ポークステーキ、成長ソースをかけて。

子牛くん

第1話

「ただいま、金閣。僕は今から夜ごはんだよ」

僕は、帰りにスーパーで買ってきた食材や飲み物をビニール袋から取り出しながら言った。本来なら、みんなと一緒に二次会に参加するつもりだった。日をまたぐまで飲もうと思っていた。全然そんな気分じゃなくなってしまって、抜け出してきたけれど。とりあえず、少しぬるくなっているヱビスの黒を空け、缶に口をつける。

「金閣、今日はおいしいものを食べよう。ビールもワインも、いいやつを買ったんだ」

食材もいいものを買った。あいつらは今頃、気取った酒を飲んでこじゃれた飯を食っていると思うと、そうしなければやっていられなかった。

 アメリカ産の豚こまではなく国産の豚ロースの厚切り。もやしではなく、人参にきのこ、玉ねぎに、季節外れのピーマンとトマト。どれも五年前は嫌いな野菜だった。今は食べられる。なんとなく、そういうものが食べたい気分だった。



 今日はホテルで大学の同窓会があった。大学卒業から、ちょうど五年経った春だった。僕は安月給のサラリーマンだったけれど、来年から係長になることになっていた。部下は二人の小さな係だが、少しは給料も上がるし、なにより社会人としてステップアップした感じがして、喜んでいた。

 同窓会は十八時からだったから、余裕をもって十七時半に着くようにした。就職が決まった時に母さんが買ってくれた一張羅のスーツに身を通し、お気に入りの青のネクタイを締めた。ホテルへ向かう電車の中で、周りの人が僕に注目しているような気がした。

 会場に着くとまだ人はまばらだったが、いくつか見知った顔もあった。テニスサークル所属で、彼女が途切れたことがないと評判だった男は、金色だった髪を黒くし、どことなくくたびれた灰色のスーツを着ていた。金八先生みたいなスーツだった。赤ではなく黒に金の縦線が入ったネクタイを締めているあたりに、学生時代の名残が感じられた。

 四十分を過ぎたくらいから、人が一気に集まり始めた。それぞれ、交流が続いている五人くらいのグループで、集まって来ているようだった。

 僕は学生の頃、サークルには入っていなかった。ゼミ仲間とのつながりも希薄で、基本的にはLINEで明けましておめでとうを言うくらいなものだった。そんな僕でも一応一人、杉島とは時々やり取りがあって、今日もあいつに誘われた。ゼミで知り合った杉島は話がうまくて社交的で、顔もそこそこ整っていた。人見知りで話下手な僕とは全然違うタイプだが、よく話しかけてくれた。杉島のおかげで他のゼミ生とも少し話せるようになり、ゼミの飲み会にも何度か参加させてもらった。飲み会に参加するのはそれくらいだったが、お酒のおかげで僕の人見知りも多少解消され、楽しかった思い出があった。

 今日も、同窓会が終わった後でゼミ仲間と二次会をすると聞いていた。直接会うのは卒業式の日以来だが、昔と同じように話せると思っていた。



「金閣、知ってるか? ピーマンは縦に切ったら苦みが抑えられるんだ」

ピーマンを横に切りながら話しかける。ロースには、少し濃いめに下味をつけた。薄いと味がわからないかもしれなかった。



 ゼミには白川さんという女の子がいた。物静かで、でも怒ると怖そうな、きれいな人だった。ディスカッションで同じ班になった時に、全く発言していなかった僕に気を回し、促してくれた。テーマから話題が脱線すると、彼女は自分の姿勢を正し、話題が戻るまで目をつむっていた。姿勢を正すときに揺れる長い黒髪が、雑談をたしなめるようだった。

 挨拶するにも勇気が要って、言葉を交わしたことは数度しかない。彼女も今日の同窓会に来ると杉島に聞いていたから、少しは話せると良いなと思っていた。あのころと違っていっぱしの社会人になった僕だから、彼女にも話しかけられると思っていた。きれいな彼女だからもう結婚しているかもしれないが、それなら幸せでいいことだ。青いネクタイを触りながら、僕は周りを見回した。


 「ここにいたんだ、探したよ」

などと言いながら、杉島がこちらに来た。会が始まって十分ほど経っていた。大手企業の営業職に就いたという杉島は、仕立てのいい青のスーツを着て、高そうな銀の腕時計をつけていた。記憶より少しふっくらしたように見えたが、それも杉島の人の好さを高めているように思えた。

