第29話

 何が起こったのか? 混乱していた頭では、上手く捉えようがありませんでした。

 ただ分かるのは、イリヤが腕を振るったあとのような姿を見せていて、手にはいつの間にか腕一本分ぐらいの血が付着した短刀を手にしていたこと。

「……え?」

 そして、騎士の首から血飛沫が飛び出していることでした。

「……あ?」

 首から鮮血を飛ばした騎士が呆けた顔をしながら地面へと崩れ落ちていきます。

 その姿を見て、私は声にならない叫び声が喉から出てしまう。

「〜〜〜ッ!?」

 ですが、イリヤだけは違いました。

「さてと、鍵はどこにありますかね〜?」

 倒れた騎士に声をかけるわけでもなく、甲冑の中をそそくさと気にする様子もなく探る。

 誰も中に入ってくることもないからか、イリヤの行動は誰に止められることもありません。

 混乱していた頭がほんの少しだけ冷静さを取り戻し、徐々に状況を飲み込んでいく。

「イ、 イリヤ……あなた、何を!?」

「おかしなことを聞きますね、ソフィア様? 鍵を開けてくれないなら鍵を奪うしかないじゃないですか。あ、それともこの短刀ですかね? 内緒にしてましたが、こう見えても私って魔術が使えるんですよね~! ちなみに、これはその魔術によって作ったものです」

 探る手を動かしながら、イリヤは私の顔を一瞥することなく口を開く。

「私、ほしい物はなんでもほしいタイプの女の子なんですよね」

 唐突に、脈絡もなく語り出したその言葉に、私は何も返せませんでした。

「といっても、貴族の……それも侯爵家に生まれた私に手に入らないものなんてほとんどなかったです。金も人も物も。といっても、もちろん手に入らないものもありましたよ。たとえば―――妃という地位・・・・・・とかです」

 ガサゴソ、と。甲冑と布が擦れる音が響く。

「妃ってよくないですか? 国のほぼトップですよ? 殿下には興味はなかったですけど、地位だけはどうしてもほしくなちゃったんです……だから、私は奪うことにしたんですよね~」

 イリヤは動く手を急に止めると、一気に甲冑の中から手を引っこ抜いた。

手には一つの小さな鍵が……表情はとても晴れやかです。

 半面、私は背中に悪寒が走り———何かが、壊れそうな音が耳にちらつきました。

 恐らく、私が口にしようとしている言葉に返答があれば、何かが終わる。

 終わってほしくないという思いと、嘘であってほしいという思いが入り混じる。

 それでも、イリヤの言葉を聞いているとそうじゃないかという気持ちが強くなりました。

 違和感は徐々に確信へと近づいていく。

 それでも、否定してほしいという私の心が……答えを求めてしまった。

「ど、どうして……イリヤは、何がしたいんですか?」

 そして、イリヤは———


「ソフィア様……自分の理性がなくなる感じ、どうでしたか?」


 疑問に対する答えを、言ってはくれませんでした。

 その代わり、否定してほしかった《・・・・・・・・・》はずの答えを口にしました。

「あれ、私の自信作なんですよね! 相手の意識を乗っ取って命令を飛ばすなんて、普通の呪術具じゃ難しいですし、そのせいで今まで何度も壊れちゃいましたよ。ですが結果オーライ! イリヤちゃんの大成功ですね! いやー、実は教団の皆に内緒にしてたんでひやひやですよ。」

 以前に聞いたことがある単語が耳に入る。

「呪術具……?」

「ほら、ちゃんと自信作って言って渡したやつですよ」

 イリヤが渡してくれた自信作……といえば―――

「このミサンガ、ですか?」

「いぐざくとりー! っていうか、魔術が使えないソフィア様が呪術具を知っていることに驚きです。まぁ、これからは私達の教団が広めていきますけども」

 イリヤは軽い調子で口にする。ですが、私は心が折れる……そんな音が聞こえてきた。

 もう、全てが否定できない。求めていた答えが、決して望んでいない答えとしてつまびらかになってしまう。

 どうして、私が望んでもいなかったような行動をしてしまったのか?

