第12話 冷たい夏の山にて


 じっとりとした蒸し暑い6月が過ぎ、乾いた風と共に夏らしい7月がやってきた。


 と、明るい気分で季節を語りたいところだが、月が替わっても湿気た暑さは続いている。

 暦はカレンダーをめくれば次が来る。けれど、昨日と同じ温度と湿度が続く中、そう簡単に気持ちは次の月へと追いつけない。

 更なる暑さと、やがてくる運命の日が、わたくしの心を痛めつけるように迫っていた。




「では、皆の者。準備を始めてくれ」


 3時間かけてたどり着いた他県にて、車から降りた親族の男が声を張り上げる。

 各々返答しながら、車内から祭具とも呼ばれる破邪の道具を取り出していった。

 本家にてすでに巫女服へと着替えていたわたくしも、自身の道具をまとめた風呂敷を抱き、目的地に降り立った。


 山の上に造られた、今年の3月に廃校となった学校。

 その建物が、静かにわたくしたちの前に立ちはだかっている。

 外観は綺麗な木造の校舎、といった印象だ。しかし、ここに来るまでに車で山道を登ってきたことを考えると、通学しないといけない生徒からは相当不評だったに違いない。


「少子化で、廃校か……」

「もうちょっと粘って、人がいてくれたほうがよかったかね」

「いやあ、弱い奴らは人の気配を嫌がるが、強い奴は人を食ったりするからな。逆に危なかったんじゃないか」

「この、状態じゃなあ……」

「ああ、魔除けも何もなくなってる。建てた時は、陰陽師か誰かがやってただろうにな」


 学校には近寄らず、数台の白いワンボックスカーの前で、大須賀家の者たちが話していた。彼らが『この状態』と言いたくなる気持ちもわかる。

 どす黒い、凍えるような靄に覆われた、校舎。説明で聞いたときよりも悪化している。

 わたくしたち破邪師の眼には、その異質さがはっきり映っていた。


 本日指揮役を務める男が、使用する祭具の変更など、現場の状況に合わせて指示していく。やる内容や配置に特に変更はないので、使い慣れた鈴串を握り締め、わたくしは気持ちを落ち着かせ集中していた。


