第17話 悪夢
「……嫌っ!」
「みことさまっ!?」
飛び起きたのは、どこかの和室だった。
畳の上に敷かれた布団を跳ね除け、良く知った襖や障子を認識し、ようやく肩の力が抜ける。ここは、大須賀家本家の一室だ。
「すみません、悪い夢を……みていたもので」
心配するようにわたくしを見上げていたのは、村雲だった。
左手を少し上げてみせると、彼はそこに額をこすりつけて、鼻を鳴らす。
「びっくりいたしました。もう平気でありまするか」
「ええ。十分睡眠はとりましたし、平気ですよ」
いつの間にか、和服に着替えさせられており、巨大な妖との死闘の際の、打撲やかすり傷もましになっている。大須賀家の者がやってくれたのだろう。
体力も、問題なく回復していた。
「あれからどれくらい経ちました?」
「翌日です。今は午の刻ぐらいでありまする」
「まだ、日曜ですか……よかった」
数日ぐらい寝ていたのでは、と思うほどの深い眠りだった。
傍にいてくれた村雲にお礼を言って、顔を洗おうと部屋を出る。できればお風呂にも入りたい。
廊下で本家の使用人と出会い、体調を心配される。それから、用意された朝食を食べ、一通りの身支度を済ませ、寝ていた部屋に戻ってきたところで、――彼女と鉢合わせた。
「おっはよー。もうお昼だけどね、みことさん」
「おはようございます。ミチルさま。お怪我などは大丈夫ですか?」
「元気だよ。眠くて、寝てただけだし」
嘘偽りなく、彼女は健康そのものだった。
茶色の長い髪は相変わらず楽しそうにはねているし、赤いフレームの眼鏡もいつもどおりどこかとぼけた印象だ。
「当主様から伝言なんだけど、昨日の状況報告、みことからも直接聞きたいって」
「わかりましたわ。今ですか?」
「ううん。夜に。さっき出てったから」
ミチルは廊下に通じる障子を開けると、そのまま庭につながるガラス戸を開けて、足を投げ出して座り込んだ。
わたくしは、その後姿を眺めるように、部屋の畳の上で正座する。
「お聞きしたいことがあるのですが」
「うん。いいよ」
廊下からぽてぽてと歩いてきた村雲が、ミチルの隣で黙って丸くなる。
「どうして、破邪師の方々はあんなに疲弊していたのでしょうか」
「なんかね、毒だって」
「――ど、く?」
妖らしからぬやり口に、瞠目する。
「嘔吐に、脱力感に、眩暈に、手足のしびれ? まあみんな大須賀の血族だし軽症だったらしいけど、アルカロイドってやつね」
「植物に含まれている、あのアルカロイドですか……」
「うん、まあね。瘴気の対策に呪いの対策に物理の対策に、対妖への色々はやってたけど、こんな人間にもできちゃうようなことは対策してないし、笑っちゃうよね」
そんなものは必要なかった。というか、妖から発する毒ならば、対策していたはずだ。けれど、それはあくまで妖が生成した毒に近いものへの対抗策であって、毒ではない。
「自然界からとりこんで、自身から密閉した空間に居続ける人間に使ってやろう、なんてヤバい奴だよ」
「……では、どうして、わたくしとミチルさまは何ともなかったのでしょう」
「身体の状態を正常に保ち続けるような、祭具を持ってたから」
「え?」
「別に解毒ってわけじゃないんだよ。できないし。ただ、体内の破邪の力を安定して回すように、不純物を回収する祭具があったから、まあなんとかなったね」
「そんなもの、わたくしは記憶に」
「ほら、破邪開始前にさ、結ばせたから」
そこで思い出される、鈴串へ式を結びつける見習いの男の姿。
確か、妖を滅した数を記録すると、取り付けられたそれ。
ずっと違和感のあった、ミチルの姿。
どうしてこんな簡単なことに気が付かなかったのか、自分の情けなさにため息が出る。彼女の隣にいつもの銀灰の毛玉が足りないことに、気持ち悪さがあったのだ。
「あの見習い、あなたでしたのね、村雲」
「うう、お許しください。みことさま」
尻尾をぶるぶるふるわせて、彼はミチルの膝にすがっている。それを彼女は慣れた手つきで撫でていた。
