第35話
ミラ様達と一緒に地下牢を抜け出した私達は当初アジトが襲われた時に集まる目印として決めていた湖畔までやって来ていた。
道中、王国騎士が追いかけてきたりしましたが、ライダ様を始めとした皆様が追い払ってくれ、この場所に辿り着く頃には誰一人追いかけてくる気配などありません。
「……当主様は大丈夫でしょうか?」
「大丈夫だと思うわ。何せ、私達のファミリーの中で一番強いもの……あ、もっと優しく巻いてちょうだい」
「も、申し訳ございませんっ!」
そして今、地下牢で私を助けてくださった皆様は他の皆様を待っている状態です。
その間に負傷した方々の治療を行っているのですが……申し訳ございません、ミラ様。私、治療するということは初めてなんです。
「まぁ、いいわ───それより、ライダはほんとしぶといわね」
「あァ? てめぇに比べたら俺なんか腹に一発刺さった程度だろうが? 俺がしぶといって話なら、てめぇの方がしぶといだろうが」
ライダ様が包帯をお腹に巻かれながら、横になっているミラ様に悪態をつく。
確かに、ミラ様に比べればライダ様の怪我の方が軽い気がします。
ですが、痛々しいお二人の傷を見ていると罪悪感が込み上げてきます。
「本当に、申し訳ございませんでした……」
「気にするこたぁねぇよ。こんな傷、一日二日で治るもんだからな」
「そうよ、しばらくはゆっくりしたいけどね。それに、その話はもう終わったでしょう?」
「……はい」
お二人が私に笑いかけてくる。それが無性に嬉しくて、またしても涙が溢れそうです。
「それより、あなたの方こそ大丈夫なの?」
「えぇ、ここに来るまでの間に自分の中で割り切りましたから」
イリヤという親友が私を陥れたこと。そして、死んでしまったこと。
自業自得、因果応報だということは承知しています。ですが、割り切れるかと言われればすぐには割り切れませんでした。
私を殺そうとしたことにショックを覚えましたし、罪を着せられたことに憤りもあります。
ですが、それはこれからの人生でずっと恨み続けることは私にはできません。
だから、割り切った。と言いますが、完全に割り切れていないというのが本音です。
どれだけのことがあっても、今までイリヤと過ごしてきた時間は本物です。イリヤも理想を追いかけていただけで、私のことは「親友です」って言ってくれました。
だから、思い出として……胸の中にそっとしまうことにします。
それと、イリヤからもらったブレスレットとミサンガも一緒に───
「私はもう、レイシアファミリーの一員ですから」
「……そう」
引き摺るかもしれませんが、それでもゆっくりと割り切れていけたらと思います。
この人達と一緒に過ごしながら、今までの恩を返していきながら───
『帰って来たぞー!!!』
そんな時、不意にファミリーの一人が慌てて私達の下にやって来た。
「当主が帰ってきたのか?」
「あぁ、帰ってきた! ちゃんと誰も欠けずに!」
その言葉を聞いて、ミラ様の表情が柔らかくなった。
きっと安心したのでしょう。私もそれを聞いて、ホッと胸を撫で下ろしてしまいました。
しかし───
『でも、それどころじゃねぇんだよ! 当主が……当主がやべぇんだって!!!』
次に出た言葉が、一気に場を震撼させます。
冗談を言っている様子もなく、額に汗を浮かばせながら焦っている様子。皆が一斉に立ち上がる。傷を負っているライダ様も、立ち上がれる状況でもないミラ様も。
「当主様はどこなのですか!?」
私も立ち上がり、その人に詰め寄ります。
その人は湖畔の入り口を指差すと、私は急いでその場から走り出しました。
湖畔の入り口は、恐らく私達が来た時に通った道のはずです。森という木々に囲まれた場所に一箇所だけ人が通るために整備された道があります。その終わりこそ、湖畔の入り口。
息が切れそうになりながらも、私は必死に足を動かす。
そして、湖畔の入り口で何人もの人集りができているのを見つけ、その集団に駆け寄った。
するとそこには、横になっている当主様の姿がありました。
「〜〜〜ッ!?」
ですが、無事という言葉がはばかられるほど。