 とうとう、この日が来てしまった。


 八重の巫女選定前の、一族の破邪師たちが最も多く集う最後の実戦だ。

 緊張と共に、方々に散らばる親族の動向を意識してしまう。彼らは普段通りの仕事と合わせて、わたくしとミチルを見定める役割があった。

 今回は、1匹でも多く妖を屠らねばならない。


 そんなわたくしのライバル、ミチルはというと――。


「はい? まだ来ていないのですか?」


 皆と同時刻に本家から出発したミチルを乗せた車は、山頂の学校までたどり着いていなかった。


「もうすぐ到着するので、予定時刻に始めて問題なしと連絡はあったのですが」

「そうですか……」


 打ち合わせは、大須賀家にて全て済ませてある。

 目的地に着いてからは、準備、指定時刻に開始、撤収の流れのみだ。余裕を持ってやってきたものの、あの女はギリギリになりそうらしい。


 やきもきとさせられているうちに、大須賀家所有の乗用車が、山道終わりの入り口辺りから校庭であるこちらへ走ってきた。ようやくミチルさまのご到着だ。

 遅れたことなど微塵も悪くないと思っている様子で、彼女は車外に出て気持ちよさそうに身体を伸ばしている。


「ミチルさま、ずいぶんとお時間がかかったようですが、道中何かあったのですか」

 遅くなった彼女への、質問半分、遠回しの嫌み半分のつもりだった。


「うん。あったあった。いろいろあって」

「い、色々?」

「そう、しょうゆととんこつと、あと塩ね。魚介だしのつけ麺とかもあって、迷いまくってさあ」

「……ミチルさま。えーと?」

「うん? ラーメン食べてた。これから破邪だっていうのにむっちゃお腹減ってたし」

「そ、それは良かったですわね」

「うん良い店だったねー。醤油にしたんだけど、自家製のチャーシューが分厚くて――」

「もういいですわ」

「えーまだまだ食レポ続けられたのに」

「もういいですから、用意を始めてくださいませ」


 一族の者を待たせて、遅れてきた理由がこれだ。

 一緒に乗車していた大須賀家の者たちも、本家の娘に逆らえなかったのだろう。

 わたくしは、車の中で大須賀家の者に渡されたサンドイッチで昼食を済ませた。そんなつまらない差で、いじけそうになる。


「用意言われても、破邪区域作成班でもないしなー」

「淀みない力を練り上げておくのも、破邪師として必要なことなのでは」

「おうおうー。みことちゃんまっじめー」

「ふざけないでください」

「だってさあ」


 彼女の瞳に、鋭いものが宿る。その先には、普通の人には立派に見える木造の校舎だ。


「この寒さの中で、集中するのって結構大変だし」

「……それは、まあそうですわね」


 ミチルも、もちろんわたくしも、気が付いている。

 クーラーの効いたワンボックスカーと違い、蒸し暑いはずの夏の山林。けれど、外に出てから、じっとりとした寒さが足元を這い上がってくる。


「なんなら、町に入った時から嫌な感じするしね。……山なんか特に」

「原因はこの学校でしょうが、麓まで気配はいたしましたわね」

「原因ねえ……まあ現時点で一番やばそうなのは学校だけど」

「ですわね」

「だってさ、これだけの気配なら破邪師がいることも感づいてる上級の妖が巣くってるだろうに、存在が揺らぎもしない」


 嫌な雰囲気を漂わせ、今は誰もいない校舎は狡猾にわたくしたちを待っているような気がした。不気味な存在が口を開け、その時が来るのをただずっと待っている。


「一応、妖たちから恐れられてる破邪師だよ。わかってて逃げもしないなんて、いい根性してるよね」

「気を引き締めて、挑まなければなりませんわね」

「おじさんたちは、区域どうするって?」

「上級護符の使用もやめて、宝玉に切り替えるとのことでした」

「これ見れば、当然よなー」


 破邪区域の威力は、作成する際の込める力によって変化するが、使用する道具によっても変わってくる。今回使う宝玉は、わたくしが普段使用している護符よりも数段上の祭具だ。事前に破邪師たちが力を注ぎこんだ宝玉を、区域の作成班数人が校舎の周りに設置している。

 ミチルは、ちょっと話してくるね、と指揮役の元へ行ってしまった。


 確かに、八重の巫女へとなるため、ミチルとの勝負は重要だ。

 けれど、まず今回の仕事をきっちりこなさなければならない。

 寒さからか、緊張からか、わけもわからず震えそうになる。


「みこと、様」


 少し遠慮したような面持ちの、見知らぬ男性に声をかけられた。

 真新しい白衣に、露草色の袴。薄青のその袴は、破邪師の見習いが身に着けるものだ。

 どうやら彼は一族の者ではなく、外部から受け入れた能力持ちのようだった。大須賀家の人間であれば、さすがに見たことがあるはずだ。


「はい。わたくしにご用ですか」

「こちらの式をご当主様より預かってまいりました。妖を滅した数を記録する物だそうです。鈴串に取り付けたいのですが」

「構いませんよ。……どうぞ」


 いつもの使い慣れた祭具を、胸の辺りまで持ち上げる。見習いの彼は、持ち手の少し上、下段の鈴の下辺りに、細長い白い布を結びつけていた。一見ただの布に見えるが、単純な命令に従う人工の式神だ。布の端の部分には、目のような丸い模様が墨で描かれていた。


「ご協力ありがとうございます」

「どういたしまして」

「あの、……みこと様」

「はい」

「……お気をつけて」


 それだけ囁いて、彼はもう1人の巫女候補の元へ歩いて行ってしまった。

 同じようにミチルの破邪の道具にも、式を取り付けるのだろう。


 だが――、ぞわりと肌が粟立った。


 彼とはたぶん、会ったことはない。初対面、のはずだ。

 大須賀家の破邪師の誰かに師事しているであろう、ただの見習い。


 すれ違いざまの、憐憫を含んだ表情。


 あれは一体、何だったのか。


 笑顔で自分の破邪の道具である剣を差し出すミチル。

 その柄の部分に布を結びつける見習いの男性。

 違和感の正体を探るようにその姿を見つめ続けても、得られるものは特になかった。

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