。

 八重の巫女が、舞を捧げるための、献身の場所。


 手持ちの明かりを下に置き、洞窟の壁に等間隔で設置されているいくつかの灯台に火を灯していく。油皿の上で揺らめく炎を見て、どこからか風が吹き込んでいることがわかる。どおりで思ったよりも息苦しくないはずだ。

 明るくなった行き止まりの洞窟で、黙した社が佇んでいる。

 きっと待っているのだ。巫女の舞を舌なめずりしながら。


「……わたくしも、これまで必死に修行してきたのです。八重の神にも満足してもらえるはず……」


 あえて声に出して、言い聞かせた。

 手首に紐を通して、白衣の袂に隠してあった巾着を取り出す。中には、修行で使う宝玉よりも上質な玉状の祭具が、いくつか入っている。


 ミチルが本来注ぐはずであった、破邪の力。

 その総量が足りないのであれば、同じになるように足してやればいい。

 わたくしは、八重の巫女になれなかった後、こうすると決めてからずっと準備してきた。

 毎夜毎夜、わたくしの破邪の力を与え続けた複数の上級宝玉と、使い慣れた鈴串。鈴の部分もより多く力を蓄えられるものに取り換えた。

 この祭具たちを、わたくしの外付けの燃料タンクのように機能させれば、きっとミチルにも届きうる。




 深く深く、呼吸する。

 さあ、落ち着いたら、全てを終わらせよう。



 社の前で、一人立つ。

 肩幅ほどに足を開いて、瞼を閉じる。

 手には鈴串、神へと届ける神聖な音。


『やえのかみに やえのかみに ささげしへんは』


 鈴を振り上げ、一歩、二歩、回る。


『かみさきよ つめさきよ めぐりて ながるる』


 壁際の炎とは別の白い光が、自身から溢れ出す。


『うでよ あしよ めぐりて ながるる』


 朗々としたわたくしの声が、現れては消えていく。光と共に社の中へと流れ込んでいく。

 自然と目元に涙が浮かんだ。

 なにも怖いことなんかないのに、とても恐ろしいから。相反した感情がせめぎあう。

 ミチルから奪ったこの儀式が、わたくしの全てを奪っていく。

 けれど、わたくしはわたくしを奪われないために、行動に移したのだ。


『かたよ はらよ めぐりて ささげる』


 白い破邪の光が、益々強くなる。体の中心が熱くなる。燃えているようだと、そんな例えしか思いつかなかった。

 内からだけでなく、並べた宝玉や手元の鈴串からも、力の移動先を社へと指定する。


 ここから先は、普段口にはしない、巫女の域だ。


『むねよ めぐりて すべてを ながるる』


 全てを捧げる、その文言。


『やえのかみよ やえのかみよ うけとりたまえ』


 回る。舞い続ける。


『みこにながるる そのちから そのすべて』


 鈴の音が、響き続ける。


『ながれ 底まで すべて さらいて』

 わたくしから生じたすべての光が、社へと収束していく。



『――どうか めぐみを ふらせたまえ どうか われらに しゅくふくを』



 八重の神にささげる巫女の舞は、その者の破邪の力を捧げる終わりの舞。

 破邪の力とはすなわち、生命力。

 破邪師として魔を滅するものは、通常の人間よりも生命力の強い者たち。

 時間が経てば誰しも回復する生命力。

 その生命力を、心臓を動かし続ける貴重な最後の一片まで、神へと送る。



 舞を捧げた巫女に待っているのは――死である。



 そうすれば、八重の神は人々へ祝福を与えてくれるのだ。



 全てをわたくしが流し込んだ後、もうほとんど見えなくて。

 もう立っていられなくて、社の前に蹲る。鼓動がゆっくりと消えてゆく。

 それでも必死に、目の前の八重の神を、見ようとした。

 今わたくしを動かしているのは、意志という残りかすだ。


 社から黒くて長い、何かが伸びて来る。

 わたくしの胴くらいありそうな、太いそれは複数あって、理屈もわからないのにそれを首だと思った。長く長く、手を伸ばす様に、こちらにそれはやってくる。

 巫女の生命力を蓄え、動き始めた八重の神は、残りかすすら求めている。

