第14話 異変




 なにかが、おかしい。



 予定通り破邪は続けられた。

 破邪区域作成班と、護衛班のいる1階へ向かうようなルートで、わたくしたちは妖を屠っていく。自分の分を数えただけでも、滅した妖の数は20を超えた。

 その倍の数を捌いている破邪師の男と、彼に師事する新人の男が、壁に手をつき荒く息を吐いている。


 彼らは、異常なほどに疲弊していた。


「……すみません、眩暈、が」

「いいえ、……その少しお座りになってはどうでしょう。お休みになった方が……」


 大した対処にはならないとわかっていても、休憩を提案したくなるほど顔色が悪い。


「し、師範……浄化を、いたします」

「それなら、わたくしが。あの、座っていてください」


 少し薄暗くなってきた廊下で、わたくしの鈴串の光が2人の身体を包み込む。けれど意味のないことはわかっている。彼らはどこも怪我をしていないし、呪いや攻撃の類も受けていない。

 ただ、体調不良なのだ。


 破邪の力を使用しすぎると、もちろん疲れる。だが、破邪区域を作成しておらず、詠唱も何もない妖への攻撃のみで、ここまで消耗することはない。実際、わたくしはそれほど疲れてはいない。けれど、共にいた2人はこの有様だ。


「他の班の方へ、連絡いたしますわ」


 緋袴のポケットの部分から3枚の形代を取り出し、軽く指ではじいた。わたくしがよく使用する、人工の式神だ。

 1枚はミチルたち攻勢班へ、1枚は正面玄関の破邪区域作成班・護衛班へ、1枚は外にいる補佐班へ。

 補佐班には、人員の交代をお願いして、他2班にわたくしの班の現状報告だ。するりと指の間から飛び立っていく3枚の式を見送る。


 少しお待ちください、と振り返って、慄く。


 完全に気を失っている共にいた破邪師の男たちと、彼らに忍び寄る粘ついた気配の妖に。


「――このッ!」


 鈴串で打ち払おうとして、鳥に似た、しかし人のような足が4本ある妖が身をかわし、こちらへと突っ込んでくる。するどい足先の爪が光り、とっさに身を屈めた。


【ゥ、シイ、イイイ、ソオオオ――!】


 軽い、乾いた破裂音。

 しゃがんだわたくしの、少し上あたりで、襲い掛かってきた妖が霧散する。同時に黒い粉がふわふわと漂った。わたくしは何もしていない、つまり――。


「破邪区域が、間に合いましたか……」


 良いタイミングで、区域の破邪の力が効いたようだ。

 というか、この学校で倒してきた中で、今のはなかなかの上位の妖だった。できれば、わたくしの手で倒して、手柄にしたかったなと今更どうしようもないことを思う。

 だが、傍に倒れている年長の破邪師の男性と、新人の男性は、無事に助けられた。それだけでも良しとしよう。安堵から頬が緩む。怪我をさせないで本当に良かった。


 ここから挽回したいところだが、破邪区域がそろそろ中の妖を全て消滅させる時分だろう。

 人員の交代を頼む必要はなかったかな、と思いかけて、――彼の言葉を急に思い出す。



『……お気をつけて』



 破邪が行われているはずの校内は、その淀みが増していた。


 妖は他の攻勢班や護衛班にも次々と屠られているはずなのに、絡みつくような気持ち悪さが無くならない。重く、湿気た、陰湿な悪意が、何処までも追ってくる。

 ずっと、気のせいだと言い聞かせてきた、違和感。

 体力は問題ない。だが、息をするほどに、歩みを早めるほどに、黒く不快なものが身体の中に降り積もっているような、感覚があった。


 そして――。


「……なんですの」


 獣が低く唸るような異音。

 岩がこすれ、大きな物が持ち上がる、重々しい轟音。

 校舎全体がその恐ろしい音で震えていた。

 歓喜に沸く様に。勝利を祝う様に。


 悍ましい声の主は、この状況を喜んでいる。


 問題は外にあると判断したわたくしは、瞬間走り出していた。

 近くにある階段を下りれば、もう1階だ。

 一度建物内に意識を集中させて、気が付く変化。


 もう、破邪区域はほとんど消えかかっている。


 校内の様子から妖はすべからく滅している。だから、区域を解除してしまっても問題はないが、これは術者が意図してやったことなのか。

 もしも、破邪の力の維持ができていないのだとしたら――。


 1階にたどり着いたわたくしは、後も先も考えず、近くの窓に飛びつき鍵を壊しかねない勢いで開けた。

 窓枠に足をかけ、緋袴を引っかけないように校庭へと飛び降りる。

 着地した後は、間髪入れず山の出口に向かって駆けだした。


 探す必要もなく、迷う必要もない。

 生い茂った木々の中に聳え立つ、妖。

 校舎とほぼ同じ大きさの、黒い人間のような形。頭と思わしき部分の中央には、ぎょろりと動く目が一つあり、それと視線がかち合ってしまう。


【シ、シイ、イイイイイッ――】


 意味の分からない笑い声。一つ目の下の黒い口が息を吐き出す。

 油の交じったような腐臭に思わず顔をしかめた。



 一目見ればわかる。

 これが本命だ。



 校舎は完全に囮だった。

 どうやったかはわからないが、まず校内の破邪師たちを疲弊させ、動けなくする。そして、自身に対する脅威がほぼ無くなった状態で、表へと出る。


 思い返せば、妖たちの動きは完全に時間稼ぎだった。わざと姿を見せ、追わせる。そして何らかの不利をこちらに押し付ける。

 校舎の妖はただ存在することで、陰惨な気配を漂わせていたわけではない。わざと、陰惨な気配を出させていたのだ。攻撃ではなく、雰囲気を纏うことに力を使うなど、そんな馬鹿なこと普通はしない。

 そう、普通なら。


 気味の悪い一つ目の妖は、下位の者を従わせる、この山の主であった。

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