 それは、全て、一人の、親友が、起こしたもので、あると。

「そ、そんな……イリヤが……」

 親友と思っていた相手に、私は人生を滅茶苦茶にされた。

 信頼も信用も何もかも捧げていた相手に……私は貶められ、あらぬ罪を着せられた。

 これが絶望というものでしょうか……何も、感じられません。音が、遠くなる。

 それでも、ギィといった牢が開かれる音が聞こえる。

「私は妃という立場がほしかったんです。それで目下邪魔だったのがソフィア様、それと何故か殿下が想いを寄せていた子爵令嬢さん。どうしよっかな~って思っていたんですが、私はとりあえず二人を殺しちゃえばいいかなって思ったんですね」

 イリヤが、私の前までやって来る。

「もちろん、自分の手を汚すなんてなっしんぐ。私は呪術具の作成を得意とする集団の一人。呪術具を使ってソフィア様に子爵令嬢を殺させる、そしてソフィア様は罪を被って処刑される。そうすれば、殿下と近しい年齢で女性は私だけ―――必然的に白羽の矢が立つってもんです。まぁ、誤算は思ったよりもソフィア様が子爵令嬢を殺す時に騎士の駆けつけてくるタイミングが早かったこと、ソフィア様が何者かによって逃がされたことです」

 それも些細なことですね、と。イリヤは口にする。

「仕方ないので、子爵令嬢はすでに私がきっちりと処分しました。あとは、ここでソフィア様を殺せばおーるくりあです! ここで死んでる騎士も、ソフィア様もこれから駆けつけてくるレイシアファミリーに殺されたことにすればいいです。何せ、レイシアファミリーは私達悪党の中では『仲間想い』で有名なんです。それを逆手にとって嵌めてしまいましょう!」

 全てがイリヤの思惑。私は、その中に組み込まれていただけ。

 ただ、イリヤのほしいものを手にするためだけの。

「私は、親友だと思っていました……」

「私も親友だと思っていますよ? ただ、私はほしいものがほしいだけの子供ってだけです。何せ、それが私の理想ですからね」

 イリヤが短刀を掲げる。

「それじゃ、今まで楽しかったですよソフィア様」

 そして、短刀が振り下ろされ―――


「届かない想いは何もないってなァァァァァァァァァァァァァァッ!!!」


 ドガァァァァァッ! そんな衝撃音が響き渡り、

「がふっ!?」

 イリヤの体が思い切り鉄格子を破り壁に向かって吹き飛んでいった。

 諦め、心が完全に折れていた私に二人の人影が駆け寄って来る。

「ソフィア、無事!?」

 その人は私の顔を覗き込んできます。美しく整った、女神を思わせる顔。右目には眼帯がつけられており、痛々しい滲んだ傷が一直線に刻まれている。

 その傷は、見覚えしかない私のつけたもので―――

「ミラ、様ぁ……ッ! 申し訳、ございません……本当に、申し訳ございませんッ!」

「馬鹿ね、気にしなくてもいいわよ。こっちも、あなたがやりたくてやったわけじゃないって分かってるから」

 優しく、頭を撫でてくれる。その手が温かくて、嬉しくて、申し訳なくて、救われた気がして、どうしようもなく涙が溢れてしまう。

「あはッ! 随分と早かったじゃないですかレイシアファミリーの皆さん!!!」

 めり込んだ壁から、イリヤが高笑いを浮かべながら顔を出した。

「あァ? 女なのに随分と頑丈な体してんじゃねぇか」

「私を普通の貴族令嬢だと思っちゃいけませんよ!?」

 大槌を肩に担いだライダ様が私達を守るように前に立つ。

「……もう安心だからね。あとは、私達に任せなさい」

 ミラ様が剣を突き刺して鎖を破壊してくれる。

「で、ですが、ミラ様は目が……ッ!?」

「何言ってるの、私はこれでも二百年以上生きてきた女よ? 魔術が使えなくても、そこいらの人間よりも強いわよ」

 そう言って安心させるような柔らかい瞳を浮かべると、ミラ様はライダ様の横に並び立つ。

「よくも私の可愛い妹を傷つけてくれたわね。この目のこともあるし、私の理想を傷つけた落とし前、命をもって償ってもらおうかしら―――愚者の花束」

「ハハハッ! 気づいちゃってるんですね! ですが、それは問題なしです! バレたところでここで殺しちゃえばおーけーですから!」

「おい、ミラ? こいつ、俺らのことなめてるぜ?」

「いい根性してるわ。ここは人生の先輩としてしっかりと教育してあげましょう」

「地下牢で踏ん張ってくれてる連中のためにも、早く片付けねぇとなァ?」

 ミラ様とライダ様、イリヤが地下牢という狭い空間で、一歩を踏み出します。

「レイシアファミリーが副当主―――永遠の騎士、ミラ」

「レイシアファミリーが副当主―――不触、ライダ」

「バレッド侯爵家、長女―――呪術教団、愚者の花束が司祭、イリヤ・バレッド」

 そして———


「「「死ね」」」


 三者が、同時に交差する。

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