修道服はところどころが破れ、胸には刺されたあとのような傷口がいくつもあり、ファミリーの方が必死に布で押さえていますが、血が止まる様子を見せていません。
レイシア様の顔は死人と言われても違和感がないほど血の気が失われていました。
「当主様っ!」
私は当主様の傍に寄る。
胸が小さく上下しているので、まだ息があるということだけは分かります。
それでも───
『やべぇよ、血が止まんねぇ! このままじゃ、マジで死んじまう!』
ここに来るまでにどれだけの血を流してきたのかは当主様の様態を見れば分かります。
今すぐにでも治療をしないと、息を引き取ってしまうというのも素人の私ですら分かります。
『だがどうすんだよ! こんな傷、塞げるような道具も揃ってねぇぞ!』
『合流する前に治療できるような場所に連れてけよ!』
『無茶言うな! こっちだって当主を連れて来るのにどれだけ必死だったか分かってんだろ!』
焦りが拭えないからこそ、皆様は八つ当たりを始めてしまう。
ですが、それはあくまで自分の行き場のない不安を紛らわせようとしているだけ。
現状、アジトを失った私達のファミリーにはちゃんとした医療設備も薬師もいない。これ以上、何かができるわけではありませんでした。
(当主様……)
私は当主様の顔をそっと撫でる。
起きてくれる気配はありません。いつも見せてくれていた明るい笑顔も浮かべてくれません。
ぽろぽろと、私の瞳から涙が溢れる。
今日は一体、何度涙を流せばいいのでしょうか? でも、泣くなという方が無理です……私のために、一度「助けて」といった人間のために、こんなになるまで助けてくれたのですから。
「私、まだあなたの背中を見続けていません……恩も、たくさんいただいたのに……」
どうして、目を覚ましてくれないんですか? どうして、このような状態になるまで頑張ってくれたのですか? あなたの理想は、どれだけ眩しいものなのですか?
「おい、そこを退けっ!」
皆様を掻き分けて、ライダ様がミラ様を連れて当主様の下までやって来た。
そして、横になる当主様を見て……ミラ様が崩れ落ちるように座り込み、私と同じように涙を流し始めた。でも、その表情は笑っています。
「馬鹿なんだから……こんなになっちゃうまで戦って。前にも言ったじゃない、命あっての物種だって」
頑張った子供を褒めるような、それでも言いたい言葉を我慢しているような、そんな表情。
ライダ様も涙を流すことはしませんでしたが、唇を噛み締めて拳を震わせている。
それから皆様の口数が徐々に減っていき、やがては静寂が湖畔を包み込む。
皆様の顔は悲痛なもの。涙を流し、嗚咽を静寂の中に響かせる。
人はいつしか死ぬ。それでも認めたくなくて、早すぎると嘆きたくて、諦めたくなくて。でも何もできなくて。涙を流すことでしか行き場を埋められなくて。
それが苦しいです。見渡した時に、どうしようもなく心が痛んでしまいますから。
ですが、私も同じような顔をしているのでしょう。
それでも、あの時温かさを教えてくれた皆様の顔がそのように歪むのは見たくありません。
皆様も、当主様にも―――ずっと笑顔でいてほしいのです。
見せてくれたではないですか、落ち込んでいる私に幸せを運ぶ神様みたいに優しくて心を掬い上げてくれるような明るい笑顔を。
この人達には今の顔は似合いません。だから当主様も、笑ってください。
そのためでしたら、私は—――
(あぁ、そういうことなのですね……)
一つ、私の中で何かが落ちるような音が聞こえた気がした。
その音は私が埋められずにいたピースを綺麗に埋めていくような、嵌まった音。
「……ミラ様、私が言う言葉のルーン文字を教えていただけませんか?」
当主様の顔を優しく撫でていたミラ様が私に向かって顔を上げる。
「い、いきなりどうしたのソフィア……?」
唐突にこのようなことを言われれば誰しも戸惑うはずです。
こんな状況で、こんな場面で。でも、こんな状況だからこそ、私は口にする。
「お願いします、ミラ様!」
私の剣幕に、ミラ様だけでなく皆様が驚いた顔を見せた。
ですが、私には関係ありません―――ただ、この想いを言葉にすることだけを考えます。
