第11話 君に花を
「そんなに配置に不満あった?」
いつの間にかやってきていた村雲の腹を、ミチルの指が一定の動きで撫でている。彼女がたまに毛の流れに逆らって指を返すと、狐の式神は後ろ足でミチルの手を押し止め軽く抵抗していた。
「不満、というか、もっとわかりやすい班構成にするべきかと思いまして」
「どーみても、ボクとみことの最後の実戦比較って感じの仕事だもんね」
村雲の後ろ足を両手で捕まえて、彼女は毛の中の肉球を弄っている。主の行動になすがままといったかんじで、彼は前足で顔を押さえて恥ずかしそうに黙っていた。
いつものミチルと村雲のふれあいなのに、彼女に翻弄されてばかりのわたくしの姿をなんとなく重ねてしまう。
「そんなにやりたいの、八重の巫女?」
「……ミチルさまも、同じ気持ちではないのですか」
質問を、質問で返す。
本家の娘と分家の娘の違いはあれど、わたくしたちは形式上同じ立場。
ただの八重の巫女候補。
例えわたくしがミチルの予備程度の存在であったとしても、実力でねじ伏せれば、大須賀家の誰もが認めてくれる。
八重の巫女は、14歳から18歳の一族で最も力のある少女が担う。
これは、当主さえ覆せない、八重の神との約束事だ。
やりたいのか、なんて言葉にどう答えるかはずっと決まっている。
父と母の顔が浮かんだ。微笑んで握り返してくれる手があった。裕福な家と幸福な家庭があった。八重の巫女候補になって得たものは多くある。決して手放せるものではない。
わたくしは、やる。やってみせる。
「はあ? ボクが八重の巫女をやりたいかって?」
けれど。
「あれは、ボクのものだよ。みことなんかにあげるわけないでしょ」
彼女は鼻で笑って、村雲のことを抱き上げた。
歯を食いしばって、本家の娘の横暴さを受け止める。生まれつきの強者として、ただ当たり前のことを受容する、ミチルにとってはそれだけだった。
「だからさっさと諦めて、他の事しろって言ってんのにさー。しつこいねえ」
もうとっくに本日の修行は終わっている。
世話役が去り、わたくしとミチルしかいない冷え切った修行の間は、電灯が点いているのにどこか薄暗い。
「来月の廃校での仕事も、まだ頑張るの?」
部屋の敷居を跨いで、彼女はここを出ていく。わたくしは取り残される。
けれど、ここでめげてはいけないと、強く思った。
「ええ。まだ頑張りますわ」
「――そう」
こちらを見ようともしないミチルの心境はわからない。
ただ、つまらなそうな――路傍の石ころを蹴とばす様な、彼女の声に感情は無かった。
修行の間を片付けて、着替えて、送迎用の車に乗りこんで、今日はもう家に帰る。
身体の疲れはあまりなかったけれど、心がだいぶ擦り減ってしまった。
車の扉を閉めようとして、僅かな隙間を小さな塊がすり抜ける。
「村雲?」
それは、先ほどまで主と共にいた銀灰の式神だった。
三角の耳をぴん、と立てて口元に白い物を銜えている。
座席に駆け上がった村雲は、わたくしの制服のスカートに前足を押し当てて、膝の上にそっと何かを乗せた。
「お花ですか、これは?」
「お誕生日、おめでとうございます。みことさま」
一本の白のスイートピー。
いくつか花をつけたそれは、慎ましく花弁を広げて、ただそこにある。
「――わたくしに?」
「はい! 主さまと拙者からの贈り物です」
「村雲、嘘はいけませんわよ。本当のところを言いなさい」
「ええと、本当でありまするが……」
「村雲」
「……拙者からです」
「よろしい、そんな変な気は遣わなくて結構ですわ」
何とか主を立てようとする村雲を正直にさせて、花をありがたく受け取る。
白い布地をくしゃりと束ねたような花びらが、美しく控えめに咲いていた。
「とても麗しいお花でありまする。この白はみことさまにそっくりです」
「だから選んだのですか」
「そうですね。……そうかもしれません」
「ありがとうございます。村雲」
乗りこんだ車は、いつの間にか静かに走り出していた。
わたくしと村雲は、車内で何気ない日常のことを話した。
授業の話、クラスメイトの話、最近読んだ本の話、新作のチョコレートの話。
ミチルのことも八重の巫女のことも、わたくしたちは話題にしなかった。
わたくしの語りを彼は黙って聞いて、たまに相槌を打つ。
村雲が見かけた変な人間の行動についても疑問に答えた。
彼の人ではない視点の困惑が面白くて、思わず笑ってしまう。
上半身をわたくしの膝の上に置いてくつろぐ村雲を、撫でようとして――やめた。
わたくしの側では無いとわかっている彼の優しさが、嬉しくて悲しかった。
無事に家へとたどり着き、お別れの挨拶を交わす。
村雲は、車に乗ってそのまま本家へと帰って行った。
大須賀家に届いていた、いくつかの誕生日プレゼントを家政婦さんと一緒に運び込み、部屋へと戻った。本家の屋敷にまだ贈り物は残っているし、持ち帰ったのは食品などの一部だけだ。
村雲からもらった白のスイートピーを、勉強机の上に置く。
それから、クラスメイトの女の子たちからもらった包みをカバンから取り出し、そっと開けた。理由もなく怖くて、すぐに開封できなかった、それ。
中に入っていたのは、ピンクと白が交じり合った、可愛らしいバスボムだった。
猫の形をした小さな石鹸や入浴剤も入っている。
「……はあ」
安堵のため息がこぼれる。
添えられていたカードには、Happy Birthdayの文字のほかに、数人の手書きのメッセージがあった。
花の横に、クラスメイト達からのプレゼントを並べた。
どれだけ贈り物の数が多くても、わたくし宛のものはこの2つだけ。
父と母のプレゼントはまだ開けてもいない。
音のしない夜の自室で心に残ったのは、何の変哲もないただの花と、高校生でも買えるような愛らしい雑貨だった。
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