第19話 さいごの日

 翌日、朝日が昇る、その白む天の下。

 大須賀家の本家に住まう者たちは、皆破邪師の装束に身を包み、山の前にてこうべを垂れる。

 本家屋敷の裏にある、八重の山。

 かの山はわたくしたちの仕える、八重の神が住まわれる神聖な場所。


 そして、第14代八重の巫女――大須賀ミチル。

 彼女はいつもの白衣に緋袴、さらに真白の格衣を纏っている。格衣には薄い金と赤の糸で刺繍が施され、印象をさらに上質なものに仕上げていた。

 頭の上には、ひし形と花の模様からなる八重の巫女の証、金の冠が輝いている。それを固定するように、髪は後頭部で結ばれている。

 その目元には珍しく眼鏡はなく、口元には赤い紅が引かれていた。


 どこから見ても、美しく貞淑な、八重の巫女。


 彼女が破邪師たちの中心に立ち膝を曲げ、八重の神へこれから儀式を始めることを告げる。


 ミチルは今から山の裾野にある洞窟の入り口から奥へと入り、社を目指す。

 そこで、八重の神へ捧げる舞を無事に納めれば、それで儀式は終了だ。


 多くの破邪師が見守る中、南京錠に鍵が差し込まれ、きしむ音を立てながら、洞窟を閉じていた木戸が開く。

 平時なら、八重の神の社までの道を守るため、管理する当主以外は立ち入れぬ場所だ。そして当主すら、最後の扉の先、社のある部分へは行くことができない。もちろん、縁がない妖もここへは一切入れない。八重の神による区域があるからだ。


「では、櫛笥の娘、頼んだぞ」

「かしこまりました。当主様」


 恭しく持ち上げた盆の上に、ミチルが舞うための祭具がいくつか置かれている。着慣れた巫女服姿のわたくしは、八重の巫女にお供することが許された、付き添いだ。

 最奥へは、八重の巫女とその候補であった14歳から18歳の少女のみがたどり着ける。


「では、当主様、行ってまいります」

「ああ。立派に役目を果たしてこい」


 それが、父と子の儀式前のさいごの言葉であった。


 破邪師たちの言祝ぐ歌と、軽やかな笛の音が背中を押す。

 しゃなりしゃなりと巫女は歩き、一族の望みと喜びを巻き取っていく。

 こうしてわたくしたちは、八重の神の待つ山の中へと消えて行った。



 薄暗い洞窟を、ミチルは手持ちの行燈で照らし、慎重に歩みを進めていく。

 一歩、二歩、三歩。

 静かな空間で、足元の砂利がこすれる音と衣擦れの音だけが、世界を満たしていた。

 ぼんやりと輝く前方のミチルを追う様に、わたくしは少し離れて付いていく。

 いつもこう。わたくしが、いつもミチルの後ろだ。


「ねえねえ、みこと」

「……何でしょう、ミチルさま」


 別に、道中喋ってはいけない、というルールは無い。


「これからさ、みことはどうするの?」

「どうする、とは」

「もう、八重の巫女のために修行しなくていいわけじゃん? なれなかったんだから」

「…………」

「このまま、破邪師やんの? ここでずうっと?」

「それは」

「ボクだったら、そんなつまんない人生ごめんだけどなー」


 どうか、お願いだから。

 わたくしの存在だけでなく、わたくしの未来まで、地べたに捨てるように語るのはやめてくれないだろうか。


「……わたくしよりも、ミチルさまの将来を考えた方が良いと思いますが」


 厚く重そうな、どうやって設置したのか不明の鉄の扉までやってきた。

 それを指定の鍵で解錠したところで、彼女は訝しげに振り向く。



「……みこと?」



 さあ、時はきた。



 祭具を乗せていた、盆に掛けられていた布を取り払う。

 そこには、ミチルの祭具と、――わたくしの鈴串。


 心臓がうるさい。持ち手を握る。ためらうな。

 後は――。



 ミチルに向かって、鈴串を思いっきり振り下ろす。



 八重の神に捧げる舞の際に用いる祭具、鈴串。

 それが本来の用途ではなく、暴力のためのただの棒として、ミチルの頭に直撃する。予想だにしない一撃に、彼女は避けることすらできない。金の冠が弾け飛び、茶色の髪が広がる。鈴の音が鳴り響き、洞窟の中で反響する。恐ろしいほどに喧しかった。


「――ッ!!」


 声にならない、悲鳴を上げて、ミチルが目の前で崩れ落ちる。

 なぜか時の流れが遅くなったかのように、ゆっくりと彼女は倒れていく。その姿が私の眼に焼き付いた。もう戻れないのだと、心に映像が刻まれる。

 冷たい地面に倒れこむ寸前、ミチルと視線が合った気がした。


「…はあ、…はあ、……はあっ」


 苦しい。

 振り下ろした腕が、衝撃で震えている。

 取り返しがつかないと体が拒絶している。けれどもう止まれないし、止まりたくなど無かった。

 息を整えながら、倒れ伏したミチルの胸に耳を押し当てる。

 大丈夫、死んではいない。わたくしの一撃を受けて、気を失っているだけだ。

 ミチルがとり落とした、行燈を拾う。

 何故か重い体を引きずって、洞窟の奥へと進む。ミチルが果たす予定だった役目を、わたくしが終わらせるのだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る