「いやあ、だってー、ボクか村雲が本来の用途言って巻こうとしたら絶対、余計なお世話ですわって言うじゃんー」
「それは、えーとどうでしょうね」
「みことはそういうこと言いますぅー。それに、何も起こらないかもしれないし、そしたらただの布だし、バレなきゃいいかなって」
「どうして、そこまで」
「ボクたち八重の巫女候補だよ。万が一でも欠けたらどうすんの?」
予想以上に冷たい一言だった。
振り返ったレンズ越しの眼は刺すようで、鋭い。
「何もなければ、それでよし。でも十分注意する、ぐらいの気でいないとさあ」
「……おっしゃるとおりですわね」
「でしょー。こういうとこが、みことの持ってない部分ねー」
緩い声音で、彼女はわたくしの心を丁寧に押しつぶす。
「……では、最後の妖の消滅は? わたくしは滅しきれなかったのですが」
窒息寸前で、何とか息をするように、別の質問を投げかける。
「あれはいつものやつだよ。時間切れで破邪区域にて消滅、って感じ」
「ですが、あの時、校庭では誰もそんなことは……」
「ボクが事前に、山ごと破邪区域にしといたからだけど」
「――は?」
それは非常に納得がいく説明で、欠片も信じたくない真実だった。
「なんで遅れてきたと思ってんの? マジでのんきにラーメン食べてただけって?」
「う、うそです。あの広さを?」
「まあ、だいたい村雲に護符の設置は頼んだけど……ああ、力の話? むっちゃギリギリまで弱めてばれないように発動したから、そんな使ってないけど」
「それも、万が一ですか」
「だって、山入るの気持ち悪かったじゃん。万が一だよ」
破邪区域は、力の半分以上を消耗する、破邪師の基本技だ。
作成できる規模や、その効果は、術者の力量による。
今回学校での仕事で、校舎全体を覆うのに、複数人の強力な破邪師が関わった。もちろん、通常よりも強力なものを作成するためだが、何より囲う範囲が大きかったからだ。
それなのに。
「もう、そろそろ気が付いた?」
庭へと顔を向けたまま、ミチルはわたくしの方を振り返らない。自身の式神を撫でる手も一定の動きで、平常のまま。
「叶わない夢を見て、必死に修行するみことは、それはもう滑稽で面白かったんだけど、――飽きちゃって」
クラスメイトたちと、次の授業は何だっけと、どうでも良さそうに話すいつものノリで。
「今月末に八重の巫女決定じゃん? そろそろ本当の実力差ぐらい、わかったら? 多少賢いんだから」
彼女は、恐ろしいことを言い放った。
「あいつが結局出てきたのも、校内の破邪師が全部倒れたからじゃなくて、ボクの破邪区域にとうとう耐えられなくなって現れただけだし。みことが砕いたから少し早くなったけど、ボクが区域の出力上げたから消滅しただけだし」
畳に、手をついて爪を立てた。そうして堪えていないと、まずいものが溢れそうだった。
「だから言ったでしょ。八重の巫女はボクのものだって」
わたくしが、いつまでそうしていたか覚えがない。
知らぬ間に日は沈んでいて、ミチルはいなくなっていて、どこにもいけないまま取り残されていた。当主への報告の時も、幻の中にいるようで心はそこにほとんどなかった。
あとはもう颯のように日々は過ぎ去るだけで。
期末テストは大した力も出せず、いつも通りのミチルの下。
夏休みに突入しても、ふわふわと地に足付かない心地で修行を無為に続けるだけ。
そして、八重の巫女選定の会合前の、最後の日。
大須賀家の破邪師たちに見守られる中、わたくしたちはこれまでの成果を発揮すべく宝玉へと力を込める。
わたくしが、15個。ミチルが37個。
汗を流しながら、ぜえぜえと畳の上で蹲るわたくしの隣で、ミチルは涼やかに微笑んでいた。
「第14代、八重の巫女は――大須賀ミチルとする」
翌日、一族の者が集まる大広間にて、その発表を聞いたとき。
わたくしは、自身の心が壊れる音を聞いた。
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