第34話
―――そうとした剣を止めた。
そして、二コラはすぐさま突然現れた声のする方に顔を向ける。
「様子を見に来てみりゃ、このざまか! くたばるんなら、俺が救いの手を差し伸べて《・・・・・・・・・・》やろうか? ピンチみたいだしなぁ!」
二コラが歯軋りをした。どうしてか? どうして、見上げた顔で忌々しそうに見るの? 二コラが見てる場所って、ただ敷地内を覆う壁しかないよね?
(……ううん、分かってる)
どうして? って。そんなの声を聞いた瞬間に分かったよ。
あの時と声音も変わんない。忘れるはずがない。絶望の淵に立たされていた私に救いの手を差し伸べてくれた……そんな姿に憧れた、おじさんの声にそっくりなんだから。
「倒す正義は目の前、救わなきゃいけない相手は近くにいる、ついて来てくれた仲間がまだ立っている! それでも、嬢ちゃんは立ち上がらないのか!?」
どくん、って。私の胸が跳ね上がった。じんわりと、温かさを取り戻していく感覚が起こる。
「救え、救え! そしてどんどん悪党を倒していけ! 嬢ちゃんを見て従ってきた奴らがこんなにいるだろ!? そんな奴らの期待に応えるのも、大悪党の責務だ! 一人の騎士がなんぼのもんだ、善人の言葉がなんぼのもんだ! 正義? 悪党? 善か悪か―――そんなの、嬢ちゃんの理想を前にすれば屁でもねぇ!」
顔は見えない……見ちゃいけない気がする。
ここで見てしまえば、私は目指して憧れたものに遠のいて、縋ってしまう気がするから。
「さぁ、ふんばれ! まだ公爵令嬢は救えてないぞ! 差し伸べた手を拾い上げてすらいねぇ、諦める時間でもねぇ! その理想を貫いて見せろ! 安心しろ、どうしても無理っていうなら、俺が助けてやるよ」
激励が……憧れの人からの応援が私に届く。
どうしておじさんがここにいるの? ねぇ、どうして私を応援してくれるの?
(……違うよ、そうじゃない。今はそんなことを気にするんじゃなくて―――)
そんなに応援されちゃ、頑張るしかないじゃん。
私は、もう俯くことはできない。
だって、私は———
「ありがとう、おじさん……」
「頑張れ、頑張れ! 嬢ちゃんの進む道は、俺がずっと見といてやるからな!」
私は魔力を練り上げることができた。おじさんが、少しだけ時間を稼いでくれたから。
二コラが慌てて剣を振り下ろすけど、立ち上がって私は思いっきり鳩尾を蹴り込む。
「ッ!?」
距離を取らされた二コラの顔が歪む。
それはおじさんが現れたからか、抵抗しないと思っていた私が抵抗したかは分からない。
でも、私は拳を握った。
おじさんが応援してくれたんだし……何より、私の理想の前で無様は見せたくない。
「これで終わらせよっか、王国騎士団副団長」
魔力を集中させるの……未完成で不安定だけど、それでもこの戦いを終わらせるために。
「憤怒が第三項―――形状変形、
修道服が金色に輝き出す。徐々に瞳に映る景色の色合いが変わっていき、腕や足に鋼のような鱗が現れ、背中から黒く覆われた翼が生え、私の額から一本の角が姿を見せた。
関節が軋む、目が焼けるように熱い、立っている足が異様に軽い。
竜人族という生物は、竜の力をその身に宿し、驚異的な身体能力と何物をも通さない頑丈な肌を持ち、大地を焼き尽くすほどの息を吐くと言われている……伝説上の存在。
人の身をしている生物の中では頂点。一人現れれば国が一つ焦土になるという話。
「……人の身で竜にまで手を出すか、下郎」
二コラが私の体を見て歯軋りをする。そうさせるほどの人間に、私は成った。
「あまり時間がないから、早く始めちゃおうね」
ネメアの獅子もそう、怪鳥ガルーダもそう。
私は今まで体の一部分を変形して体に当て嵌めていた。そうしないと、私は形体を維持できないから。完成形をそのまま形作るにはそうすることしかできなかった。
今の私は竜人族の全てを体に当て嵌めた完全形。
当て嵌めることができても、まだ完全には竜人族には成り切れてない。
レイシアという存在を当て嵌める時は、元が私の体だから維持することも当て嵌めることも簡単……でも、他生物の場合は崩れないように魔力をずっと流し続けなきゃならない。