いや、言葉にするのなど簡単ではないですか。今、想っている気持ちをそのまま口にすれば。
刻み名とは『理想を道具に認識させるもの』だと聞きました。
それによって道具は魔術具となり、初めて魔術が使える基盤が整えられる。
私が足りないのは、理想———追いかけ続けられる、揺るぎない理想。
「『皆が笑っていられるような世界を』……」
この場所を、皆様が笑っていられるような世界を―――私は守りたい。
それが、私の理想と成り得るには十分だと、皆様を見て気が付きました。
「……分かったわ」
ミラ様は何か納得したような顔を見せると、ファミリーの誰かから筆と紙を借り、そのまま書き記していく。そして、その紙を私に渡してきた。
「それが、ソフィアの理想なのね?」
「はい、これが私だけの理想です」
その紙を受け取ると、私は腕についてあるブレスレットを外す。
(イリヤ……お借りしますね)
こんな状況でも真っ先にイリヤからもらったプレゼントを取ってしまいました。
ということはやはり、あんなことがあってもずっと傍に置いておきたい思い出なのでしょう。
私は魔力を指先に集中させる。もらったブレスレットの上にミラ様が書いてくれたルーン文字をそっと触れるように刻みつける。
淡く、薄く、それでも優しく包み込んでくれるような光が私を包んだ。
そして───
「私のテーマは……『復元』です」
術式、そのようなものは私には分かりません。だから、私にできることはイメージをすること。当主様も、イメージが大切なのだと教えていただきました。
どうすれば、皆様が笑っていられるのか? 笑ってもらうためには当主様を治さなければいけない。治すためには傷口を塞ぐ必要があります。新しく傷口を縫う? 素人である私が縫い方を知っているわけがありません。であれば、元に戻してあげればいいのです。傷など負っていなかった当主様に。私に眩しいような笑顔を見せてくれている当主様に。
魔力をブレスレットに注ぐ。そして、私はそのイメージを当主様の傷口に乗せる。
───魔術は、編み出すことが難しいという話です。
それは分かっています……何せ、術式などというものも、どうすればこのテーマが実現できるかも分からないのですから。
(でも、お願いします……どうか、この魔術を編み出させて下さい!)
もう一度、当主様の笑顔を見させて……私を救ってくれた当主様に恩を返させてください。
そして、これからの人生を───当主様のお傍で、背中を見続けさせてください。
「……ソフィア」
この方法が正しいのかは分かりません。
それでも、イメージを魔力に乗せて当主様に流し続ける。
すると───
「……傷が」
誰かが、そう呟いたのが聞こえた。
そして、傷がゆっくりではありますが……小さくなっていきます。
『当主の傷が!!!』
『ほんとだ! 当主の傷がどんどん小さくなってる!』
『頑張れ嬢ちゃん! 頑張れ!』
希望が見えたのか、皆様は声を張り上げ始めます。
俯いた気持ちなど忘れてしまったかのように、皆一様に当主様と私を励ましていく。
やがて───
「げほっ!」
当主様が、ここに来て初めて……ちゃんとした、生きているという反応を見せてくれた。
気管に血が溜まっていたからか、一度血を吐き出すと何度も何度も咳き込む。
苦しそうで、辛そうではありましたが、私達にはそれが生きているという証で嬉しかった。
やがて傷口は見る影を失い、当主様のきめ細かな綺麗な肌へと戻っていきく。
「……やった」
疲労感が一気に押し寄せてきました。
それでも確かな達成感が込み上げてきて、今まで感じていた不安や焦燥感は綺麗さっぱりなくなっています。
当主様の目が、ゆっくりと開かれる。
透き通った瞳が私に向けられ、当主様の顔に小さく笑みが浮かんだ。
そして───
「おかえり、ソフィアちゃん……」
「はいっ、ただいま、戻り、ましたっ……!」
うぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!!!
そんな皆様の歓喜の声が、湖畔に響き渡った。
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