「こっちにみんな集まっているから。君が最後だよ」

と言われながら連れていかれた先には、確かにゼミ生のみんなが集まっていた。

早めに来ていたつもりなのにおかしいな、そんなに気配が薄かったか。疑問に思いつつ挨拶して回った。

「お久しぶりです、お元気ですか、ご無沙汰しています、どうも、どうも、どうも」

 ゼミの時に一度は仲良くなれたつもりでいたが、五年もたつと関係がリセットされるのかもしれない。挨拶だけで終わってしまった。昔はもうちょっと愛想がよかった気がしたが、みんなそっけなかった。五年も経てば変わるものだとその時は思った。一通り挨拶し終わったが、白川さんはいなかった。まだ来ていないのか、しかし僕が最後だと言っていたのに。杉島は来ると言っていたが来ないのかな、と残念に思った。

 杉島以外のみんなの進路は知らなかったが、それぞれ一流どころに就職していたらしい。スーツやドレスをきれいに着こなしていて、車を買ったら維持が大変だとか、新婚旅行は地中海だとか、羽振りのいいことと話していた。部下二人の係長に昇進することで浮かれていた僕には、なんだか居心地が悪かった。

「そういえば、おめでとう、杉島君」

誰かが言い、その後みんなが決めていたように言った。何のことかわからなかったが、僕だけ知らないのは恥ずかしく、遅れて僕も言った。みんなが僕の方をちらっと見て、少し驚いた顔をしたように思えた。杉島はみんなに、

「いや、ありがとう。月子も来たがっていたんだけど。もうちょっとしたら式の日取りも決まるから、そうしたらまた連絡するよ」

と、少し照れ臭そうに言っていた。



 熱したフライパンにオリーブイルをひき、温まってきたところでトマトを入れる。トマトをへらでつぶしながら水分をしっかり飛ばした。トマトペーストができたら、塩コショウを振って、玉ねぎのみじん切りとキノコを入れ、炒める。ピーマンは最後だ。

「玉ねぎのみじん切りも、ずいぶん上手になっただろう。ほら、金閣。お前と暮らし始めた三年前とは比べ物にならない成長だ。それにしても、いいなあ、金閣は。玉ねぎのみじん切りをしても涙は出ないんだから。僕は手早くみじん切りできるようになったけれど、それでも涙は出るよ」

今日は特別、涙が出そうだった。



 杉島はそれから僕の方を向いて、

「君には言っていなかったと思ったけど、知っていたんだね。僕は月子、白川月子さんと結婚するんだ。今日は君が来るから来ていないけど、本当だから。だから、今後も月子にはかかわらないでね。念のためだよ。念のためだけど、言っておくね」

 いったいどういう意味だろう、と思った。よくわからないが、よく思われていないことはわかった。杉島は戸惑う僕に構わず続けた。

「ほら、君、大学の時月子のことが好きだっただろう? 君はコミュニケーションが苦手で、ゼミの時いつもじっと月子を見ていたから。だから、言葉で伝えるんじゃなくて、直接的な行動に出るかもしれないと思って、ゼミのみんなでそれとなく見張っていたんだ。幸い君は、月子のことを見つめるだけで、それ以上手を出すことはなかった。お酒が入ったら乱暴になるかと思ってたけど、飲み会だとかえって月子から注意もそれていたしね。でも、月子が僕と結婚するって知ったら、今度こそ行為に出るかもしれない。抑えていた月子への思いが噴出して、ストーカーになったり。それにほら、君は小さな会社に就職していて薄給だから、幸せな僕らへひがみを持つだろう。だから、今日は月子には来ないでもらって、みんながいるところで釘を刺しておこうと思ったんだ」



 下味がなじんだところで、ロースを焼く。じっくりと、焦げ目がつくように。絶対忘れないというくらいにしっかりと焼く。じゅうじゅうという音と、肉が焼けるいい匂いがした。ロースに焼き色がついたところで、赤ワインでフランベする。効果はわからないが、気分的にした。キッチンに、赤ワインの香りが広がる。

「金閣、いい香りだろう? と言っても、金閣にはわからないか」

 フライパンから、赤い炎が立ち上った。嫌なことをぜんぶ消し去ってくれそうな、真っ赤な炎だ。赤はいい色だと、今日は思った。青の対極にある色だから。



 もともと知っていたんだったらこんなに注意する必要もなかったのに、とか、気にしすぎだよ、とか、周りの声が聞こえていた。杉島はずっと笑顔だった。

 僕はみんなを友達だと思っていた。僕には過ぎた友達だし、深いつながりがあったわけではない。しかし、大学時代を一緒に過ごした、大切な友達だと思っていた。僕は人見知りで暗くて、貧乏で冴えないひょろひょろ男だった。だが、犯罪に走るように見えたのか。ゼミで一緒に勉強していたあいつらは、ずっと僕を要注意人物だと思って見ていたのか。そう考えると、止まらなくなった。