その消費力は馬鹿にならない―――もって、数分。
それでもやらなきゃ。
「救われぬ者を救うために」
ソフィアちゃんを助けるために、時間稼ぎよりも―――
「この敵を、ぶっ倒す!!!」
私は全力で地を駆ける。一瞬にして間合いが詰められた。
二コラは私に向かって剣を投擲するけど、ことごとくを拳で殴り折る。
「くそ、がッ!」
二コラちゃんが剣を私に振り上げるけど、先に拳を叩きつける。
「がはっ!」
私は容赦なく拳を叩き込む。何度も何度も何度も。二コラの体が壁際まで押されようとも、拳を剣で弾かれようとも。宙に浮いた剣が私の背中を何度も突き刺そうと投擲されるけど、鱗の前では弾かれるだけ。
「お、おぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!!!」
二コラの甲冑がへこんでいく。国が誇る技術を詰め込んだ甲冑が形を失いつつある。
それでも二コラは全力で雄叫びを上げながら私の拳を弾いていった。
「落ちてよぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!!!」
我慢比べなのかもしれない。私はどんどんなくなっていく魔力と、燃えるように熱い目を堪えながら、二コラはその身を守るために私の攻撃を集中と根気が切れるまで。
どちらかが折れた方が負け。落ちた方が負ける。
背中に当たる剣が徐々に痛いと思い始めてきた。なんで? という疑問はすぐに解消された。
(一点集中……ッ!?)
鱗が頑丈であれば、一つの場所に集中して攻撃して鱗の耐久値を減らせばいい。
一つの鱗さえ破壊してしまえば、そこから見えるのは生身の体なのだから。
殴打と殴打。それしかしていない私は何分の時間を過ごしたのかな? ついに―――
「がふっ……!」
私の鱗が、破られた。そこから三本の剣が私の背中に突き刺さり、胸から剣先の姿を見せる。
完全形になった私に自分の体を当て嵌めて傷を癒すことなどできない。竜人族の驚異的な再生能力も、剣が突き刺さったままじゃできるわけがない。
それでも、私が落ちる理由にはならない。
殴って、殴って、殴り続けて。ニコラの顔が痣だらけになって、血を流し始めたとしても、止めるつもりはもうない。
ニコラの体が押され続け、やがて壁際に背中をつけるまでになってきた。
(魔力がなくなっちゃう……ッ!)
気づけば私の魔力はもう残り僅か。あとどれぐらいもつかな? 数分? 数十秒? ううん、関係ない───
(相手が倒れるまで、絞り出す!!!)
胸板に拳を叩き込むと、ニコラは口から血を吐き出し、背中の壁が大きくヒビを入れ始めた。
「こん、のっ……悪党がぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!!」
ニコラの剣の切っ先が私の左目を深く斬り裂いた。
……ミラと、お揃いになっちゃったな。
「負けるもんかぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!」
背中と胸が燃えるように熱い、左目が斬られて開けない。それでも私は拳をもう一度強く握り締めて、大きく振りかぶる。そして───思い切り、ニコラの顔面に叩き込んだ。
「ガッ!?」
ニコラの頭が壁にめり込む。ミシミシっていう音が、私の手からなのか、ニコラの頭からか、壁が割れ始めているのかはもう分かんなかった。
関係ない。私は本気で力を込めてそのまま振り抜いた。
するとニコラの体は壁を突き破り、敷地の外へとその身を投げた。
グサッ、と。私の背中にもう一本剣が突き刺された。硬い鱗を突き破るにじゃ何度も同じ場所に当てなきゃいけないっていうのに、ニコラは殴られ続けても正確に操り続けたのだ。
自分の身も守らなきゃいけないっていうのに、そっちにも意識を割いていた。それは執念なのか? でも、もう関係ない。
私は大きく息を吸った。最後の魔力を全部使って───
「
ゴォォォォォォォォォォォォォォォォォッ!!!
