第15話 2人だけの戦い
「みこと!」
名を呼ばれて振り向けば、わたくしと同じように校舎を飛び出したミチルが走り寄ってくるところだった。
「他の方々は!?」
「ボクの班はだめ! 来る途中で見たけど、区域とか護衛のみんなは廊下でぶっ倒れてた!」
「はあ!?」
「たぶん無事なのは、ボクとみことだけ」
「最悪ですわ!」
わたくしが大丈夫だったのだから、何人かの破邪師は平気なのでは、という甘い考えはあっさりと打ち砕かれた。
巨大な妖に向かって走りながら、校庭に止めてある大須賀家の車に目線を送る。僅かに見えた車内の中では、数人の大人たちがだらりと力なく倒れていた。補佐班の人たちだ。
もう、頼れる者はいないと心がさらに追いつめられる。
「来るよ!」
ミチルが叫んだ途端、こちらを見下ろす妖がその長く奇妙な腕を振り下ろす。
正直、落とすといった方が表現としては近かった。
「――ッ!」
「ぐッ……!」
わたくしが右、ミチルが左に跳躍し、なんとか直撃を避ける。
抉れた校庭の土が周囲にばらけ、白衣越しの身体に小石がいくつも突き刺さる。その細かい衝撃に息が止まりそうになった。
そのままごろごろと地面を転がり停止したところで、慌てて膝をついて立ち上がる。
左に顔を向ければ、黒く大きな妖の腕がゆっくり持ち上げられるところだった。
「みこと、ボクが気を引く! だから鈴串で中心を砕け!」
砂煙と遠のく巨大な腕の向こう側から、姿の見えないミチルが喋っている。
彼女に対する反発心や、嫌悪感は、この非常事態で完全に消え去っていた。
「君が一番、力を残してる。時間を稼ぐ、だから!」
「わかりましたわ!」
決めてからは早かった。
標的に向かって走るのではなく、わたくしは横の山林に向かって足を踏み出す。
後ろから、更に破砕音が響いてくる。ミチルだ。ミチルが、戦っている音だ。
木々が倒れ、その勢いの風がこちらまで届く。
拓かれた学校近くから離れ、草木の間をとにかく駆けた。
あの山の中にいる妖の横か後ろに回り込みたい。
飛び出した枝が頬を引っかき、腕を打つ。
山を走る装いでないことは理解している。妖からは守ってくれる破邪師の衣装は、自然の中では動きにくく不便でしかない。けれど、あの巨大な妖の威圧感はいささか軽減されている。これを着ていなければ、そもそも動けていたか怪しい。
走って、走って、走る。
草を踏みしめ、地面を蹴る。
体力はとっくに限界だった。
けれど、ミチルに言われた通り、破邪の力ならばまだ内に残っている。
「――は、はぁ、げほ、げほッ」
3メートルほど先に座り込むようなとんでもない大きさの足を観測し、立ち止まる。近くの樹木に掌をついて、必死に呼吸を整えた。
こんな状況でもずっと握り締めていた鈴串を構えなおし、倒れ込みたい身体に鞭打ち相手を見据える。
普段、鈴串に力を込める時は無詠唱だ。
破邪区域の中で、妖に直接破邪の力を叩きこむ祭具なので、そこまで強い力を注ぎこむ必要がない。
言葉を必要とするのは、間に空間をかます破邪区域の発動や、能力がそこまでない破邪師たちだ。わたくしは、護符や鈴串ぐらいであれば、無言で済ませる程度の力はあった。
――けれど、今山に居座っているこの妖は、破邪区域内にいない。
つまり時間が経っても滅されることはない。
ならば、いつもより力を込めた一撃で、屠ってしまうほかない。
『ねがいますは このすずぐしに』
わたくしの小さな声は、妖から発される衝撃と誰かへの攻撃で掻き消える。
巨躯を丸め、上半身を乗り出すような姿勢になった妖は、狂ったように腕を振り下ろし続けていた。たぶん、その下でミチルが戦っている。
『かみさきよ つめさきよ めぐりて ながるる』
出し惜しみはなしだ。
身体中の破邪の力を手元の鈴串へ集中させる。
『うでよ あしよ めぐりて ながるる かたよ はらよ めぐりて ささげる』
とても短い時間が、とても長く感じた。
並の破邪師なら、とっくにやられているだろう妖の猛撃も、たぶん彼女ならと信じていた。
大丈夫、ミチルならまだ生きている。
『――破邪収束』
ひと際大きく鈴串が輝き、握りの部分も三段に並んだ鈴も、真白になってわたくしの力を宿したことを示していた。
休憩を挟まず、妖へと向かう。
早く倒して、ミチルへの攻撃を止めなければ、一族の者たちを介抱しなければ。
早く、速く、助けてあげなければ。
たどり着いたのは、巨大な妖のふくらはぎの辺りだった。
気が付かれる前に鈴串を真横に構え、斜め上目掛けて振り上げた。
【……ヒッ、イイィ、ヒイイイイイッ!!!!!】
ビリビリと鼓膜に響く、妖の大絶叫。
鈴串は光の刃を伸ばし、大きな身体を切り裂いていく。焼き切れていくような溶け消える手応えにまだ安心することはなく、わたくしは前進した。
ゆっくりと、その人形の下半身が分断されていく。
ミチルとやりあっていたせいか、妖は這いつくばるような姿勢になっていた。その下の方の身体や腕肘の部分も、削いで、まともに動けなくする。
――体勢が崩れた。
木々が押しつぶされる音と砂煙を巻き上げながら、巨大な妖が倒れていく。
まだ、まだだ。
ミチルが砕けと言った、その中心。
まずは目だ、それから全体を破邪の力で破砕しなければ。
地面に伏した妖の頭へと足を必死に動かす。
もちろん、鈴串は横になった妖を切り裂きながら。
「はあ、……は、ぁ、…ミチル、さ、ま」
再び校庭へと戻ってきたわたくしが見たのは、妖の頭から10歩ほど離れた位置でぼろぼろになったミチルの姿だった。白衣の袂や袴は裂けて、血が僅かに滲んでいた。
それでも、石の剣を正面に構え、彼女はしっかりと立っている。その前には彼女を守るように、見覚えのある銀灰の式神が牙を出して唸っていた。
よかった、ミチルは無事だ。
そのまま落ち着くことなく、わたくしは妖の頭に向かって、鈴串を振り下ろした。
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