第9話 甘い密会と苦い記憶


「ほら、前に約束したでしょう。チョコレートを持ってきましたわ」

「ちょこれいと、ですか。しかし、拙者はもう前回のお礼はいただきましたが……」


 別荘に巣くう妖の破邪を成し遂げてから、もう数週間経っている。その時、手伝ってくれた村雲にチョコレートをあげると約束したが、月が替わってすぐにお礼のお菓子は渡し終えていた。


「一回しかあげない、とは言っておりませんもの」


 わたくしは、鞄から小さめの保冷袋を取り出すと中の白い箱をそっと取り出す。細めの黒いリボンと同色の文字で店名が印字された小さな入れ物だ。


「今日、取り寄せていたトリュフ・オ・ショコラが届いたので、あなたへの『お礼』ということで、一緒に食べませんか」

「みことさまあ……」


 喜色満面といった様子の村雲と、並んでトリュフを食べる。

 一粒が1000円近くする代物だ。口に入れてから、ショコラが蕩けてゆくまでじっくりと味わう。その価値を知ってか知らずか、隣の式神も一粒を大切に食べていた。

 耳が動く。目を細める。急に尻尾を揺らす。

 彼の細かい動きが、その味を言葉にしなくとも存分に語っていた。


「このちょこれいとは、お味が優しくて非常に美味でありまする」

「気に入ったようで良かったですわ」


 洋菓子が好き、と周りにはお嬢様っぽい好みを言っているが、わたくしはそこまで甘いものを好んでいるわけではない。この高級ショコラも村雲のために取り寄せたものだ。

 甘いものを食べて、喜ぶ。そんな彼の純粋な反応を見るのが、秘かな楽しみとなっている。

 大須賀の家では基本ミチルの近くに村雲はいるので、こっそり渡せるのは学校くらいだ。


「ミチルさまにねだってみたら、もっといろんな種類が食べられるかもしれませんわよ」

「いえ、いけませぬ……主さまになど申せませぬ」

「そんなに、甘いものが好きと知られたくないのですか」

「……恥ずかしいことです」

「はあ、よくわかりませんわね」

「主さまには、頼れる大人な式神だと思っていて欲しいですし……甘味で喜ぶなど小童のようではありませぬか」

「……ミチルさまは気にしないと思いますわ」


 声こそ落ち着いた男性のようだが、村雲が子どもっぽいのは十分ミチルに伝わっているだろう。どうやっても嬉しさはすぐ表情や動きに出る。ミチルの式神の構い方は、年下の子への可愛がりに近い。甘いものが大好きなのも、彼女にはバレているだろう。


「主さまには、選んでもらった恩がありまする。ですので弱みの無い式神として、しっかり頼っていただきたく。……いめえじが大事なのでありまする」


 柔らかそうな前足を、コンクリートの地面にてしてしと打ち付けて、彼は自慢げに胸を張った。もふもふの銀毛は日光を吸収してとても温かそうだ。


 選んでもらった恩――そう、ミチルには式神を選べるほどの力量があった。

 村雲にとっては誇らしい記憶だろうが、わたくしには忌まわしい思い出だ。


 本来、破邪師が妖を式神として使役することは、非常に珍しい。

 陰陽師から派生した能力の一端を、妖を滅することに特化させてしまった連中だ。はっきりいって『彼ら』が好意を抱く理由は皆無である。


 出会ってしまえば、逃がすか殺すかのどちらか。

 破邪師は、妖から嫌われているし、避けられている。


 だから、八重の巫女を目指し修行を始めて何年か経過して、一族の通過儀礼である式神の召喚をすることになった時も、期待などしていなかった。

 こちらに害を為すことのない妖を補佐として付けるのは、助かる場面も多い。だからこそ、破邪師たちは一度は召喚を試すことになる。成功すれば儲けもの、失敗しても人形などを利用した人工の式神の練習をすればいいだけのこと。

 つまり、契約できないのが当たり前の儀式であった。


 修行終わりに、幼いわたくしは言われた通り陣を書いて、言われた通り式を呼ぶ。結果は残念。答えるものなど一切なく、大人たちも間を開けてミチルの準備に取り掛かる。気を落とすな、自分もそうだったと数人の親族から慰められる。そして、本家の娘の番で予想だにしていなかったことが起こった。


 わたくしと全く同じ手順で、式神の召喚を行ったミチルは、一瞬にして部屋中を妖でいっぱいにしてみせたのだ。


 書物で見た、名有の妖たちも多くいた。天狗や河童や鵺やがしゃどくろもいたし、庭の方で音がするので襖を開けると竜が鎮座していた。そして、真の意味での式神である鬼までやってきていた。絶句する大人たちとわたくしをしりめに、囲む妖の中から小さな毛皮を引っ張り出して抱きしめたミチルは一言。


『ぜんいんはさすがに式神にできないから、このこにするね』


 その決定が下された瞬間に、全ての妖たちは消え去っていた。

 そもそも破邪師の本家に妖が大量にいることが異常事態で、早々に立ち去るのは当たり前だ。ぼやぼやしていると、破邪師に滅されるかもしれない。


 それでも、ミチルの呼びかけに彼らは答えたのだ。


 破邪師が妖を式神とする例はあまりないが、それは嫌われている以外にも理由がある。

 式神の契約をするということは、主の力を妖が取り込むことになる。

 そう、妖を滅する破邪の力を、だ。

 消滅のための術式がないただの力だが、ある程度能力の高い妖でないと耐えられないし、そもそも耐えてまで契約する必要性がない。その力がよっぽど魅力的でない限り。


 ミチルは昔、すっごく美味しい栄養のある毒みたいなもの、と自身の力を表現していた。

 解毒薬を所持してまで味わいたい毒など、よほどの物だ。

 わたくしにできないことをさらっとやってしまうのが、この女の腹の立つポイントである。




 そして、ミチルは村雲と契約することになったのだが――。


「イメージ、ですか……」


 ミチルを求める同族が多いことを知っている村雲は、こうして彼女の前で良いところを見せたがる。わたくしにとっては問題のない甘いもの好きという点も、ミチルに隠したがるのだ。何というか、背伸びしたい子どもそのものだった。


「わたくしには、秘密にしておかなくてもいいのですか」

 ミチルはダメで、わたくしにはねだるその理由は。


「みことさま、ですからねえ」

「なんですのそれ」

「不思議ですねえ」

「……1人は知っている人間がいないと、甘味がもらえませんものね」

「はっはっは」


 甘やかしてくれる都合のいい係ではなく、ミチルとは違う信頼を向けてくれているから、ということにしておきたい。

 それがわたくしの勝手な思い違いでもいい。


 爽やかに笑う村雲の口に次のトリュフ・オ・ショコラを押し込んで、わたくしももう一粒ココアパウダーのほろ苦さを楽しむことにした。

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