ニコラに向かって、私は体内で生成した炎を吐き出した。
竜人族の吐き出す息吹は山を削り、辺り一面を焦土にさせる。今、私が出してるのはそれと同等のものだ。
「ぬぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!!!」
ニコラが纏っていた剣を盾のようにして息吹を防ぎ、なんとか踏ん張ろうと持っていた剣を地面に突き刺して耐える。壁はお菓子みたいに簡単に崩れて吹き飛ばされていく。緑が多かったはずの一面が燃え上がり煤焦げた匂いが鼻腔を刺激した。
……ここが王都の端でよかった。それに少しでも方向が違う場所に向けていれば人が住んでいる場所まで
(吹っ飛べぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ!!!)
耐えるか競り勝つか。魔力が欠乏する時に感じる頭痛と倦怠感が停止を命じてくる。
爆炎が傷口を燃やしていき、壁がボロボロになって彼方へ瓦礫と化して飛んでいく。その中に、ニコラも含まれてほしいと願いながら。
そんな時、ピキっと。何かがひび割れる音が聞こえた。
そして───
剣の盾が、瓦解した。
瓦解してしまった剣は後ろに控えるニコラの肌を掠め、肌を焦がす熱風と衝撃波がニコラに襲いかかった。山を消し飛ばす
悪足掻き、最後の抵抗だったのかもしれない。部下と戦っていた騎士の剣の主導権を奪うと、鱗が壊された私の背中へと投擲して突き刺していく。
「ははっ、でも……」
私は大穴が開いた壁の先、彼方に飛んで行ったニコラの姿を見る。
竜人族の目は彼方を見渡せるほどに目がいい。だからニコラの姿もちゃんと見えてるんだ。
甲冑はあちらこちらが砕かれ、焼け焦げている肌を晒し、地面に横たわってピクリとも動く気配はなかった。
つまり───
「私の、勝ちだぁ……」
気が抜けた瞬間、私の額から角が消え、翼もボロボロと崩れ始めた。鱗も徐々に形を失っていき、最後には私の白い肌だけが残った。
完全形ではあるけど、完成形にはできなかった。だから魔力がなくなれば形作る枷はなくなり、元の姿に戻らざるを得なかった。
私はそのまま仰向けに倒れる。焦土から生まれた黒い煙が青空を覆っている、そしてその中に一つだけ……白い煙がのろのろと主張しているように昇っていた。
白い煙は、ミラ達がソフィアちゃんを助けたっていう合図。
だから───
「お疲れ、嬢ちゃん。お前はちゃんと大悪党の理想を貫いたぜ!」
そんな言葉が、聞こえてきた。私はその言葉に思わず笑みを浮かべてしまう。
……ちょっとだけでもおじさんの顔を見たかったな。でも、私の下におじさんが来ないってことは、まだまだ理想には遠いってことなんだと思う。
だから───
(次はちゃんと、顔を見て……もう一回あの時のお礼が言いたいなぁ)
徐々に寒くなってきた。仰向けに倒れちゃったけど、まだ剣が刺さったまんまなんだよね。めり込んで痛いなぁ……頭も痛いし目も痛い。万全な私の体に戻りたいけどもう変形するほどの魔力が戻ってないし、このままじゃヤバそう、死んじゃうかな?
(でも、すっきりした)
あちこちから「撤収だ!」、「早く当主の手当てをしろ!」っていう部下の声が聞こえてくる。王国騎士のどよめきも一緒に。追いかけてくるかな? しっかりと逃げ切れたらいいなぁ。
(あ、でもそろそろ無理かも───)
私は、その場で意識が黒くて深い闇に覆われた。
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