 大学卒業から五年たって、僕だって成長した。昔よりちゃんと話せるようになったし、慎重になった。貧乏だからひがむなんていう勝手な決めつけもやめてほしい。白川さんのことだって、好きだったのは確かだけれど憧れに近くて、無理矢理どうにかしてやろうなんてつもりはなかったし、今はもっとない。

「杉島くんと結婚するんだよ」と、幸せそうに言ってくれたら、僕も「おめでとう、お幸せに」とちゃんと言えた。何か難しいことじゃない、普通にしてくれればよかった。なのに、何もしていない、五年ぶりに会った僕を未遂犯みたいに扱って。白川さんのことが大事なのはわかるけれど、こんな対応をしなくてもいいはずだ。

 気が付いたら僕は会場を出ていた。もう日は沈んでいて、建物の灯りと街灯がぼんやりと僕を照らしていた。スーツを着た僕を、周りがじっと見ている気がした。



 ひっくり返して、裏面もしっかり焼いていく。またじゅうといって、肉の焼けるにおいがした。表面のこげ茶色の焦げ目が食欲をそそる。

 裏面を焼きながら、同時並行でソースを仕上げていく。ピーマンを入れてペーストをまぜ、しなっとしたところで水と調味料を入れる。くつくつと沸騰したら少し煮詰め、最後にオレガノを振った。オレガノは昔、鎮痛剤として使われていたこともある。友人を一日で全員失った今日の僕には、ぴったりのスパイスだ。

「でも。金閣には要らないな、むしろけがをさせる側だから。お前も前より大きくなって、僕もけがをしやすくなっているんだぞ」


 皿に焼きあがったロースをのせ、その上からソースをかけた。もうもうと湯気が立ち上り、出来立てをアピールしている。しっかりと焦げ目のついた豚に、真っ赤なソース、緑のピーマンと茶色いきのこ。色とりどりで美しい。息を吸えば、肉の焼けたにおいとトマトの酸っぱいにおい、それにオレガノのすっとする香りがまじりあっている。

 スプーンを手に取り、ソースだけをすくって口に入れてみる。鼻にすっとオレガノが抜けた後で、トマトの酸味と甘みが感じられた。咀嚼すると、きのこの味とピーマンの苦み、それからシャキシャキとした玉ねぎの食感が一度にあふれる。とてもおいしい。僕はひとつうなずいて、ナイフとフォークを手に持った。


 フォークでロースを抑え、ナイフをギコギコと動かす。引き出しから引っ張り出してきたナイフは切れ味が悪くて、なかなか切れなかった。押し切るように切ると、抑えつけたロースから肉汁がじゅわっとにじみ出て、ソースと混ざった。切ったロースにその部分のソースつけ、口に運ぶ。

 ロースはやわらかく、口の中ですっと噛みきれた。一口噛むと、口の中に豚の味が広がる。その後でトマトのさっぱりとしたソースがやってきて、濃い豚を中和した。肉汁は一瞬だけ強く主張し、しかしすぐに消えていく。ソースの中の野菜も、ロースがあることでさらに引き立っている。しつこくなく、飽きない味だ。

 あっという間に食べきってしまった。とても満足だった。


 五年前の僕は、この料理の材料ほとんどが食べられなかった。赤ワインは当然だが、トマト、特に火を通したトマトは、食感がグニグニして、変に酸っぱくて無理だった。ピーマンは苦くて、キノコも変な味がして苦手だった。玉ねぎは、煮物なら食べられたが、食感が残っているものは嫌いだった。だから、もし子供の頃この料理が食卓に出てきたら、多分ソースは全部どけて、豚肉だけ食べていたはずだ。

 しかし今の僕は、このトマトソースをおいしいと感じている。酸っぱくて、苦くて、複雑な大人の味だ。昔はわからなかったが、今ならわかるおいしさだ。

 

 学生の頃の僕はたしかに、言葉を交わすのが苦手な、傍から見るとアブなそうなだけのやつだったのかもしれない。自覚はなかったが、言われてみれば白川さんのことをよく見ていた気がするし、警戒されていたことも思い当たる。だから、悲しいけれど、その点を不満には思うまい。

 けれど僕は、卒業して五年の間で苦労して、少しは変わった。変わったというか、複雑になった。しかし杉島は、そのことを認識していなかった。五年前の僕をそのまま当てはめて、警告してきた。それが一番嫌だった。

「なあ、金閣。このポークステーキは成長の味だ。変化して複雑になった、今の僕の形だ。おいしいかったよ。しょっぱくて、苦くて、酸っぱくて。繊細で複雑な味だった。味わえば味わうほど、いい味だった。お前は食べられないけれど、伝わっているかい?」

 三年の間にとげが鋭くなり、体も二回り大きくなったサボテンが揺れて見えた。うなずいているみたいだった。

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ポークステーキ、成長ソースをかけて。 子牛くん @koushi-kyo

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