第5話 大須賀家当主


 自身のどうしようもない失敗はともかく、仕事としては無事に妖を滅することができた。

 管理人の男性ににこやかに報告をするミチル。

 一歩下がった場所で、わたくしは下を向いて待つ。「自分が綺麗にしたので、もう大丈夫ですよ」と伝えるミチルの言葉に嘘はない。そうだ、あれはミチルの功績だ、わたくしのものではない。


 酷く沈んだ気分のまま、来た時と同じ車に乗りこみ、大須賀家へと帰ることになった。

 本家に着いたら日課の修行をこなして、櫛笥の家に帰って、それから勉強をして、まだまだやることはたくさんある。けれど、わたくしはかなり疲れ切っていた。


 陽が落ちて、灯り始めた外灯の薄黄色の光が、線になって通り過ぎる。


 車窓からの眺めは、ぼんやりとした頭の中で、全て横になって遠ざかっていく。こちらが早く移動しているだけなのに、なんだか全てに置いて行かれているように錯覚した。


 隣に座るミチルとは一言も会話をしない。

 途中、わたくしを心配した村雲が近寄ってきたので、重い手を持ち上げて何度か彼の額と耳を撫でた。指先を柔らかい毛が押し返す。この式神に似たぬいぐるみがあれば、今すぐにも抱いて眠ってしまいたかった。


 けれど、わたくしの夜は、無事に過ぎ去ってくれない。


 宵が空を塗り替えて、星がきらめき出してしばらく経った頃、大須賀の本家にワンボックスカーは無事に到着した。正門の辺りにわたくしとミチルを下ろして、裏の駐車場へと車は消えて行く。


 もう、すっかり見慣れてしまった、巨大な屋敷。

 白の塀に覆われた広大な敷地と、見上げたくなる重厚な門、そこを潜り抜ければ立派な玄関。中の部屋も数人の使用人たちにより美しく保たれ、屋敷の左側に回り込めば、白い砂利の敷かれた和風庭園がお出迎えしてくれる。そして屋敷の後ろに聳え立つ、雄大な八重の山の背景。

 分家であるわたくしの家は別にあるが、本家の娘であるミチルの住まいであった。

 破邪の力があるとわかってからは、修行のためにわたくしもよく通っている。


 このまま修行に入るので、巫女服のままわたくしとミチルは荷物を抱えて、屋敷に入る。


「おかえりなさいませ」

「おかえりなさいませ、ミチル様、みこと様」


 使用人たちがすぐに出迎えて、持っていた制服や学校の鞄を回収してくれた。皆、わたくしたちがこのまま修行の間に向かうことは、よく知っている。

 つまらない意地だが、疲弊していることを悟られぬよう、屋敷の廊下を胸を張って歩く。そんなわたくしの数歩前を、ミチルは軽い足取りで進んでいた。

 ――しかし。



「当主様」



 修行の間へ向かう道すがら、まさかの人物に鉢合わせる。

 大須賀家、現当主――ミチルの父親だ。

 柳色の着物をまとった、中肉中背の厳めしい顔つきの男。

 彼は後ろに親戚の者たちを引き連れて、廊下の反対側からちょうど歩いてきたところだった。


「ただいま戻りました」


 立ち止まり頭を下げるミチルと一緒にわたくしも頭を下げる。

 体感気温が数度ほど下がった気がした。

 空気が固まったのではないかと思いたくなるほどに、身体の動きがぎこちなくなる。


 威圧。

 何かを言われたわけではないけれど、息を止めたくなるような恐ろしさが彼にはあった。


「ああ、戻ったのか」


 掠れたような重い声が、静かに耳に沁み込んでくる。


「はい、破邪師としての仕事を一件片付けてまいりました」

「知っている。今日は2人で行ったのだったな」

 顔はまだ上げられない。けれど、こちらに視線が向けられていることを感じて、わたくしは思わず唾を飲む。


「はい。みことと2人で、すませました」

「どちらが仕留めたのだ」


 一拍、ミチルの返事が遅れる。


「私が、滅しました」

「そうか、さすがだな」

「ありがとうございます」

「櫛笥の娘は?」

「彼女は補佐のみです、しかし力の消費量は同程度かと」


 何も言うことはない。

 わたくしは倒せなかった、補佐のみと言ってくれるだけで十分だ。

 わたくしの失態を報告しないことや、力はわたくしの方が使いすぎているなど、本当のことを伝えて訂正する必要は無い。今日自分を救ってくれたミチルには、仕事の内容を好きに報告する権利があると、諦めと共にわたくしはそう考えていた。


 だから、力の消費が同程度と言った彼女の真意にすぐには気が付けなかったのだ。



「そうか。では、八重の巫女の選定も近い、修行の間でお前たちの力を見せてくれ」



 当主の後ろの親戚たちが、ざわざわと話し出す。

「先ほどまでも、儀式について話していたのだ。まだ期間はあるがちょうどいい。現状での破邪の力を示せ」

「はい、当主様」


 わたくしは、思わず顔を少し上げてしまう。

 斜め前にいるミチルの横顔が目に入る。

 ――笑っていた。


 数秒置いて、やられた、と理解する。


 ミチルは今日、大須賀家で親戚たちの会合があることを知っていた。

 人数が集まっているとき、当主はよくわたくしたちの成果を見たがった。

 だから、……だから、別荘での仕事はわたくしにほとんどやらせたのだ。自分は破邪の力を半分ほど失う区域の作成を避けて、少量の力のみで妖を屠って。

 結果として仕事を為したのは、ミチルだ。これは動かない事実だ。

 だけど、彼女はわたくしたちの、消耗は同程度と、当主に報告してしまった。


 これから先の展開に、いいことなど何もない。

 たぶん、わたくしが負ける。

 もうほとんど力を使い切っているからと言っても、負け犬の言い訳にしかならない。

 全部話したって、わたくしのミスが露呈するだけだ。



 動き出した親族たちを、足を引きずるように追いながら、もうどうすることもできなかった。

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