 これで終わる。全てなくなる。わたくしは全うする。

 八重の巫女となる。


 これで、これで――。




「……みことッ!!」




 遠く、膜を張った向こう側から、くぐもった声がした。

 人影が動く。黒い首へ駆けていく。


「村雲!」


 その声で人影の振り上げた手に、青い光が集まり始める。

 閉じかける目と意識の先で、誰かが叫んでいる。悲鳴を上げている。嫌悪感をもよおす、気持ちの悪い鳴き声がする。引きちぎる音、裂ける音。

 何度も何度も振り下ろされる青い光と、何度も何度も突き刺される黒い――。


 赤が舞っていた。撒き散らされていた。

 それは生死を左右する、ひどい光景なのに、とても美しく見えた。




「みこと……みことッ!!」

「…………ミチル、さ、ま」


 二度と会うはずの無かった彼女に、名を呼ばれている。

 わたくしのもう動かない手を持ち上げて、握り締める。感覚はなかったが、視界の端に手がちらりと映りこんで、そうされていると知った。まるで人形のように白い腕は、生きている身体には見えない。わたくしのも、ミチルのも。


「どうして、こんなバカな、真似を……ッ!」


 大嫌いな女が、愚かな質問をする。

 そんなこともわからないのか、だから嫌いだと、最期まで苦い思いをさせられる。


「あなた、なんかに……みこ、は、」

 八重の巫女はやらない。

「わたくしの、もの」

 わたくしのものなのです。

「そうじゃなきゃ、……して、ずっと」

 どうしてこんな辛い思いをして、ずっと修行をしてきたのか。

 何のために生きてきたのか。すべて持っているお前にはわからないだろう。


 八重の巫女になる可能性があると言われた。

 八重の巫女になれと言われた。

 何度も何度も母に言われた。父に言われた。

 何度も何度も全てを失った夢を見た。

 何も得たことがないのに、全て失った夢を見た。

 家族が笑っている。――壊れた。

 わたくしが笑っている。――壊れた。

 怒られる。叩かれる。叱られる。閉じ込められる。

 それらが現実かはわからない。あったかもしれないし、夢かもしれない。

 けれど確実にわたくしを追い詰めた。


「違うんだ、ただボクは、キミが生きていれば、それでよかったんだ」


 何も知らない、ミチルが、生ぬるいことを言う。

 生きているだけ、はこんなに辛いのに。役目を果たさずのうのうと生きられるほど、わたくしの精神は強くないのに。力もあって満たされた人間は、大したことが無いように、残酷なことを告げる。大嫌い、大嫌いだ。


「だからどうか、……死なないで」


 つまり、これはミチルが望まなかった結末か。

 自分が八重の巫女になれなかっただけでなく、ただの親戚であるわたくしが死ぬことも、彼女の完全な人生に傷をつけたということか。

 それもそうか。

 満たされたミチルくん。良い家のお嬢さまのミチルくんだ。役目は完璧に終えたかっただろう。こんな足元にも及ばない破邪師の娘に、巫女を掻っ攫われたとなれば、さぞお辛いだろう。



「そう、ですか。………ざまあ、みろ、ですわ」



 ああ、本当に嬉しい。

 最高の嫌がらせだ。望んだ通りの、おしまいだ。

 これでわたくしの両親は幸せになれるし、わたくしは解放される。


 能力を見出してからずっと走り続ける毎日だった。

 ここで終わり。ここが終着。

 意識が、息が、続かない。

 もう、届かないのに、誰かの声が聞こえる。きっとくだらない泣き言が聞こえる。

 わたくしの唇は弧を描き、目じりからは透明の液が伝う。

 冷たい、暗い、絶望の底。


 意識は落ちていくのに、どこか明瞭になる部分があった。

 あれ、どうして、どうして、わたくしは。


 八重の巫女、なんか、に。



 ――これが、櫛笥みことの、さいごの記憶。

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